ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

「西成は治安が悪い」はほんとうなのか?軽く調べてみた

「大阪西成」の名前は近畿圏のみならず、全国的にも悪い意味で轟いている。僕が高知大生の頃に奈良県出身の店長に「大阪のどこ出身?」と聞かれて「西成区です」と答えたら、間髪入れずに「ヤンキーやん!」と返ってきたことがある。高校時代も友人たちはあまり僕の家に遊びに来たがらなかったし、今仲良くしている友達の彼氏は「住所が西成って時点で住みたくない」とまで言ったらしい。アパートやマンションも道路一本しか違わないにもかかわらず、住所が西成になった途端家賃が安くなるそうだ。西成はどうやら「マジヤベエ」らしい。

しかし大学四年間と社会人生活二年間を除いて、20年以上この街に住んできた僕からすると、少なくとも「西成」という住所というだけで「マジヤベエ」体験をしたことはない。喧嘩に巻き込まれたこともなければひったくりを見たこともなく、覚せい剤を売りつけられたこともないのだ。思えば「自転車のカゴにカバンを入れるときは注意しろ」と言われて守ってきたが、自転車のカゴの荷物を奪われそうになったこともない。

ここで僕は「もしかして、別に西成って治安悪くないんじゃないの?」という疑念を抱いた。西成区外の人間はもちろん、住んでいる人間すら思い込んでいる人も多い「西成は治安が悪い」というイメージには、実は裏があるのかもしれない。今回はこのことについて簡単に調べてみた。

「西成は治安が悪い」のイメージはどこから来たか?

そもそもこの「西成は治安が悪い」というイメージはどこからきたのだろうか。それは言うまでもなく、1961年から2008年の間に24回も起きている西成暴動釜ヶ崎暴動)だ。

釜ヶ崎とは大阪府大阪市西成区の北部、JR西日本新今宮駅の南側に位置する簡易宿所寄せ場が集中する地区を指す。僕もこのあたりは昔から「警察署に用事がある限り、あんまり行ってはいけない」と言われてきた場所で、今でも良い意味でも悪い意味でも「西成DEEP」といえばこの地区を指す。ここは日雇い労働者が多く住むドヤ街で、労働条件の悪さから常に「鬱憤」が蔓延しているらしい。それがちょっとしたきっかけで爆発し、暴動に発展してきた。Wikipedia先生による暴動の時期と原因は次の通り。

・第1次暴動(1961年8月1日-8月5日) 日雇い労働者がタクシーに轢かれた交通事故の処理を巡って発生した暴動。最初の西成暴動である。

・第2次暴動(1963年5月17日-5月19日) 夜間作業の求人が意外に少なかったことに端を発する暴動。

・第3次暴動(1963年12月31日-1964年1月5日) 求人が思ったよりも少なかった事に端を発する暴動。

・第4次暴動(1966年3月15日) 立ち飲み屋の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。

・第5次暴動(1966年5月28日-5月30日) 火事の現場にいた野次馬が暴徒化した事件。

・第6次暴動(1966年6月21日-6月23日) パチンコ屋の店員と日雇い労働者が喧嘩したことに端を発する暴動。

・第7次暴動(1966年8月26日) 果物屋でのトラブルに端を発する暴動。

・第8次暴動(1967年6月2日-6月8日) 飲食店で支払った代金を巡るトラブルに端を発する暴動。店の備品のほとんどを破壊した。

・第9次暴動(1970年12月30日) 年末で求人が激減したことに端を発する暴動。ちなみに新左翼活動家による越年闘争が始まるのは、この後からである。

・第10次暴動(1971年5月25日-5月30日) 夜間作業の求人に来ていた業者とのトラブルに端を発する暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。

・第11次暴動(1971年6月13日-6月17日) 簡易宿所の管理人が玄関に寝ていた日雇い労働者をどかそうとしたことに端を発する暴動。

・第12次暴動(1971年9月11日-9月15日) 果物屋の店員が酔っ払っていた日雇い労働者を転倒させたことに端を発する暴動。果物屋が焼打ちされた。

・第13次暴動(1972年5月1日-5月2日) 釜ヶ崎メーデーで逮捕された容疑者の釈放を求めた暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。

・第14次暴動(1972年5月28日-5月31日) 労働組合員と手配師との喧嘩に端を発する暴動。

・第15次暴動(1972年6月28日-7月3日)

・第14次暴動の検挙者の釈放を求めた新左翼活動家とそれに煽動された日雇い労働者による暴動。

・第16次暴動(1972年8月13日-8月16日) 釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)と右翼団体とのトラブルに端を発する暴動。

・第17次暴動(1972年9月11日-9月15日) 新装開店したパチンコ屋が、機械の故障でただちに閉店したことに端を発する暴動。

・第18次暴動(1972年10月3日-10月4日) 病院職員と日雇い労働者とのトラブルに端を発する暴動。

・第19次暴動(1972年10月10日-10月11日) 釜共闘手配師とのトラブルに端を発する暴動。

・第20次暴動(1973年4月30日-5月1日) ゴールデンウィーク中の求人減に不満を抱く日雇い労働者が釜共闘に煽動されて起こした暴動。

・第21次暴動(1973年6月14日-6月30日) 酔っ払い同士の喧嘩に端を発する暴動。

・第22次暴動(1990年10月2日-10月7日) あいりん地区を管轄する大阪府警西成警察署の署員が、暴力団から賄賂を貰った事が発覚したことに端を発する暴動。

・第23次暴動(1992年10月1日-10月3日) 大阪市が行っていた資金貸付を、資金が尽きたことを理由に中止したことに端を発する暴動。

・第24次暴動(2008年6月13日-6月17日) 飲食店の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。

……これを読むと「西成マジヤベエ」となっても仕方ない理由で暴動になっているが、この程度のトラブルで暴動に発展するほど、釜ヶ崎には「鬱憤」が蔓延していると考えることもできる。ただ1960年代後半や1970年代は全国の大学でも学生運動の真っ只中であり、これを釜ヶ崎に特有の現象だということはできない。いわば日本全体が何か鬱屈したものに掻き立てられていたと言える。

ただこの暴動の中でも特殊と言えるのは第22次暴動と第23次暴動だろう。ここだけ警察署・大阪市という国家権力との対立が起きている。特に1990年の第22次暴動は、未だにYouTubeなどでも映像がアップロードされており、記憶にも新しい。

機動隊との衝突、火炎瓶や石の投下……およそ今の日本からすれば「マジヤベエ」光景が広がっている。普通に怖い。しかし同時に自分が持っている石でよろけながらも、機動隊に向けて石を投げるお爺さんなどを見ると、そこまでしてしまうような状況に追い込まれている人たちの切実さも感じて目頭が熱くなる。テロリズムの悲哀というとロマンチックすぎるだろうか。

ところで僕の実家の住所は西成区であるが、このような暴動の只中で小中学校に通い、生き抜いて来たわけではない。テロリズムの悲哀を感じるくらいに、この地域に対しては第三者であり、傍観者、部外者である。にもかかわらず「西成出身=マジヤベエ」になるのは、主にメディアとその内容を鵜呑みにする大衆の噂好きが原因だろう。

実際、『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』(2016年10月、東洋経済者)の著書であり、大阪市特別顧問でもある鈴木亘さんは、大阪市の正式文書の中西成区、特にあいりん地域は、大阪市においてもっとも犯罪が多い「危険地帯」であるというイメージが、主にマスコミによって作られ、定着している感がある」と記している。

このことについて、もう少し具体的に書いていきたい。なお、以下の内容は特定の地域に住む人を貶めようというものではない。日本の場合、よっぽどのことがない限りどの土地にも人の生活があり、そこで幸せを感じている人たちもいる。それを否定するつもりは毛頭ない。できるだけ客観的、数値的な観点からの記述を心がけるので、その点はあらかじめ理解しておいてもらいたい。

西成区」って実はそこそこ広い。

最初に言っておきたいのは、「西成区」がそこそこ広い地域だということだ。

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この画像の赤い部分が西成区。大阪には南北を貫く鉄道がいくつかあるが、僕がよく利用する大阪市営地下鉄四ツ橋線の駅だけでも「玉出」「岸里」「花園町」があり、南海電鉄の駅でも「岸里玉出」「天下茶屋」「萩之茶屋」がある。ちなみに新世界がある新今宮駅西成区ではなく、浪速区に属している。

このうち、いわゆる「あいりん地区」つまり釜ヶ崎は、せいぜい新今宮駅の南側から萩ノ茶屋駅周辺程度の地区にすぎない。にもかかわらず、それ以外の地域まで「暴動」「火炎瓶」の文脈で語られる。これでは住んでいる人たちが「西成って結構住みやすいけどなあ?」と首をかしげるのも無理はないだろう。

これは僕が今住んでいる場所が大好きだから言うことであって、他の地域を貶めるわけではないが、僕の住む「玉出」という街は、西成区の最南端に位置している。道路一本南に渡れば全国の住吉神社の大ボスである住吉大社のある住吉区だ。つまり、西成区の中でも最も釜ヶ崎から遠い場所にあるのだ。

もちろん可愛い女の子が深夜にパジャマ姿で歩いていても「絶対安全」といえるような場所ではないが、そんな場所は超お金持ちばかりの住宅地か、そもそも人の少なすぎる不便なところにしかない。高知大学のある高知県高知市朝倉でさえ、変質者はいる。

「あいりん地区」がずば抜けて治安が悪いわけではない?

わが故郷「玉出」の弁護はこれくらいにしておいて、最も重要なトピックに移ろう。それはそもそも「あいりん地区」は治安が悪いのか、という問題だ。「何を今さら」という人もいるだろう。「パチンコ屋がすぐに閉店しただけで暴動が起きるような地域の治安が悪くないはずがない」「西成は『日本一治安の悪い街』だ!」と。しかし残念ながらそれは思い込みだ。

都道府県・市区町村ランキングサイト 日本☆地域番付」が出している2009年の「大阪府の犯罪発生率ランキング」によれば、人口100人あたりの犯罪発生率でダントツの最上位に位置するのは外国人が大好きな難波や心斎橋のある大阪市中央区である。古いデータではあるが、犯罪発生率は10.760%となっており、10人いたら1人は何かしらの犯罪者だという、とんでもない数字になっている。とはいえこれは人口総数に対する数値なので、中央区外からやってきた人間が中央区で犯罪を犯してもカウントされてしまっている。くれぐれも「中央区民=10人に1人」は犯罪者などとは思わぬようにしなければならない(こういう数値の操作は人を騙しやすい。注意したい)。

中央区より下を見ていくと、中央区の北側に位置する北区が6.765%、中央区の南側の浪速区が5.652%、通天閣の東側にある天王寺区が3.410%となっており、我が西成区は3.150%で大阪市の区の中で第五位だ。確かに観光客や西成区外からの来訪者が多くないにもかかわらずこの数値というのは、やや高い気がしないでもない。しかし前述の鈴木亘さんによれば、平成21年〜24年7月までの街頭犯罪件数(ひったくりや車上荒らしなど)でも、24ある大阪市の区の中で西成区は7〜10位程度に収まっている。「西成は『日本一治安の悪い街』だ!」というのは、そもそも大阪市内ですらあてはまらない暴言なのだ。

さらに鈴木亘さんは細かくデータを分析し、釜ヶ崎地域での犯罪件数が別段特に高いわけではないということも説明している。もちろん土地柄覚せい剤の売人などがいないわけではない。しかし少なくとも数値上「ただ街を歩いているだけで犯罪に出くわす可能性」は、西成区よりも大阪の繁華街の方が高いのである。

しかも大阪市が発表している西成区の街頭犯罪発生件数によれば、平成29年西成区の年間の全刑法犯(刑法を犯した数)は、平成25年12月末で3,242(大阪市全体の5%)だったが、平成28年12月末で2,272(大阪市全体の4%)にまで下がっている。この数値だけを取り出して断定はできないが、もともと一番悪いわけではなかった治安も改善され始めているのだ。

結論:西成区は「住めないほどやばい」わけではない。

かなり大雑把な分析ではあったが、これで少なくとも西成区が「住めないほどやばい」わけではないことは理解してもらえたのではないだろうか。しかも西成区は鉄道駅周辺に住んでいれば、難波や梅田までのアクセスも良く、なんなら自転車や徒歩でも中心部へアクセスできる便利な場所である。そのわりに不当なイメージのせいで家賃も安く、そこそこの田舎なので繁華街のようなガヤガヤ感もない。

僕の住む玉出に関して言えば「本通り商店街」という大きな商店街があり、寂れてきてはいるがスーパーや美味しい魚屋、餅屋、ケーキ屋、豆腐屋もある便利なところだ。便利さと住み心地、物価や土地の安さを考慮した場合、なかなかこんな街は見つからないのではないか、と思うほどである。釜ヶ崎のおじさん達だっていつもブチギレているわけではなく、話してみると実は気の良いおじさんだったみたいなことも多いらしい。先入観は得てして真実を捻じ曲げるものだ。

大阪の中心から離れた場所や、地方に比べれば確かに「治安が良い」とは言えない。しかしマスコミやネットが作り出す既存のイメージを取り払ったうえで、もう少し西成区の本当の姿も見て欲しい。

結構、良いところなんですよ、西成。

【ネタバレあり】5/18 あった会 90分MT概要(下書き)

前回のポストで書いた団塊世代経営者向けの90分講演のネタを、盛大にバラそうと思う。本番ではもっと言葉遣いを丸くするのと、具体例をちょいちょい入れてわかりやすくしようと思う。あんまり内容を練るとちゃぶ台をふっ繰り返された時に鬱で寝込むに決まっているので、これ以上は暇すぎて死にそうになって、かつ気が向いたらやるみたいにしたい。

 

 

タイトル:「なぜ」という言葉の力

サブタイトル:「知らない」から始める文章論

 

自己紹介(5分)

 

氏名、職業

 

何を書いているか?

中高生向けのエンタメ記事、中小企業経営者・経理担当者向けの税務・税法記事、初心者向けのITセキュリティ関連記事、20〜30代向けのビジネス啓発記事、筋トレ啓発記事

 

どれだけ書いているか?

年間120万字、ビジネス啓発記事に関しては年間で150冊以上のビジネス書を読み、1記事3,000字を150本以上書いている。

 

どこと取引をしているか?

博報堂DYパートナーズ→博報堂のデジタルマーケティング部門。

・サムライト→自社メディアの外注請負会社。自社メディアの取り扱い数では日本一。

 

・「伝えること」だけを年がら年中考えている私が、今日は「文章と伝えること」をテーマにお話ししたいと思いまする。ただし今日は技術的なことはほとんど話しません。みなさんの文章レベルはまちまちでしょうし、そのニーズに応えようとしてもそれを知る術も時間もないからです。

理解していただきたいのは、「伝えること」においては「伝えたい気持ち」「伝えたい内容」が9割で、技術的なことは1割に過ぎないということです。

これを踏まえた上で、では「伝えたい気持ち」「伝えたい内容」を伝えるにはどうすればいいのかという話をします。

 

なぜ群衆は「偽ニュース」を見破れなかったのか?(20〜30分)

 

「偽ニュース」と「トランプ政権」

・影響力が科学的に証明されたわけではないが、世論が偽ニュースを拡散し、本物の情報を隠してしまった側面は確かにある(悪貨は良貨を駆逐する) ・2016年12月18日には米ハフィントンポストに「『トランプ支持者向けの偽ニュースで700万円稼いだ』マケドニアの若者が証言」という記事が公開される。偽ニュースはビジネスにすらなる。

・トランプだろうとクリントンだろうと、政治家や権威を片っ端からぶった切る風刺ニュースサイト「サウスエンド・ニュース・ネットワーク」は、謝罪文に「我々は全面的かつ率直に非を認め謝罪する。どうやらネットの利用者は自分たちが読むコンテンツを批判的に分析する能力がないということらしい。我々はこの事実を厳粛に受け止める」というコメントを載せている。

・そう、ネットの利用者には情報を判別する能力が欠けていた。それはなぜか?

 

「浅薄な答え」と「深遠なる問い」

・それは「なぜ」と問いかける力がなかったからだ。GoogleYahoo!の登場でインターネット時代の人間は「答え」を簡単に手に入れられるようになった。答えの価値は希薄化し、どんどん答えは浅薄になっている。

・一方で忘れられた技術がある。それは「問い」である。AIや検索エンジンは答えを導き出すが、深遠なる問いを導くことは今のところできない。私たちの脳は合理的である。したがって問いかけなくなると、あっという間に問いかけるための思考方法まで忘れてしまう。答えの横溢は問いを洗い流してしまう。

 

「問いかけること」と「伝えること」

・ここからが本題だ。実は「なぜ」と問いかけることと、言葉や文章で伝えることには深い関係がある。

・私は文章を書くときは、必ず「なぜ」と問い続ける。例えばこんな文章があったとしよう。

・「結婚すると節税になる」→これをなぜで分解し、文章にしていく。

・論理的な文章であればなぜは必ず地続きになっている。一方で詩の解釈が難しいのは「なぜ」が地続きになっていないからだ。だから解釈の違いが生まれる。

・「雨の慕情」の解釈

<ここに歌詞を貼る。>

→なぜ「雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいい人つれてこい」なのか?

インドネシアのフローレス島の老人は、雨の慕情の「これは女の人の恋人に対する気持ちを歌った歌なんです。その女の人には恋人がいるんですが、ふたりの仲はあんまりうまくいってないらしいんです。恋人があまりその女の人をたずねてくれないんです。それで、雨よもっと降れ、恋人を連れて来てくれと歌っているのです。」という説明に対してこう答えた。

「よくわかるよ。人間はどこでもおんなじだね。雨が降れば、米のできはよくなる。米がよくできれば、女側の親族はその恋人の親族を迎えられるものなあ。恋人の親族だって米があれば、女側の親族に贈るための象牙や金製品や家畜を集めるための宴会が開けるもの。手始めの贈りものがすめば、まだ同居できなくたって、やがて恋人が足しげく来てくれることになる。」と返答した。(波平恵美子編『文化人類学〔カレッジ版〕』)

 

八代亜紀の「雨の慕情」の歌詞の意味が未だに解りません。どうして雨が降ると彼氏が来るのですか?(Yahoo!知恵袋

・正確に伝えたいことほど、緻密に「なぜ」を連ねていく必要がある。それが必然的に論理的な飛躍のないわかりやすい文章になる。

 

なぜ私たちの言葉は伝わらないのか?(20〜30分)

 

「知っている」と思うことの弊害

・「なぜ」の連鎖を途切れさせるのが「知っている」という意識である。僕はこれまで税務・財務・IT・ビジネス・経営・転職・不動産・遺産相続……意味不明なほど多岐にわたるジャンルで文章を書いてきた。初めてのジャンルでは基本的に知らないことだらけ。これを自分が説明されて理解できるレベルにまで噛み砕き、これをさらにレベルを下げて文章にする。でなければ「本を読むのは面倒だけど、ウェブで無料で読めるなら読んでみよう」レベルの読者に伝わるはずがないからだ。

・このとき弊害になるのは、実は「知らない」よりも「知っている」だったりする。知らないことは書かなければいいし、書けるようになるまで調べようとする。しかし知っていることは無意識のうちに書いてしまうし、「知っている」が前提になっているので噛み砕くのを忘れがちだ。すると自然に文章は不親切になり、伝わりにくいものになってしまう。

*ここもうちょい作り込みたい…。

 

言葉は「伝わらない」が大前提

・言葉は伝えるために存在するが、同時にそもそも言葉は伝わるものではない。その言葉が抽象的になるほど、伝わらない度合いは増していく。例えば「ご飯は楽しい」の時のご飯は、大好きな人と食べるご飯、丁寧に調理されたご飯、満たされた気分で食べるご飯などの意味を持っている。

・ビジネスに当てはめたいなら「資料を整理しておけよ」という指示が何を意味するのかという問題でも良い。「資料の整理」は単に棚の書類の並びを綺麗にすることなのか、明日の会議のためにデータ分析をすることなのか、あるいはそれをパワーポイントに落とし込むことなのか。

・このような可能性のある指示を「資料を整理しておけよ」という言葉で伝わると思っている方がおかしい。伝えることに関してサボりすぎている。別にサボっても構わないが、それが上手く伝わらなかったと言って部下を叱責するのは大間違いだ。手を抜いたのは部下ではなく、自分である。

・本当に伝えたいのなら、「自分は途方もない阿呆である」という自覚と「相手も途方ない阿呆かもしれない」という認識をしたうえで、緻密に伝え方を構築しなければならない。「言葉は伝わらない」これを前提としたうえで、それでも伝えたいと思う、伝えようとする。それが「伝える」「伝わる」の本質である。

 

「伝わる文章」とはどんな文章か?

・ここまでの話を前提として「伝わる言葉とは」「伝わる文章とは」について考えてみたい。私はこの問いの答えを「相手を大切にすること」だと考えている。

・「相手を大切にする」とはすなわち「相手が大切にしているものを大切にする」ことである。要は相手との真摯な対話の中でこそ、コミュニケーションは成立するという話だ。

・理想的なコミュニケーションのあり方でない限り、どこかに甘えやサボりがある。その甘えやサボりのぶんだけ、コミュニケーションはズレていく。これを自覚するだけでも文章や言葉は伝わりやすくなるし、大切にしたい人との関係も強固になる。結果言葉はもっと伝わりやすくなる。

 

質疑応答

・ここまでの内容を踏まえた上で「そんな話どうでもええねん。こういう文章を書くにはどうしたらええねん」等質問ございましたらぜひお聞かせください。

不安・緊張・悩みは「臨場感空間からの離脱」で消える。

いつもの時間より、6時間遅れて更新…。

 

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3ヶ月ぶりの山に行ってきました。 4月28日の金曜日に、京都一周トレイルの東山コース後半と、北山コース前半を歩いてきました。叡電修学院駅から比叡山雲母坂コースを登り、そこから大原に向かって北上し、最後は鞍馬でゴール。20km以上あるうえに、登山3ヶ月ぶりの脚にはきつめのアップダウンで、ついた頃には脚引きずってました笑

 

今回思い立ったように山に行ったのは、仕事で読んだ本で「不安や緊張、悩みは臨場感空間を抜け出すことで解決の道が見えてくる」と書いてあったから。臨場感空間とは、本人が不安や緊張、悩みについてどうしても考えてしまう空間とか、そんな感じの場所です。

 

仕事が原因で悩んでいるなら、職場や通勤ルートなんかが臨場感空間になりえます。人によっては自宅だってそうでしょう。例えば僕は会社員時代、会社から徒歩10分のところに住んでいましたが、生活そのものが仕事の臨場感空間でした。

 

 

 

最近妙に将来のこととか、自分の家のこととかで悩んでもしょうがない悩みを抱え続けていて、もうにっちもさっちもいかない状態が続いていました。いつもの「元気になるルーティン」、つまり筋トレやストレッチ、ショッピングに打ち込んだりしたのですが、これもうまくいかなかったんです。

 

「こりゃもう観念して、浮き上がるのを待つしかないな」と思っていた矢先の「臨場感空間から離れろ」でした。この言葉を見た途端、「ああそうか、俺は臨場感空間の中でジタバタしていただけだったのか」と腑に落ちました。それならば手っ取り早く抜け出せる山に入ろう、スケジュール的に一泊は無理だけど、日帰りで一日中ひたすら歩き続けるルートにしよう、と決めたのでした。

 

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すると本当に嘘のように気分が晴れ、以前の「なんかよくわからんが大丈夫だ」という自信と、「とにかく行動。止まるより行動。動く」という行動ありきのマインドが戻ってきたんです。 正確に言えば「山に行ったから元に戻った」とは言えません。ひょっとするとあのジタバタしていた期間があったからこそ元に戻ったのかもしれません。でも臨場感空間から離れるということの効果は、一定程度はあると思います。

 

みなさんもぜひ「あー、やばい。もうダメかもしれん」と思った時は、思いっきり今の場所から離れて、かつ思い悩む暇もないくらい刺激に満ち溢れた時間を過ごしてみてください。刺激は脳に対してでも良いですが、個人的には体が疲れきる刺激の方が良い気がします。 きっとそれまでは見えなかった光明が見えるはずです。

なぜ私たちの言葉は伝わらないのか?

3月31日のランサーオブザイヤー2017のパネルディスカッションの記事を読んで、今回新たに講演の依頼を頂いた。といっても父が何十年も所属している中小企業経営者及び個人事業主のじい様サークルからの依頼だが(笑)とはいえ一癖二癖どころか何十万癖もある人たちなので、純粋無垢な18歳の高知大生に向けて話すよりもややこしいのは確かである。

 

そこでこの場を借りて、講演の内容を文章化しておきたいと思う。小さな話を二部構成でするつもりなので、ブログでも2回に分けて書くことにする。今日のテーマは本番の第二部で話すテーマ「なぜ私たちの言葉は伝わらないのか?」である。

 

「知っている」と思うことの弊害

僕はこれまで税務・財務・IT・ビジネス・経営・転職・不動産・遺産相続……意味不明なほど多岐にわたるジャンルで文章を書いてきた。初めてのジャンルでは基本的に知らないことだらけ。これを自分が説明されて理解できるレベルにまで噛み砕き、これをさらにレベルを下げて文章にする。でなければ「本を読むのは面倒だけど、ウェブで無料で読めるなら読んでみよう」レベルの読者に伝わるはずがないからだ。

 

このとき弊害になるのは、実は「知らない」よりも「知っている」だったりする。知らないことは書かなければいいし、書けるようになるまで調べようとする。しかし知っていることは無意識のうちに書いてしまうし、「知っている」が前提になっているので噛み砕くのを忘れがちだ。すると自然に文章は不親切になり、伝わりにくいものになってしまう。

 

そしてここに年をとる、おっさんになることの大きな問題がある。人間は年を食うほど「自分が知っていることは増えている」と考えるようになる。必然、知っていることを大した咀嚼もせずに話してしまうし、それを他の人間が知っていて(理解できて)当たり前だと思うようになる。

 

挙げ句の果ての常套句が「最近の若者はものを知らん」である。笑止千万、人として最も重要な「伝え方」も知らんくせに何をのたもうか。

 

 

僕たちは常に「自分が知らないことばかりだ」とソクラテスのように自覚するべきだ。同時に「他人も同じように知らないことばかりで当然だ」という真実を知らなければならない。 本当に伝えたいことがあるのなら、その大前提に立ったうえで、双方が何を知っていて、何を知らないのかを確かめ合う必要がある。それをコミュニケーションなしで実践できるのが想像力というものだが、これは高度な技術である。ろくに「伝える」について考えたことのない人間には無用の長物でしかない。まずは「自分がどうしようもなく阿呆である」という真実を自覚するところから始めるべきだろう。

 

「何を三十路にもならぬ若造が生意気に」「お前の言葉はわしらには伝わってこん」という声が聞こえそうだ。当然である。僕はあなた方の頭の中身を知りようもないし、その時間もない。ましてや想像する気もない。僕は今日、書きたいことを書き散らしているだけだ。興味がないなら読むのをやめたまえ。興味があるなら座して聞け。

 

言葉は「伝わらない」が大前提

言葉は伝えるために存在するが、同時にそもそも言葉は伝わるものではない。その言葉が抽象的になるほど、伝わらない度合いは増していく。例えば「ご飯は楽しい」の時のご飯は、大好きな人と食べるご飯、丁寧に調理されたご飯、満たされた気分で食べるご飯などの意味を持っている。

 

しかし「ご飯」と聞くと白米をイメージする人もいるだろうし、6畳のワンルームマンションの自室で一人食べるカップラーメンをイメージする人もいるだろう。そういう人にとって「ご飯は楽しい」という文章は、全く理解できないはずだ。「白米が楽しいってどういうこと?」「ご飯は寂しいの間違いだろ」とツッコミが入るだろう。

 

ビジネスに当てはめたいなら「資料を整理しておけよ」という指示が何を意味するのかという問題でも良い。「資料の整理」は単に棚の書類の並びを綺麗にすることなのか、明日の会議のためにデータ分析をすることなのか、あるいはそれをパワーポイントに落とし込むことなのか。

 

このような可能性のある指示を「資料を整理しておけよ」という言葉で伝わると思っている方がおかしい。伝えることに関してサボりすぎている。別にサボっても構わないが、それが上手く伝わらなかったと言って部下を叱責するのは大間違いだ。手を抜いたのは部下ではなく、自分である。

 

本当に伝えたいのなら、「自分は途方もない阿呆である」という自覚と「相手も途方ない阿呆かもしれない」という認識をしたうえで、緻密に伝え方を構築しなければならない。そして本来組織のマネジメント層にある人材の仕事の大半は、この伝え方の構築である。これはブックオフ時代の実体験と、ライターを始めて以来300冊以上読んでいるビジネス書から得た教訓である。

 

マネジメント層の仕事はプレイヤーとして動くことではなく、プレイヤーが動きやすいように立ち回ることだ。そのために「伝えるための努力」は絶対に欠けてはならない。 「言葉は伝わらない」これを前提としたうえで、それでも伝えたいと思う、伝えようとする。それが「伝える」「伝わる」の本質である。

 

<メモ> 本番の講演ではこの辺り、もう少しライターよりの話にした方が良いかもしれない。例えば読者ペルソナから文章を構築する視点とか。

 

 

「伝わる文章」とはどんな文章か?

ここまでの話を前提として「伝わる言葉とは」「伝わる文章とは」について考えてみたい。私はこの問いの答えを「相手を大切にすること」だと考えている。「相手を大切にする」とはすなわち「相手が大切にしているものを大切にする」ことである。これについては以前のエントリー「大切な人を大切にする方法」に書いているので省略するが、要は相手との真摯な対話の中でこそ、コミュニケーションは成立するという話だ。

 

理想的なコミュニケーションのあり方でない限り、どこかに甘えやサボりがある。その甘えやサボりのぶんだけ、コミュニケーションはズレていく。これを自覚するだけでも文章や言葉は伝わりやすくなるし、大切にしたい人との関係も強固になる。

 

「理想論だ!」「甘いな(したり顔)」なんて声が今にも聞こえるようだ。しかし理想を抱けない人間に、決して現実は変えられない。現実を変えようとしないのが悪いと言っているわけではない。しかし現実を変えたいのに理想を抱かないのなら、それは判断ミスだ。改めるべきだろう。

 

「伝わる文章」と聞いて何かノウハウ的なものを期待した人には申し訳ないが、ご覧の通りノウハウを真似したところで根本が間違っていれば決して文章も言葉も伝わらない。これについては「伝えたいこと、伝わること、伝えるということ」に詳しく書いた。要は小手先のテクニックは実質1割程度で、大切なのは「何を伝えたいのか」であるという話だ。

 

 

年間120万字の文章を書いて対価を得ている人間として言えるのは、こんなところである。

逃げ出したり、立ち向かったり。

「軽やかでいたい」と思っても、なかなか思い通りにはいかない。厳しくもなんともない現実から逃げ出してショッピングに没頭してみたり、これじゃダメだと無理やりにパソコンの前に座って現実と立ち向かったり。そうして僕はなんとか今日を生きている。

 

そんな調子だから、まともに前向きなブログも書けない。せっかくはてなブログに引っ越してきたばかりなのに、全然ダメだ。

 

でもきっとこの苦しくて陰鬱な期間も、いつかは終わる。それまでただただ生き延びるだけだ、無理やりにでも週一のエントリを続けることだ。一度やめてしまった習慣を元に戻すのは大変だから、とにかくみすぼらしくても、つまらなくても、習慣を守る。

とにかくどこへでもいいから歩き続けること、なんなら流され続けるだけでもいい。うずくまって、目をつぶって、何も考えないようになれば、またあの頃に戻ってしまう。そして戻ってこれなくなってしまう。

 

それだけは、嫌だから。