名古屋で格闘技ジムに行ってみた結果……。
10/28〜29にかけて大学時代の友達が住む名古屋に遊びに行ってきました。けっこう前から企画していたのに、見事にこの二日間にピンポイントで台風が直撃。天候的には散々な二日間になったが、色々と面白い体験ができた小旅行でもあった。
ハイライトは一日目。
長年格闘技に親しんでいる友達の誘いで、彼が今通っている格闘技ジムの無料体験に参加した。普段自室にこもって筋トレをしているだけの僕にとっては何もかもが新しく、張り切っていた。
がしかし、自分の体が意外なほど思うように動かない。アップも満足にできないし、張り切りすぎてアップの段階で酸欠を起こし、3時間の練習のうち1時間でダウン。「普段やってるトレーニングってなんだったんだろう」とかなり落ち込んだ。
今から思えば普段やってるトレーニングとは全く性質の違うものなのだからできなくて当然なんだし、アップの段階でやった「スクワット→腕立て→クランチ→上体反らし→スクワット→…」に関しては、多分一番キレイなフォームで正しくできていた。
ちゃんと普段の積み重ねは実を結んでいたのだ。ただ「できない」「劣っている」ことに人一倍耐性がない僕は、この時点で随分打ちひしがれていた。
ところが酸欠からなんとか立ち上がって、簡単なスパーリングになると、わかっていたけど認めたくなかった「弱い自分」に直面することになる。というのは「殴るのも、殴られるのも、とんでもなく怖い。やばい」のだ。
手にはふかふかのグローブをつけているし、相手の人たちもものすごく優しくて、痛みすらないパンチを出してきてくれるのに、めちゃくちゃ怖い。
相手がこちらを見て、殴る体勢をとって、「いつでも自分を殴れる」という事実がそこにあるだけで体が強張って、足は固まって、思うように動けない。
簡単なスパーリングで恐ろしく疲れて床にへたり込んでいると、もう少し自由度の高いスパーリング練習が始まった。
ぼんやり見ていると友達が見るからに強そうな人と練習をしている。2人の間にはバチバチと火花が散るのが見えるようで、それを横から見ているだけでも僕は震え上がった。
「怖い」
ただその感情しかなかった。あんなところに入るなんて、僕には到底無理だ。それはどれだけ筋トレをして筋肉をつけたとしても、変わらないことのように思えた。
もちろん練習をして「人を殴る、殴られる」ことに慣れれば別のなのだろうけど、ベテランのおじさんのように楽しそうに殴り合いをすることなんて、そのときの僕には絶対に行き着けない世界だと感じた。
瞬間、友達のパートナーのパンチが友達の顔面をとらえる。友達は普段はおとなしいタイプの人なのだが、「やられたらやり返す」というスイッチがどこかにあって、それがONになると抑えが効かなくなる。
そのパンチは彼のそのスイッチをONにするのに十分だったようで、スパーリングは爆発的にヒートアップした。
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
僕はもう見ていられなかった。ものすごい顔をしていたのか、優しくて多分すごく強い人が「バチバチすぎて怖いよね」と話しかけてくれた。「はい、すごく」としか言えなかった。
こんな体験は、普通に生活していたら絶対にできない。ましてや基本的に手の届く範囲でしか行動しない僕の生活ならなおさらだ。
ものすごく落ち込んだし、打ちひしがれたけれど、「自分がすごく弱い」という事実と、今から考えれば「積み重ねてきた筋トレの技術」も確認できたわけで、面白い時間だったと思う。
※後者に関しては二日目、友達への背中や胸の筋トレ指導でも確認できた。まあ、その指導が彼に何かメリットを与えられたのかは定かではないのだけれど……。筋トレを教えるのは、想像以上に難しかった。
友達も言っていたのだけど「下手な護身術を使おうとするより、助けを呼んだり、逃げを打てたりする方が、よっぽど生き延びるためには効果がある」。
これはもちろん暴漢に襲われるとか、そういった緊急事態でも真理なのだろうし、人生全般においても真理のような気がした。
特に僕のように殴ることも殴られることもできない人間にとっては。
だから僕は、もっともっと逃げる技術を磨かなくちゃいけない。長く速く走れるようになるべきだし、恋人を守りたいなら彼女を背負って同じくらい長く速く走れるようになる必要がある。僕が「強く」なるとしたら、そういう心身の磨き方になるんだろう。
改めて足腰の強化と、「逃げ」の強化を心に誓う二日間だった。
こんな体験をさせてくれた彼に、心から感謝したい。
また名古屋の夜の街にも連れて行ってくれよな。
「プリズナー・トレーニング」で上位表示されてるワロタwwww
先日「『プリズナー・トレーニング』という本にハマった。」という記事を書いた。
『プリズナー・トレーニング』というタイトルの本の素晴らしさと、なぜ自分が自重筋トレにシフトしたのかについて熱っぽく語った筋トレオタクな文章である。
今日ちょっと調べることがあって、Googleのエンジンで「プリズナー・トレーニング」と検索したところ、なんと1ページ目の上から7番目にこの記事が表示されていた(笑)
Googleのキーワードプランナーで平均月間検索ボリュームを調べたら1000〜1万とのこと。
全然大した数字ではないのだけど、ふと書いた記事がこんなことになっていて、少し嬉しくなったのでご報告でした。
……っていう文章を先週書いて、下書きのまま投稿するのをすっかり忘れて一週間経ってた汗
ずっと天気悪くて、体調もすぐれず、「はああ、ブログ一週間空けちゃった。もう上位表示されてないかも」と半ば落ち込み気味に今同じKWで検索したところ……。
上から2番目に上がってたwwwwwwwwwwwww
しかもこの3番目の記事も、仕事で俺が書いたやつwwwwwwww
もはや「プリズナートレーニングの権威」みたいになってる!
こんな感じで「このKWで検索したら自分の書いた記事が上位に出てくる」っていうKWが増えていけばいいなあ。
追記---
友達に言われてシークレットモードで表示したら、正しくはブログが1ページ目9位、仕事の記事が1ページ目3位でした。調子乗りました(笑)
猫って誠実。
9月20日から10月2日まで、僕の母は海外に滞在していた。
母が家をこんなに長く空けるのは、多分20年以上ぶりのことだ。
ただ幼い頃の僕とは違って、2週間母と離れたからといって困ることはあまりない。
問題は我が家の王子、黒猫の夜雲(以下やっくん)である。
彼は生まれてこのかた母と4泊5日以上離れたことがない。
いつでも母にべったりで、母が一泊以上家を空けると絶望した表情になって食欲をなくしたり、排泄が悪くなったりするほど彼女を愛している。
しかも10歳を超える老猫でもある。
だから僕は正直なところ、母の海外行きに反対だった。
やっくんは母がいないと文字どおり生きていけない。
大阪には僕と父が残っているが、やっくんは基本的に「お母さんさえいればいいにゃ」なので、僕たちを頼るということを知らない。
なんならイマイチ信用できないとさえ感じている。
そんな状況に少しの体調不良が命取りになりかねない老猫を置くのは、酷だと思った。
しかし行ってしまったものは仕方ない。
僕は自分で言うのもなんだが、献身的にやっくんに尽くした。
毎朝8時に起床してやっくんに声をかけ、撫でて欲しいといえば彼が飽きるまで撫でてやり、とりあえず近くにいようと適度な距離を保ってあとをついて歩いたりもした。
トイレ掃除やご飯の管理、水の入れ替えはもちろんのこと、夜のお散歩に同行して食べ方が下手で自分では食べられない猫草を一枚一枚口に運んだりもした。
やっくんが何か文句をいえば「ふんふん、それで?」「なるほどなあ」と相槌を打つ。
仕事でやっくんの近くを離れる時は「あっちにおるからね」と一声かけて仕事に戻る。
最初の週末は父も外泊していたので夜中に
「生まれて始めて1人で過ごす夜は辛かろう……。やっくんが心配だ」
といてもたってもいられず、彼の寝床の近くの母のベッドで眠った。
(夜中に「散歩行きたい!連れてって!」と声をかけてきた。可愛い。)
注げるだけの愛情を注ぎ、行動で示した。
するとどうだろう、1週間を過ぎたあたりからやっくんの僕に対する態度が変わり始めた。
朝声をかけると「にゃんにゃーん」と返事をして駆け寄ってきたり、明らかに一緒にいて欲しそうにしていたり、ついてきて欲しそうにしたりするようになった。
マンションを散歩していても僕に対しては全く警戒しない。
むしろ家の外という状況にもかかわらず甘えた声を出してくれるようになった。
(前は僕に対してもすごく警戒していた)
そうでないときでも僕に対して何か伝えようと、「うんにゃー」「にゃーふ」「んなー」「ひゃひゃーん」など色々な言葉を使ってくれるようになった。
僕を「話の通じる相手」「そこそこ信用してもいい相手」と思ってくれているようなのだ。
やっくんの変化からわかったのは、彼は注いだ愛の分だけ愛し返してくれるということ。
僕が今やっているようなことは、これまで母の領分だった。
もちろん今までも僕はやっくんを愛していたけれど、それを行動で示したことはなかった。
ただ今回、きちんと愛を表現したら、彼はきちんと返してくれたのだ。
これはものすごく誠実な態度だと思う。
人間はどれだけ愛を注いでいても、その愛に応えてくれないことが多い。
あまつさえ裏切る人間もいる。
もちろんそこには色々な事情があったりもするわけだけど、やっぱりそこにやっくんのような誠実さはないように思う。
僕は常日頃、やっくんを尊敬していた。
(母以外には)頓着せず、何か文句があっても「うんにゃー」などのオブラートに包み、基本的にぼんやりのんびりしている。
そんな彼の鷹揚さを、前から見習いたいと思っていた。
しかし今回のことで、もっと彼を尊敬するに至った。
やっくんの誠実さは、人間界では稀有で尊敬に値する。
僕は猫のようになりたい、いややっくんのようになりたい。
鬱と筋トレと食事。
僕はあまり食事に興味がない。
美味しいものを食べるために行列に並んだり、スーパーに並んでいるものの何倍もするような肉とか野菜を買ったり、高価そうな場所ででっかいお皿にちょこんと載った高価そうな料理を食べたり、そういうことには興味がない。
美味しいものは好きだし、高い食材や料理が値段相応に美味しいことも、まあある程度は知っている。
ただ僕の「最高の食事」の基準は「丁寧にとった出汁で作ったつゆで食べる冷凍うどん」とか、「水も料理酒も使わずに素材の水分だけで煮込んだスーパーの白菜」あたりで頭を打っている。
だからそれ以上美味しいものが来ても「まあ別に冷凍うどんでもいいかな」とか思ってしまう。
もちろん誰かと一緒にとる食事には、食事以上の価値があると考えているが、やっぱり食事自体についてはその価値をイマイチ理解できていなかったりするのだ。
そんな調子だから、気分が落ち込んで鬱っぽくなると極端に食事をするのが面倒になる。
心療内科にかかって薬をもらっていた時期のように、何を食べても砂利を噛むような感覚にまではならないものの、何かを食べるくらいなら横になっていたいという気持ちが先行する。
以前はその気持ちに身を任せて一日中ほとんど何も食べない日があったりもした。
ひどい時は丸二日飲まず食わずだったこともある。
それくらい、僕は食事に興味がない。
だがここ数年で、どんなにしんどくても栄養状態だけは常に充実しているようになった。
精神的に健康的な食事ではないかもしれないが、肉体的にはそんじょそこらの健康食レストランよりも健康的だったりする。
僕はこれをひとえに筋トレのおかげだと思っている。
プロ・ボディビル大会の最高峰「ミスター・オリンピア」の初代チャンプ、ラリー・スコットは自分が成功した秘訣として「食事8割、運動2割」と語ったという。
それくらい体づくりには食事が重要だ。
どんなにハードにトレーニングしていても、食事で十分な栄養素をとらないと筋肉がつかないどころか、落ちてしまう。
できあがるのは単に痩せただけのみすぼらしい体だ。
別に筋トレをして誰かに見せようというわけではないが、どうせハードにトレーニングするなら自分で見て納得のいく結果が欲しい。
だから僕は「筋トレのために食べなくてはならない」。
この「筋トレのために食べなくてはならない」という意識が、鬱状態の僕を食事に向き合わせる。
「義務で食べるご飯なんて美味しくなさそう」と思う向きもあるだろうが、僕の「最高の食事」の基準は低いのでそこそこ美味しければ何でも十分美味しいし、毎日ほとんど同じものを食べても苦にならない。
例えば僕の最近の食事は概ね以下の献立で構成されている。
<朝食>
・1:2=玄米:白米の比率でまとめて一升炊いたご飯0.5合 →圧力鍋で炊いているので、安いコメでもそこそこ美味しい。
・全卵2個 →1日のうちトップクラスの脂質源。味付けは気分によって変わる。
・BCAA →バリン、ロイシン、イソロイシンという分岐鎖アミノ酸で構成されるサプリメント。効果はよくわからんが、味が美味しいので朝飲む。タンパク質換算で5g。
<昼食>
・オートミール80g →4倍量の水で炊いて、中華の素とかだしの素で味付け。これは本当に美味しい。
・豆腐一丁もしくは鶏胸肉150g →豆腐の場合は適当に手で崩してオートミールと一緒に煮る。鶏胸肉は最近フードプロセッサーでミンチにして鰹節の粉末と生姜、白ネギ、パン粉、醤油と一緒に混ぜた鶏ハンバーグとして食べることが多い。フープロ便利。
・なんか適当に野菜 →その時々に冷蔵庫にある野菜を炒めるなり、煮るなりする。場合によっては作り置きの野菜のおかずを食べる。
<間食>
・全粒粉パンケーキ →全粒粉100g、低脂肪乳150ml、ふくらし粉だけで作る。もともとオートミールをフープロで破砕した粉末を使っていたが、正直あんまり美味しくないうえに手間がかかるので粉を変えた。はちみつや砂糖不使用のジャムで食べる。
・プロテインシェイク →全部で48gのプロテインを水で飲む。
・ミックスナッツ15〜20g
・干しイチジク10〜20g
<夕食>
・朝食べたご飯を0.5合
・鶏胸肉150g
・なんか適当に野菜。
三大栄養素はともかくビタミンやミネラルが不足しそうな食事内容だが、毎食ディアナチュラの「マルチビタミンミネラルSTRONG」と「カルシウム・マグネシウム・亜鉛」を規定量飲むことでカバーしているつもりになっている。
正直三大栄養素をしっかりとるのでいっぱいいっぱいで、ここからさらに野菜を必要量食べるのは胃袋的・モチベーション的に無理がある。
摂らないよりはマシだろうから、サプリメントでとることを選んだ。
この食事を元気な時も、元気がない時も続けているので、もし調子が悪くなっても「食事が原因ではない」ことだけはすぐにわかる。
仮に食べる量が減っていてもすぐにわかるので、「これくらい食べればいつもと同じ」という目処もすぐにつく。
食事が大好きな人にとっては鬱になるような内容かもしれないが、僕にとっては驚くほど精神のコンディション管理に役立っているのだ。
だから本当に「筋トレをしていてよかったな」と思う。
もし筋トレをしていなかったら、今も漫然と絶食したり、あるいは暴食したりして、食事が原因でコンディションを崩すことも多くなっていただろう。
怪我で中断していた筋トレも、昨日から再開した。
メニューも大幅に見直し、今まで1回1時間かけていたところを30分程度で終わるように種目数やセット数を減らした。
オフは8月の週3〜4日より少ない2日になったが、有酸素運動も減らすし、メイン種目に自重種目を設定しているので、毎日の疲労度は総じて低下するはずだ。
これからも筋トレはずっと続けていきたい。
やりすぎや無謀にならないよう、しかし目標は過剰に。
ゆっくりじっくり強くなっていく。
食事はやっぱりそのための「作業」だなあ……。
怪我が原因で筋トレ1ヶ月休んだ結果……。
前回のエントリーで、僕が夏のオーバーワークのせいであちこちを痛めた挙句、突発性難聴になって困っているという話をした。別に何か大会とかの目標があってやっているトレーニングではないので、8月半ばからジョギングを、9月頭からは手首を使う筋トレを、先週からは筋トレそのものを休止としていた。
正直ジョギングにしろ、筋トレにしろ、初めは休止なんてしたくなかった。多くのトレーニー(筋トレをする人)が「筋肉はそう簡単には落ちない」といったって、3年以上欠かさずにやってきた習慣を止めるのには勇気がいる。
「やっぱり筋肉は落ちるんじゃないか」
「そうでなくても脂肪がついてだらしない体になるんじゃないか」
そんな不安が頭をよぎる。誰に見せる体でもないのだけど、やっぱりせっかく作り上げたものを失うのは嫌なものだ。
だが結論から言えば、1ヶ月のトレーニング休止によって、僕の体に目に見えるような劣化はほとんどなかったのだ。
むしろ筋肉にハリが出て、休養前よりもひと回り大きくなったようにすら思える。体重も体脂肪率もほとんど変化はなく、僕の部屋にある体組成計で体重63kg弱、体脂肪率9%弱をずっとうろうろし続けていた。これでも途中で摂取カロリーを増やして2,200kcalに設定し、ちょっと無理して食事をしているくらいなのに、体重も体脂肪率も維持できている。
いやはや3年間の蓄積というのは、なかなかどうして堅固なものである。
この経験から得られる教訓は「筋トレで怪我したらすぐに休め」である。
だましだましやればやるほど怪我は悪化し、筋トレの質も低下し、結果にもつながらない。怪我の痛みは日常生活にも悪影響を及ぼすし、精神衛生上もよくない。努力して作り上げた筋肉はそう簡単には落ちないのだから、食事にだけは気をつけつつ、さっさと休養に入ってストレッチなりなんなり、別の方向に関心を向けた方が良い。
本当に貴重な学びを得たと思う。
一昨日くらいから突発性難聴も鳴りを潜め、今ではほとんど耳の違和感もない。今週木曜日までは点滴の治療があるけれど、そのあとはまた少しずつトレーニングができるだろう。もうすでに今回の経験を生かした筋トレメニューは立ててある。今から試すのが楽しみだ。