ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

夏の終わりには、貴女に逢いたくなるんだ。

今日のエントリーは少し湿っぽくなる。なぜなら今日、8月21日は我が家の先代の猫様「フラン」がいなくなってから12年の日だからだ。

 

あの日から干支が一周回ったとは思えないほど、彼女の死に際を鮮明に覚えている。その日はちょうど、朝早くに海外留学から帰省していた姉が留学先のインドネシアに飛び立つ日でもあった。まるで姉との時間を最後まで過ごしたかったとでもいうように、フランは21日未明、家族全員の前で事切れた。

 

 

フランは僕が小学校3年生の頃(担任の教師が本当に嫌いで、毎朝お腹を壊していた頃だ)から一緒に住んでいた。最初彼女に出会ったのは、まだ彼女が野良猫として生きていて、ウチのマンションに居を構えた直後だった。

フランは緑白色の数珠のような首輪をつけて、ある朝小学校へ行く前の僕の前に現れた。そのときにはすでに成猫で、人馴れもしていた。当時僕は犬派で猫は「何を考えているかわからない」「すぐに引っ掻く」というイメージが強く、彼女に擦り寄られてものすごく困ったことを覚えている。

中学に行く姉が上から降りてきて「何してんの?ほっとき」と言われた。

 

学校から帰ると、彼女は僕の家の前にいて、確か母から何か食べ物をもらっていたように思う。ウチはマンションなので、当時基本的に動物は飼ってはいけないことになっていた。だから母も家の中には入れていなかった。

しかしその夜、彼女は一晩中家の前で待ち続け、翌日学校から帰る頃には父の許可を得たのか我が家の家族となっていた。当時僕は嬉しかったのか、戸惑ったのか、今となっては覚えていない。

ほとんど真っ白な毛並みの中に、背骨をなぞるように茶色の毛を生やした大きな雌猫にフランという名前を与えたのは、姉だった。いわく「金がかかるから」(当時フランスの通貨はフランだった)。とんでもないネーミングだと思ったが、今思えばフランという気品と柔らかさのある響きは、彼女にぴったりだった。

 

最初のうちは動物と人間の境目を設けていた我が家も(寝室には入れないとか)、あっという間に彼女の可愛さと図々しさに負けて、彼女が足を踏み入れられないところは食卓の上以外になくなった。

猫の自由さというのは、人間の決めたルールなどあっという間に打ち消してしまう。「私を縛れるのは私だけよ」彼女の瞳と尻尾はいつもそう言っていた気がする。

小学校3年から高校2年まで、彼女はずっとその調子だった。フランはまるで頼もしい姉のような猫で、散歩の途中に雄猫をぶん殴って返り血を浴びて帰ってくるような強さの持ち主だったが、いつも柔和で、噛むことも爪を立てることもない、優しい女性だった。

もちろん猫らしいふてぶしさもあって、勉強をしていればノートや教科書の上に寝そべってきたし、寒い季節に床に寝転がっていると必ず膝の上や胸の上に乗ってきたものだ。ただ僕も家族もそれを嫌がるようなことはなく、いつも彼女の中長毛のふわふわな毛並みに癒されていた。

 

 

息をひきとる前、フランは母自ら注射をしてやらねばならないほど弱っていた。にもかかわらず、やっぱり僕が机に向かっているとあがってきて横に寝そべるのだ。だから僕は彼女がいなくなるなんて、全く理解できていなかった。来年も、その次の年も、さらに次の年も、彼女は僕の机の上で寝そべるのだと思っていた。

だから、というと言い訳になるだろうか。折悪しく僕は人間関係で悩んでいて、ちょっと遅い思春期特有の苛立ちを抱えていた。確か何かそれに関する書き物をしていて、それをフランに邪魔されたのだったと思う。僕はそこで彼女を邪険に扱ったのだ。ノートか何かの上から彼女を押しのけるようにしたと記憶している。

 

僕はそのときの手の感触を未だに忘れられない。 弱った彼女はそのとき何を思ったのだろう。どうして僕はあの時彼女の頭やあごを優しく撫でてやれなかったのだろう。

彼女は、フランは、「気分が悪いの。ねえ、撫でて」と言っていたのかもしれないのに!

あるいは「あんたはいつまでうじうじ悩んでるの。元気出しなさいよ」と言ってくれていたのかもしれないのに!

 

 

それからほどなくして8月21日がやってくる。僕はこの時、初めて愛する命の最期というものに立ち会った。そのときは困惑していて、机の上で彼女にしたことを振り返る余裕もなかったが、周りでフランに声をかけたり、号泣したりする家族を、どこか冷静な目で見ていたことは覚えている。

当然悲しくなかったわけではない。ただ、わからなかったのだ。今まで当たり前のように一緒にいたフランと、もう二度と会えなくなる。ずっと一緒にいると思っていた彼女と、もう一緒にいられなくなる。それがどういうことかが、わからなかった。

小学校3年生から高校2年だから9年だ。高校2年にとっての9年は人生の半分以上になる。それほど長い間一緒にいた彼女がいなくなる……?どんな顔をすれば正解なのか、僕に分かるはずもなかった。多分今だって、わからない。

 

僕たちにすがることもなく、自分の足で立とうとしてはがくりと崩れ、また立ち上がろうとする。目は虚ろながらもどこか一点を見つめていて、その姿が彼女の生き様のようにさえ思えた。最期まで凛々しい女性だった。

クーラーを強くかけた部屋で、彼女が火葬場に行くまでの間にカゴの中に入って冷たくなっていることに気づいた時、僕はようやく「フランともう会えない。話せない」という事実を理解した。その途端、とめどなく涙が流れてきて、僕は彼女の横にうずくまってずっと声をあげて泣いてしまう。

愛してるも、大好きも、もっと言っておけばよかった。

ありがとうも、ごめんねも、ちゃんと言っておけばよかった。

もうそれができないんだということも、ようやくそのときになってわかった。とりわけ、ごめんねを言えなかったことは、今もずっと後悔している。

火葬場で骨だけになった彼女は、嘘みたいに小さかった。あんなに頼もしかった姉が、こんなにも細い骨で立っていたのかと思うと、単純に驚いた。

 

それから2.3ヶ月立って、我が家には新しい家族ができる。まるでフランの影から生まれてきたのかと思うほど真っ黒な、生後1ヶ月に満たない子猫だった。溝にはまって親猫に忘れられていたところを、母が拾ってきたのだ。母曰く、必死に訴えかけるように「ニャアー!ニャアー!」と泣いていたのだという。

彼の名前は僕が「夜雲(ヤクモ)」と名付け、今はやっくんと呼ばれて親しまれている。フランのような凛々しさとは無縁で超がつく甘えん坊で、ビビり、引っ込み思案、鈍臭いとダメダメなヤツだが、なんだか自分を見ているようで愛してしまう。

ももうそこそこの老猫なのだが、僕は絶対に彼を看取ると心に決めている。フランにしてしまったようなことを、彼には絶対にすまいと、心に決めている。罪滅ぼしなんかではなくて、あんな想いを二度としたくないからだ。

 

ところでフランは今も実家の中庭に、母が作った立派な庭園墓地に眠っている。屋根のある小箱の中に入っているのは、骨と彼女の生前の毛を丸めて作った毛玉。今も触ると少しだけ彼女の感触を思い出せる。

 

 

フラン、今年も今日がやってきたよ。毎年言ってるけど、あの時は本当にごめんね。あと、これも毎年言ってるけど、今も愛してるよ。大好きだよ。

 

 

 

森山直太朗さんの「夏の終わり」は、僕がフランを思い出すときに必ず聴く曲だ。今年もこれを聴いて、彼女を想うことにしよう。

『プリズナー・トレーニング』という本にハマった。

 先日、表紙に描かれている『グラップラー刃牙』のビスケット・オリバと、中二病臭のすごいタイトルに惹かれて、『プリズナー・トレーニング』という本を購入した。

 

 

 

内容は、かつてアメリカの監獄で囚人たちに「コーチ」とまで呼ばれた男が、長年の服役生活で構築した自重トレーニングメソッドを開陳するというものだ。

ここ3年ほど毎週3冊程度の様々な本を買ってきた経験からして、この手の本はたいてい中身がなく、「そんな改まって言うほどのことじゃねえだろ」という話を、理屈をこねくり回して書いているだけという場合がほとんどだ。そして得てしてそういう本は1200〜1300円くらいのお手頃価格で提供される。

 

しかしこの本は税抜きで2000円もする。これは「騙されたと思っても大目に見てね」という価格ではなく、「騙されたと思って買ってくれ。後悔はさせない」という価格だ。簡単な内容のレビューだけを見てその覚悟を悟った僕は、発売から2日後にはAmazonでポチッといった。

 

中身は期待通りだった。文体こそ中二病臭たっぷりだし、多少のツッコミどころもあるものの、内容は極めて堅実。

 

・高重量のウェイトトレーニングは関節を痛め、将来的な肉体の弱体化につながる。

・自重トレーニングはやり方さえ工夫すれば自分の肉体にとってかなりの高負荷をかけられるばかりか、根本的な身体能力を引き上げる。

・自重トレーニングとはいえやり方次第では怪我につながるし、継続しにくくなる。慎重に軽い負荷かから鍛えはじめ、徐々に負荷を上げていくべきだ。

 

このように想像以上に真面目な自重トレーニング本で、しかもそのステップが写真と文章で非常にわかりやすく解説されている。そして何より、その堅実な文体で説明された先にある、自重トレーニングがかっこよすぎる。

例えば主に肩のトレーニングとなる「ハンドスタンドプッシュアップ」シリーズの最終ステップであるステップ10は、片手で逆立ちした状態で体を上下させる「ワンアーム・ハンドスタンドプッシュアップ」だ。

 

 

 

片手逆立ち腕立て伏せ……ゲームや漫画でしかありえないと思っていた荒技に、もしかすると自分でも手が届く?そう考えるとワクワクしすぎて眠れないほどだ。実際この本を読んだ夜は、早く本の内容を試したくて眠れなかった。

 

この本を読んでいない人からすると「そんなところまでいけるはずがない」と言いたくなるだろう。しかしこの本をじっくり読んでみれば「時間をかけて努力さえすれば、きっとそこまで到達できる」という確信さえ抱くことができる。それくらい、この本は真面目だ。

ただインパクトを得るためだけに「ワンアーム・ハンドスタンドプッシュアップ」の項目を設けたのではないことが、誠実な読者にはわかるのだ。

 

僕はこれまで3年ほど、ウェイトトレーニングに重きを置いてきた。理由は自重トレーニングよりも見た目が派手なので自分の気分を盛り上げやすいということと、体型を効率的に変化させるにはウェイトトレーニングの方が秀でているということだった。しかし最近、以下の理由でウェイトトレーニングへのモチベーションが下がりつつあった。

 

・これ以上筋肉が大きくなると、かなりお金をかけている好きな服が着られなくなる。実際何着かの服はすでに肩がパツンパツンで着られない。

・100kg以上の重量を扱う時の精神的なプレッシャーが辛い。一歩間違えれば事故につながるし、怪我のリスクも大きい。特に限界に近い重量を扱う時になると、意図的に精神を高ぶらせ、なかばブチギレ状態で挑まないと重さに負けてしまう。普段ぼんやりしている僕にはこれがかなりキツい作業になる。

 

僕は別にパワーリフティングの大会やボディビルの大会を目指しているわけではなく、純粋に筋トレが好きだから筋トレをしている。であれば、楽しいと思えるトレーニングを積極的に取り入れていくべきだろう。結果、僕は本の中で紹介されている6種のトレーニングを高重量種目と入れ替える形で、今のウェイトトレーニングのメニューの中に組み込むことにした。

 

まだ両手で逆立ちして腕立て伏せをするところまでも行っていないし、なんなら最終ステップが片手腕立て伏せになる「プッシュアップ」シリーズのうちの通常の腕立て伏せ(フルプッシュアップ)にも到達していない。

しかし僕は毎回この自重トレーニングプログラムに挑戦するのが楽しみで仕方がない。なぜならそれは、片手で腕立て伏せをしたり、片手で懸垂をしたり、片手で逆立ちをして腕立て伏せをしたりする未来の自分への、1本道だからだ。

やることは決まっている。なりたい姿も見えている。ならやるしかない。

 

 

 

こういう人たちみたいに体を自在に動かせるようになったら、さぞかし楽しいだろうなあ……。

 

 

追記 これくらいのモチベーションで仕事ができれば、もっとお金持ちになれるのになあ……。

だいたい20km走ってみた結果……。

先週の土曜日、ふと思い立ってだいたい20km走ってみました。結果、死にました。

 

万全の体調で臨めばもう少し楽だったのかもしれませんが、何を思ったのか走る前に筋トレで思いっきり下半身をいじめ抜いていたので、途中から大腿四頭筋の外側(外側広筋)がひきつるように痛み始め、特に集中して負荷をかけたお尻の筋肉(臀筋)と裏もも(ハムストリング)は「何こんなの知らない……こわい、こわいよお」ってなるくらい痛かったです。

 

さらには人生で10km以上の距離を走ったのが初めてだったので、「途中で水分補給が必要」なんてことも知りませんでした。 なので10kmくらい走ったあたりで「あれ?最初は滝のような汗だったのに、今汗出てないな」と思い始め、12kmくらい走ったあたりでは「あ、なんかやばい。頭フラフラしてきた」と危険を感じました。

ところが余計な荷物は持たずにできるだけ身軽で行こうと思っていたので、財布も水も持ってきていません。しかし長居公園まで走りに行っていたので、多分水を飲まないと家に帰れないということはわかります。

参ったな、やべえなと思っていたら、なんとコースの脇に水飲み場があるではありませんか!(ランニングおじさんが飲んでた) すがるように蛇口をひねり、水を飲みました。スポンジのように水が体に入っていくのがわかりました。体にも心なしか力が入ります。いやー助かった。このまま我慢してたら倒れるまではいかなくても、多分後日に響いていただろうなと思うと、ランニングおじさんには感謝です。そして、その辺の水飲んでもお腹壊さない日本という国にも感謝です。

 

しかしこのあたりからまた別の問題が発生します。それは「一定以上の距離を走ると服が擦れて乳首が痛くなる(ひどい場合は血が出る)」という問題です。今まで真面目に走ったことがなかったので知らなかったのですが、調べてみると長距離ランナー共通の悩みだそうです。

対策としては絆創膏を貼ったり、ニップレスを貼ったり、コンプレッションウェアのような擦れようがないくらい密着した服を着たりといったものがあるようです。

そんなことはつゆほども知らない僕は、「なんで?なんで乳首痛いの?すげえ痛い!走るたび痛い!」と軽いパニック。服が擦れていることに気づいてからは服を浮かしながら走ったりもしましたが、ずっとそうしているわけにもいかず、かといって浮かすのをやめればまた乳首が痛く……筋肉痛より何よりこれが辛かった。

 

とまあ、諸々の問題に歯を食いしばりながら、なんとか家の下までたどり着くまでの道のりが以下の画像です。

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もうちょい走ればきっちり20kmだったのですが、筋肉痛やら乳首の痛みやらでもうその余裕はありませんでした。目標は平均ペース1kmあたり7分だったのですが、途中結構歩いたりしたのにこの平均速度ということは、もっと落としても大丈夫ってことですかね〜。

いろいろ問題は発生するし、走ったあと5日くらいは脚の調子が万全にならないので、あまり頻繁にはできそうもありませんが、1〜2ヶ月に1回くらいは一人ハーフマラソンやりたいなと思います。

 

3kmとか5kmだと「こう走ろう」とか、場合によっては仕事とかプライベートのことを考える余裕もあります。10kmだとその余裕は途中からなくなるけど、「あとどれくらいかなあ」と考える意識の余地は残ってるんですよね。

ただ20kmになると、(今回は水分不足の影響もあったのだろうけど)途中から頭が真っ白になってきて、とにかく目の前の一歩一歩を踏み出すしかなくなってくる。うだうだ言ったって、それができなきゃ目標の距離には届かない。だからできるのは我流で詰め込んだフォームの知識と体の感覚を総動員して全身に意識を行き渡らせて、正しいフォームで一歩一歩を踏み出す。このシンプルなところにまでいくには、今の僕の場合10km以上は必要なようです。

 

そしてこのシンプルなところに行くと、辛いんだけど少し気持ちよくなってくるんです。普段の生活では絶えず渦を巻いている後頭部あたりのもやもやが、すーっと晴れていく感じ。山を登って景色や歩くことに夢中になっている時や、筋トレの最後の追い込みで筋肉に意識を集中させている時と同じ感覚です。

将来のことも、家族のことも、恋人とのことも、あるいは生まれてから現在までに起きた喜びや悲しみ、幸せだった瞬間への執着や傷ついた瞬間の絶望や怒りも、何もかもを忘れ去って思考が止まる。ただひたすら、今ここの自分に集中する。

『自由への道』という上座部仏教の偉い人が書いた本を読んでいると、この感覚はなんとなく瞑想をしている時の感覚に似ているように思います。僕は瞑想をしてもすぐにあっちこっちへ思考が飛び始める落ち着きのない子なのですが、運動している時はうまく思考がストップするみたいです。だから運動はやめられない。(でも座って瞑想して、この感覚が手に入るようにもなりたい)

 

とまあ、実用面でも思考面でも色々と学びの得られただいたい20kmでした。次は8月末ごろかなあ。

「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」論のクソっぷりについて。

 おかしいと思うんですよ、この理論。でもなんか「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」と言われると、状況を改善しようとしているだけの自分が「みんなを出し抜いて楽をしようとしているずるい人間」のように思えてきませんか?そうやって現状維持をして、一体何になるんですか?

 

これと同じ部類の理論(笑)に、「俺も昔は苦労した。だからお前も頑張れ」的なやつがありますよね。「俺も苦労したからお前も苦労しろ」っていうやつです。運動部とかでも1年生の頃に先輩にいじめられた人たちが先輩になって、「これがうちの部の伝統だから」とかわけのわからん理屈で後輩をいじめたり、という話はよく聞きます。「伝統」って言葉をそんなやすやすと口にするなよって思いますよね。本気で伝統文化を守ってる人たちに失礼じゃろうが。

 

この種の理論(笑)は結局のところ自分のエゴとか、「変化したくない」っていうサボり精神が前提にあって、それを肯定するためにあとから理屈をつけただけにすぎません。「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」というときの「みんな」は、小学生とかの子供が「みんながゲームボーイ持ってるから僕も欲しい」と駄々をこねるときの「みんな」と同一だし、そしてその「みんな」は限りなく自分と同一人物です。

 

この理屈を使う人間の頭の中では「苦労すれば、今我慢すれば、自分のようになれるぞ」というメッセージが後続者に対して込められているんだと思います。でもすくなくとも僕はそんな理屈を使うような人間にはなりたくないので、あんたと同じ苦労も我慢もしたくねえよと言いたい。

だいいち、ビジネス環境も社会環境もたった数年で一変する今の時代に「成功事例」は役に立ちません。新しいツールや価値観を取り入れてどんどん変わっていって、無駄な苦労や我慢はせずに、新しい苦労や我慢に自分の気力や体力を注ぎ込む必要があるわけです。

それも理解できずに「自分のようにやれ。全く同じようにやれ」と言っている時点で、ちょっとその……アレ(終わってる)なんですよね。

 

ただし、「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」「俺も苦労したからお前も苦労しろ」という言葉だけを受け取って「クソだ」と切り捨てるのもちょっと違うかなとは思います。

なぜなら「苦労の中身」によって、これらの言い方が意味するところは変わってくるからです。 例えば次のようなアドバイスは無視してはいけない「俺も苦労したからお前も苦労しろ」論の1つといえます。

 

「俺は問題解決のために当時考えうる限りの情報収集をして、夜を徹して分析をした。その結果、なんとか問題を解決できたんだ。当時はインターネットもスマホもなかったし、エクセルもなかったからな。全部足と手でやったよ。でも今はそれくらいのこと、誰でもできるぞ。情報収集も分析も、なんなら問題解決の方法もあちこちで手に入るからな。お前がするべきはそういう苦労じゃない。むしろ誰でもできること以上のことを生み出す苦労をしなきゃいけないぞ。その意味ではお前の方が大変だ。いっぱい考えて、いっぱい苦労しろ。そうすれば自分で仕事を作れるようになる。やりたいことがやれるようになるからな」

 

テキトーに考えたので具体性もクソもないアドバイスですが、相手の立場にきちんと立ったうえで、相手がどうするべきなのかを「苦労」という文脈で語っています。テンプレの「俺も苦労したからお前も苦労しろ」論はあくまで自分目線でしか語れないので害悪ですが、同じ「俺も苦労したからお前も苦労しろ」という話でもこうしたアドバイスには聴く価値があるわけです。

 

なので「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」「俺も苦労したからお前も苦労しろ」に類する言葉を投げかけられたら、冷静に相手のメッセージを解読する必要があります。有益なアドバイスをくれる人を切り捨てず、かつ有害な人間を人生から締め出すために、くれぐれも注意したいものですね。

10kmマラソンに参加してきました。

 22日の土曜日、神戸市住吉川沿いのランニングコースを走る「第26回 KOBE住吉川ナイトラン」に参加してきました。こういった大会に参加したのは高校のマラソン大会以降初めてだったので緊張してましたが、走り出してみると結構楽しかったです。

 

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結果は参加者65人中15位で、タイムは54分18秒でした。参加人数とかコースの規模から考えると、結構緩めの大会っぽく、他の大会のリザルトで見ると大体真ん中くらいの平々凡々なタイムのようです。2143人が参加した第15回新宿シティマラソン10kmの部では866位(上位40%くらい)でした。

ただ2117人が参加した第25回おきなわマラソン10kmの部では323位(上位15%くらい)となっており、タイムというのは誰かと比べるっていうよりここから自分を強くしていくための目安でしかないんだなということがわかります。筋トレの取り扱い重量と同じ。

 

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大会エントリーを決めてから2ヶ月ほどありましたが、その間10kmをきちんと走ったのは3回ほどしかありませんでした。ただ本番はその3回とは全くの別物で、練習なら「今日はここで終わりにしよう」と思うような場面でも「絶対走り切ったる!負けへんで!」と文字どおり歯を食いしばりながら走るガッツが出てくるので、ゴールした時の気持ち良さは1人で走りこむときの比ではありませんでした。

スクワットのボトムポジションで負けそうになったのを、気合いで挙げ切ったときと同じ「自分に勝った感覚」です(なるほどわからん)。

 

参加予定だったのに大会前日に負傷した幼なじみと、暑さが苦手な恋人の応援も、くじけそうな時に「負けへんで!」と思う大きな支えになりました。応援ってやっぱすごいよなあ。クラウドファウンディングもそうだけど、応援の力を実感するたびに「足を引っ張るより、応援する人でありたいな」という思いを強くします。

 

 

とまあ、とにかく楽しい大会だったので、このまま走ることにものめりこんでいく気配です。ただ僕の走り方が悪いのか、10km以上をあまり頻繁に走ると、古傷の右膝後十字靭帯が傷んでしまい、筋トレやら山やら自転車やらに影響が出ることがこの2ヶ月でわかりました。

フォームの矯正も必要なのかもしれませんが、今はとりあえず走り以外の趣味に重きを置いて、5〜10kmのトレーニングに徹しようと考えています。今のスピードでだいたい30〜60分で終わるのもこの距離設定の魅力で、筋トレを全力でこなした後でも行く気になるので継続可能性が大きくなります。

 

例によって「ひとり部」らしく、必要以上の時間とお金と労力をかけて、いい意味でも悪い意味でもオタク的に走ることを楽しみたいと思います。とはいってもこれまでの人生、長距離走はできるだけ避けてきた男です。なので走るのが下手です。走るのが得意な人はぜひ暇なときに走り方を教えてください。

まずは5kmを23分以下、10kmを50分以下を目指したいなあ(ゆるい)