ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

逃げ出したり、立ち向かったり。

「軽やかでいたい」と思っても、なかなか思い通りにはいかない。厳しくもなんともない現実から逃げ出してショッピングに没頭してみたり、これじゃダメだと無理やりにパソコンの前に座って現実と立ち向かったり。そうして僕はなんとか今日を生きている。

 

そんな調子だから、まともに前向きなブログも書けない。せっかくはてなブログに引っ越してきたばかりなのに、全然ダメだ。

 

でもきっとこの苦しくて陰鬱な期間も、いつかは終わる。それまでただただ生き延びるだけだ、無理やりにでも週一のエントリを続けることだ。一度やめてしまった習慣を元に戻すのは大変だから、とにかくみすぼらしくても、つまらなくても、習慣を守る。

とにかくどこへでもいいから歩き続けること、なんなら流され続けるだけでもいい。うずくまって、目をつぶって、何も考えないようになれば、またあの頃に戻ってしまう。そして戻ってこれなくなってしまう。

 

それだけは、嫌だから。

軽やかな人でありたい。

最近、僕は「僕なんて」と思いすぎ、あるいは言いすぎている。特にクラウドソーシング「ランサーズ」のイベント「ランサー・オブ・ザ・イヤー2017」前後は、あまりにも「僕なんて」が多かった。
 
周囲を見渡すと、どうにもみんなが自分よりはるかにまともに人生を生きているように思えた。にもかかわらず僕は恐れ多くもパネルディスカッションのパネラーとして登壇し、「トップを走り続けるフリーランスなんて枕詞で紹介されてしまった。褒められたり、持ち上げられたりするたびに、「僕なんて大したことないのに」「どうせお世辞だろう」とひねくれた考え方ばかりしていた。
 
もともとがそういう性格だから、一度卑屈な方に振れてしまうと、なかなか元に戻らない。この「僕なんてシンドロームは4月9日現在に至るまで続いている。なんとかしなければといつもの筋トレ・ストレッチ・ショッピングなどの策を講じてはいるが、なかなかうまくいかない。サイクリングや山登りに出かければ一挙に解決しそうにも思うが、なぜかそんな気にもならない。これはいよいよまずい。
 
ただ、頭では「『僕なんて』とか言って、つまんない奴だな、僕は。『〜したい』『〜になりたい』って言い続けてなきゃ、どんどんつまんなくなるぞ」と終始自分に言い聞かせてきた。そこでポンと飛び出るように出てきた答えの一つがタイトルの「軽やかな人でありたい」だった。
 

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まるで地面から数センチ浮いているかのように、スタコラサッサと歩き、外部からの攻撃なヌラリクラリとかわし、好きなことにだけ興味を示して、嫌いなことやつまらないことには執着しない。何も考えていないようでいて、深く鋭く怜悧な思考を持ち合わせ、その気になれば様々な価値観とにこやかな異種格闘技戦を展開できる。性善説を貫く無邪気さと能天気さと強かさを兼ね備え、少し傷ついてはまたスタコラサッサと歩き出す。そんな人に、僕はなりたい。
 
多分生来が「重々しい人」なので、完全に軽やかな人になるのは難しいかもしれない。でもだからこそ、ずっと「なりたい」と願い続けていたいし、そのためにあれやこれやと工夫していたい。「僕なんて」なんて、便利な言い訳を使ってうずくまっている場合ではない。きっと、軽やかな人なら、うずくまるのではなくスタコラサッサと逃げているはずだ。
 

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こんな風に思えたのは、8日に梅田の駅構内を歩いていた時に見かけた少年のおかげだったりする。僕の腰の高さほどの身長しかない彼は、頬を赤く染め、なぜか鬼気迫る表情で地団駄を踏みながらエスカレーターを上ってきた。エスカレーターが終わった途端、彼はさらに興奮した表情になり、僕の横を駆け抜けていく。彼を掻き立てていたのが何かはわからないが、彼はとにかく何かとんでもない衝動に掻き立てられていて、それを全く隠そうとしていなかった。かわいいなと思うと同時に「あいつ、めちゃくちゃかっこいいな。憧れるな」と思ったのだった。彼は軽やかな人とは少し趣が違うかもしれない。でも重々しい僕とは、対極にあるように思えた。
 
だから(?)今日から「僕なんて」を「軽やかだぜ〜」くらいに言い換えて、春の陽気を楽しみたい。軽やかすぎて地団駄踏んで走り出したりしたい。
 

3月30日から4月1日まで上京していました。

3月30日から4月1日まで上京していました。引きこもりの鈴木のキャパシティを完全に超えるスケジュールでしたが、同時にめちゃくちゃ充実した3日間となりました。

30日は2年近くお世話になっているクライアント2社に、昼・夜とお会いし、今後の方針や今までのお仕事の裏側などについてたっぷりお話させていただきました。自分のライターとしての実力が、業界的にそこそこのものだということをクライアントさんたちからお墨付きをいただき、ちょっと安心できたり。今後の仕事の展望を示していただいて、「こりゃ頑張らなきゃなあ」と思ったり。鈴木の「社交ポイント(RPGのMP的な)」をフル動員した1日になりましたが、相応の価値のある時間になったと思います。

31日は先週のブログでも書いた「ランサー・オブ・ザ・イヤー2017(LOY2017)」にパネルディスカッションのパネラー3人の1人として参加してきました。2017の受賞者のみなさんが立派すぎて、「この人たちの授賞式の後に、この鈴木がいったい何を話すのか」というためらいの中、なんとか自分の仕事のノウハウやライターとしての経歴について話しました。そのあとの「ランサー交流会」や「二次会」で色々な人とお話しさせていただいた感じだと、そこそこうまいこと話せていたようです。

前日に宿泊した「ファーストキャビン秋葉原」があまりにも快適すぎて全回復した社交ポイントでしたが、二次会の終盤には完全に枯渇し、もはや人様向けの表情を維持できず、失礼ながら途中から人気のない場所で休憩していました……。うん、でも、まあ、僕にしては頑張ったと思います。この辺りの話は、また後日記事にしたいです。

その日の夜は沖縄宮古島で知り合った親友の家に宿泊。いまだかつて友人宅で受けたことのないレベルのおもてなしを受け、超感動しました。翌日1日は鎌倉にでも出かけようかと言っていたのですが、社交ポイントを酷使しすぎたせいでHPもほとんどなくなっていたため、全く身動きできず。一日本当にダラダラとくっちゃべって、夜に親友とその奥さんと食事をして、大阪への帰途につきました。

今日(4月2日)は完全オフでしたが、29日の夜行バスから数えて4日間の疲労が一気に出たのか、体はずっと怠いし、眠いし、何かを食べればお腹を下すしで、完全に体調を崩しています笑 うん、ほんと、頑張ったね、自分。

筋トレが、仕事になってる。(仕事と筋トレのこと徒然と)


2月の終わりから、筋トレ系の記事を書かせてもらっている。クライアントは個人さんなので、別にフィットネス業界に切り込めている訳ではないのだけれど、それでも趣味で始めた筋トレがまさかお金になるなんて思いもしなかった。(そもそも3・4年前までは自分の文章がお金になるとすら思ってなかったが)

自分の体験を踏まえてトレーニングメニューを提案したり、今まで自分では買わなかった筋トレ雑誌や栄養学の本を買ったりして、それを参考に記事を書いている。こんな楽しい仕事って、あるだろうか。

しかもこの仕事の影響で新しくクレアチンというサプリメントを飲むようになって、自分の筋トレにも新しい刺激が生まれている。クレアチンは正確にはクレアチンリン酸といって、牛肉なんかに多く含まれているアミノ酸なのだが、これは瞬発的な無酸素運動へのエネルギー供給を担う重要な物質だ。これを筋肉中に蓄積しておくことで、瞬発的な無酸素運動=筋トレにおける出力エネルギーが格段に上昇する。実際、した。

ずっと70kg前後で伸び悩んでいたスクワットが、たった1ヶ月で93kgを5回あげれるようになったし、自重でやっとメインセットが組めるくらいだった懸垂も、今は12kgの負荷をかけてメインセットを組んでいる。体重は減っているのだけれど、体のサイズはところどころ少しずつ大きくなっている。クレアチンマジすごい。

ただこれ以上サイズが大きくなると、サイズ勝負の手持ちの洋服が着れなくなるという問題が出てきている。就活スーツは30分も着ていると肩が痛くなってくるし、前のボタンを留めると著しくシルエットが崩れる。脚も太くなっているのでズボンもパツパツだ。

もともと超普通体型だったので、体重さえキープしていれば間違いなくどのブランドでもMサイズでよかったのだけれど、最近はMサイズだと「着てるのしんどい……」という着用感になってしまう。かといって身長も腕もMサイズなので、Lサイズにすると着丈や袖丈が余る。今の筋トレメニューのままでは「いつもジャージか軍の放出品着てる人」みたいになる。それはちょっと嫌だ。おしゃれがしたい。トレーニーの中には「筋肉が最高のおしゃれ」とかいう人もいるけど、んなわきゃねえだろとおもう。


でもこういう問題も結構楽しかったりする。というのも劇的にトレーニング方法を変える良いきっかけだからだ。今組んでいるメニューはもともと8サイクル(だいたい2ヶ月強の予定)回す予定なので、これが終わったらどんなメニューにしようかと考えるのが楽しい。低負荷高回数にして有酸素的な筋トレにしたり、HIITという有酸素トレーニングをメニューに組み込んだりするのも面白そうだ。そうなれば「サイズダウンの筋トレとは」みたいな記事も書けるようになるだろう。またこれも仕事になったらいいなあ。

とまあ、そんなこと考えながら、31日のランサー・オブ・ザ・イヤー2017年でパネルディスカッションのパネラーやってきますね。

「人生なんてこんなもの」とか言うなよ。

人生は楽しむためだけにある。僕は常々そう考えているし、この座右の銘ともいうべきコンセプトに沿うよう行動している。今日は少し、この僕の人生のコンセプトについて書きたい。長くなるし、話があっちこっち行くのでわかりにくいかもしれないが、何か伝わったら嬉しい。

0.かくして人生は楽しむためだけにある

「楽しむ」には色々な考えがあるし、本当の意味で楽しむためには一定以上の「苦しむ」が必要だったりもする。端的な例を挙げれば「産みの苦しみ」みたいなものだ。しかしそれも、その苦しみが報われるという前提が成立していなければならない。苦労を結果に繋げたいのであれば、その見込みが立ってから行動するべきなのだ。

もちろん「この苦労が報われなくてもいいや」という場面だってある。苦労すること自体が目的になっている場合だ。経験がないのでわからないが、母親が子供に対してする苦労なんかはその部類にはいるのかもしれない(そうでない母親もいたっていい)。僕の場合は恋人や幼馴染、愛猫のための苦労は結構この部類にはいることが多い。しかし「この苦労が報われなくてもいいや」とか言っていても、苦労すること自体が目的なので、苦労をさせてもらっている時点で、実は苦労は報われている。逆説的だが「苦労することを楽しんでいる」のだ。かくして結局人生は楽しむためだけにある。


1.本当に人生を楽しみたいのか?

しかし「人生を楽しみたい」とか言っている割に、このコンセプトをしっかり貫けていない人がいる。苦しみに向かってひた走っているだけなのに、「いつかこの苦労も報われる」なんて言っているのだ。これは楽観主義者どころか単なるアホだ。登山中にこんな奴がいたらどう思うだろうか。

登山者X:どちらまで行かれるんですか?
登山者Y:○○山頂を目指しています。
登山者X:え?それだと逆方向ですよ?○○山はあちらの山ですから。
登山者Y:……いいんです。こっちを歩いていてもきっといつかは○○山頂に着きますよ。
登山者X:はあ……お気をつけて……。

登山者Xは間違いなく「こいつアホだな」と思うはずだ。僕も思う。あなたはどうだろう。「いつかこの苦労も報われる」という計画性も実現可能性も極めて貧弱な夢想を抱いていると、登山者Xのような親切な案内人がいたとしても、なかなか方向修正ができない。夢はいつでも甘美である。希望はまるでスイーツだ。しかし甘いだけのスイーツは肥満へのレッドカーペットである。気持ち良く周りからもてはやされるが、導かれているのは肥満への道、苦しみの人生だ。


2.なぜ「いつかこの苦労も報われる」と信じるのか?

ありもしない希望を信じたいとき、あるいは今の自分を変えることに恐怖や不安を感じるとき、それはたいてい「わからない」をそのままにしているときだ。

僕は大学時代から4年付き合っていた遠距離の彼女に浮気をされたとき、ありもしない希望を信じたかった。彼女と別れた後の自分の存在根拠がどうなるかと考えると恐怖と不安でいっぱいになった。彼女にすがりつくように関係を続け、自分が擦り切れるまで苦労した。「いつかこの苦労も報われる。わかってくれる」と信じた。しかしその希望は叶わなかった。

僕は浮気をした彼女の気持ちがわからなかったし、彼女と別れた後の自分がどうなるのかもわからなかった。何より現実を直視し、冷静に判断することを恐れた。そしてとにかく苦労さえすれば何かその苦労に値する結果が得られるはずだと考えた。

大間違いだ。誰かの信頼をさして深い考えもなしに裏切る人間の気持ちを理解する必要などないし、たかが一人の異性と関係を絶ったところで自分にとって大きな影響など本来あるわけがない。冷静に、現実を直視すれば、これくらいのことはわかるはずだ。しかし「いつかこの苦労も報われる」という幻想を抱いてしまうと、現実を見据える勇気が持てない。幻にかどわかされた瞳には、真実など見えない。「わからない」を抱えたまま歩き出すのはギャンブルだ。


3. 自分の苦労に報いるのは自分自身だということに気づく

では僕はいったいどうすればよかったのか。「いつかこの苦労も報われる」という幻想を打ち砕き、報われる苦労に切り替えるためにはどうすればよかったのか。

このときの僕が発見するべきだった観察は「人生の8割は自分の足で歩いていけるのであって、他者の関与は2割程度しかない」ということだ。僕は過剰に「自分の人生は他者のおかげで成り立っている」と考えすぎていた。なんのことはない、それまでの人生を切り拓いてきたのも、そこからの人生を切り拓いてきたのも、自分なのだ。

なるほど親がいなければ、あるいはその浮気をした女がいなければ自分は自分ではなかったのかもしれない。しかしたとえその人たちがいたとしても、自分が道を切り拓こうとしなければ今の自分は絶対に存在しない。逆に言えば自分さえいれば今の場所に至る道を切り拓くことは可能なのだ。自分こそが自分の人生にとっての必要条件であり、他者は自分の人生にとって替えのきく十分条件にすぎない*。掛け替えのない他者も存在する場合はその他者も必要条件になるが、その判断はごくごく慎重に行われるべきだ。

※野菜が存在しなければトマトも存在しないが、トマトが存在しなくてもピーパンやキュウリなどの別の野菜が存在する。このとき野菜は必要条件となり、トマトやピーマンは十分条件となる。

「自分の人生は自分で歩かねばならない(歩いていい)」この冷たくも希望に満ち溢れた事実を見据えたとき、僕は「いつかこの苦労も報われる。わかってくれる」という他者依存の無鉄砲な考え方を捨てた。自分の苦労に報いるのは自分自身であり、それさえできていれば他者の理解など二の次だ。

4.「わからない」をそのままにするな

こうした自分の中の「わからない」を解消し、「わかった」に変えるまでに、僕は数年を要した(今でもわからないことはたくさんあるが)。問題が複雑になるほど、あるいは原因が根深いほど、かかる期間は長くなる。しかしそれでも「わからない」を放置していてはいけない。それは知らぬ間に自分の苦労を本当の意味で無駄にし、「人生なんてこんなもの」という悟ったふりをしただけの観察に僕たちを招き入れる。

確かに諦めは肝心だ。でもそんな諦め方をしてはいけない。わからないを少しでもわかるに変え、「自分が心から楽しいと思える進路」を見定め、そっちに向かって歩こう。それが人生を最大限楽しむためには、きっと必要だ。