ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

「筋トレ後の追い込みアイソメトリクス」がどマゾの俺にめっちゃいい話

最近YouTubeでこんな動画を見ました。

簡単にいうと、ウェイトとか使って筋トレした直後に使った筋肉に力を入れてさらに追い込むと、筋肉がめちゃくちゃパンプ(充血)するよ、という話です。

このパンプっていうのはいわゆる「筋肉が張ってる」状態です。なので別に筋肉を強くしたり、大きくしたり(筋肥大)する筋トレには意味ないんじゃないか、みたいに考えてる人も多いんですが、実は違うみたいです。

 

その辺の話は同じYouTubeの人がこちらの動画で話してくれています。さすがは筋トレYouTube界の父と言われる加藤昌平さんだぜ。加藤さんによるパンプの重要性を整理すると以下の通り。

 

・筋トレによって筋肉に疲労物質がたまる。

・パンプ(充血)することでこの疲労物質を洗い流し、さらにそこに栄養素を流し込む。

・だからパンプが大事。

 

もちろんパンプ=筋肥大ではないので、パンプしてりゃいいってわけでもないんですが、やっぱパンプ大事だよねって話なわけです。

この話に「ほほう、なるほど……」と思ったので、早速最初の動画の内容を実践してみました。結果は「筋肥大するかどうかはまだわからんが、めっちゃ気持ちいい」でした。

 

僕は筋トレ直後に使った筋肉に力を入れるのに、いわゆる「アイソメトリクストレーニング」を取り入れています。

 

アイソメトリクストレーニングっていうのはこういうやつですね。胸の前で合唱して力を入れるとか、そういうやつ。

思いっきりウェイトで追い込んだ後にこれをやるとですね、マジでそこの筋肉がちぎれるんじゃないかっていうくらい筋肉に痛みが走るんですよ。これが筋肉の付け根(いわゆる「筋」)とかだと怪我かもなんですけど、そうじゃない。むしろ筋肉の真ん中くらいにビチビチブチブチィ!みたいな痛みが走る。「筋線維引きちぎってまっす!」って感じです。

 

これがねえ…気持ちいい(笑)「俺鍛えてるなあ、追い込んでるなあ」っていう実感がめちゃくちゃ湧いてくるんですよ。

その日のパンプも激しくなりますし、次の日の筋肉痛も凄まじいです。続けてれば効果もあるかもしれない。でもそういう効果とかはおいといて、


「へ〜」と思った方はぜひ試してみてください。

テーマは「毎日の充実」と「やってみる」

 

新年からの12日連続小説投稿、読んでいただいた方はいかがだったでしょうか。手前味噌ではありますが、やっぱりこの小説は傑作だよなあと思います。高知大生はマジ必読。

 

ということで今年1本目の普通の文章になるので「今年の抱負は〜」とかって書き始めようとも思ったんですが、去年も同じようなことして見事に目標ごと忘れ去ったなあと思い直し、今年はだいぶゆるい設定にしました。

すなわち

1.「なんかこれ欲しい!やばい!」みたいなお金の使い方でなくて、「毎日使うもの」に特化してお金をかける。

2.今までバカにしてやってこなかったこと=「なんかよくわかんなくて怖い」と思ってやってこなかったことを実践してみる。

この2つだけ、ざっくりと決めました。

 

1つ目に関しては、去年の反省が色濃く反映されています。去年はマジで服買いすぎた。狂ったように金を使った。にもかかわらず、僕はあんまり外に出ないので、あんまり着ないんですよね。主に眺めて袖を通して、悦に入るだけ。いやそれでも結構楽しいし、今僕のクローゼットにはマジで好きな服しかありません。ただやっぱりこれって際限がないし、何よりお金が死んでる気がする。

ということで多少高くても毎日使うもの、例えば椅子とか机とか、棚とか、あとは下着とかにお金をかけようと思っています。すでにダイニングセットとローテーブルは揃いつつあるんですが、いかんせんまともに家具を買うのが初めてなので、失敗も少々。具体的には中古の有名メーカーの家具を買ったら意外と傷んでたって話なんですが、まあこれも勉強かなと考えています。

思えば服も「失敗したな」と思わなくなったのは随分失敗を重ねてからだし、はじめてのジャンルで失敗するのは当然なんですよね。今回買った家具を何年か、あるいは十何年か使ったら、次の家具はきっと有名メーカーの新品を買うんだ。そう心に決めました。今は今できる買い物をするだけだ。

基本は全部無垢材のオイル仕上げのものを買って、自分でお守りをしながら大切に使っていく所存。ダイニングテーブルで本を読むのが好きなので、座面の高さと机の天板の高さには必要以上にこだわりました。結果テーブルは天板の厚みを妥協して、比較的安くでオーダーすることに。さてどんなのがくるかなあ。

 

2つ目の「今までバカにしてやってこなかったこと=『なんかよくわかんなくて怖い』と思ってやってこなかったことを実践してみる」に関しては去年のユニバーサルスタジオとディズニーでの体験が生きています。あんなに嫌いで、怖くて、バカにしていたテーマパークが楽しかったんだから、多分今までそうやって避けてきたもののほとんどは楽しかったんじゃないか、と思ったわけです。今現在、「なんかよくわかんなくて怖い」と思っているのは、以下の活動です。

 

クラブで朝まで踊る?飲む?遊ぶ?みたいなやつ。明らかに自分とは違う毛色の人しかいない気がするけど、音楽によっては楽しめるかも。でもかなり怖い。

アイドルや声優のライブとかリリースイベントへの参加。最近アイドルのよさみたいなものが仕事を通じて分かってきて、同時に結構真面目に好きだなって思う声優さんもできてきた。なのでイベントに参加してみたいんだけど、これもやっぱり怖い。ノリ間違えたりしたら怒られるのではないか、とか思ってしまう。でもかなり興味はある。我を忘れてはしゃいでみたい。

何かの資格を取る、しかも結構お金がかかるやつ。「資格資格って、勝負すんのは自分だろ」とか知った顔してみるけど、それって多分自分が資格取得のために頑張れないんだけなんじゃないかと思い始めていて。「そんなたけえ資格とってバカじゃねえのか」とか言ってるのは、多分その資格に投資して、ちゃんと元を取る覚悟ができないだけなんだと思う。だから実際にやってみたい。今考えているのは筋トレ義兄弟にすすめられた「アスリートフードマイスター」。

海外に行く。これは今年はやりたくない。怖すぎる。もうめっちゃ怖い。意味がわからん。食べ物は口に合わず、水で腹を壊し、強盗やスリの恐怖に怯え、汚いトイレで用を足すために金を払う。なんて酔狂なんだ(悪いイメージばかり先走っているのは知っている)。でもそれだけに、いつか必ず行ってみたい。海外の山も興味がある。

 

この他に「行列に並んで、ホイップクリームとかアイスクリームとか載っとる、わけのわからんくらい高いパンケーキを食べる」「大した筋肉してないのに、インスタとかYouTubeに筋トレ画像とか動画を挙げる」というのもありましたが、これはもうやってしまった。結論は、「どっちも思った以上に楽しい」でした。

 

パンケーキに関しては平日ばっかり攻めるせいで行列には並べていないのだけど、普通に美味しい。「パンケーキ=ホットケーキやろ、何がパンケーキじゃ。小麦粉の塊やろが」と思ってたが、違った。あれはパンケーキだと思います。家庭で作るのは難しそうだし、ああいう可愛いお店で食べるとなおさら美味しい食べ物なんだと思いました。

 

筋トレ動画を年末くらいからすでに10本くらい、Instagramに投稿しています。ハッシュタグもバカにしていたところがあったんだけど、これが結構楽しくて、全く知らない筋トレ好きの人がハッシュタグ伝いでいいねしてくれたり、フォローしてくれたりするとやっぱり嬉しいです。それに「このセットの動画をあげよう」と思って筋トレをすると、いつもより力が出たりして、筋トレにとっても刺激になっています。これは本当に予想外だった。張り合いが出ます。

 

 

今年は仕事の方もそこそこ挑戦的な年になりそうなのだけど、まあぼちぼち仕事以外も頑張っていきたいなと思います。なぜならしょうもないことこそ人生なのだし、楽しくなくちゃ生きてる意味なんてないからです。いや仕事も楽しいんですけどね、やっぱりしょうもなくはないですからね。さてさて、2018年も残すところあと11.5ヶ月。やっていきましょ。

 

『岸田アパート物語』12号室

しばらく誰も話さずに、テレビの音だけが流れていた。ここ一年ほどで一気にトップアイドルグループにまでのし上がったYSP(やきそばパン)48のメンバーの一人が、芸人に囲まれて何を話せばいいのかわからないと言った表情を隠しきれずに、とりあえずの笑顔を浮かべている。


 私がこのアパートに気楽に来れるようになったのは、四年生になってからである。郷田との河原での邂逅のあとも、勉学に打ち込み続けたから、というのもある。と言っても、それまで没頭していた「哲学」界隈の勉強ではなく、「文化史」と呼ばれる学問の方に鼻息荒くして臨んでいたのであった。それは、それまでの使命感による勉学ではなく、好奇心に基づく勉学であった。結果どうしても岸田を訪れる頻度は少なくならざるを得なかったのである。本を読むという理由で岸田の集まりを断っていたこともある。
 しかし、どうしてかは言葉では説明しがたいが、四年生になってここに来る頻度が日増しに高まっていった。私にとってこの場所がすこぶる居心地のいい場所になっていったのであろう。ともに飯を食い、酒を飲み、ゲームをし、とにかく笑う。そうすることに何のためらいもなくなった頃から、ここが私の居場所になったのだ。
 この一年のどうでもいいような時間が、何とはなしに頭によぎって、私は少し鼻の頭がツンとした。
「ど、どないしたん、草さん! 泣いとるやん」
森野が驚いた様子で私の方を見て言う。
「い、いや……」
私は急いで目から滲みだしたものを拭うのだが、いくらやっても視界はまたすぐ滲むのだ。
「寂しいか、草さん!」
突然起き上がった郷田が、その巨大な手のひらでバチンと私の背中をたたく。
「うん、寂しいぞ!」
「俺も、俺もさみしい! けどまだ泣くのは早いで!」
彼の声も少なからず滲んでいる。
「う、うむ……ところで森野」
「ん、どうした」
「これ、美味いな」
私がそう言うと、彼はそうか、ありがとう、とそう言って、フハハハハと素敵に笑った。

 


一月三〇日.

 人間は覚える生き物であると同時に、忘れる生き物である。記憶の容れ物に入りきらないもの、あるいは必要性がないものをどんどん消していってしまう。そうでなければ入れ物がいっぱいになってしまい、パンクしてしまうのだ。中学生の時、学習塾の講師に忘却曲線というものの話を聞かされたことがある。なぜか私はそれを案出したヘルマン・エビングハウスという心理学者の名前だけが記憶にこびりつき、他の細かい内容は失念してしまっているが、講師の話の大意は「繰り返し覚え直せ」だったと思う。
しかし、覚え直すに値する情報であればそうするが、その価値もないのに繰り返し覚え直していてはいくら命があっても足りない。だから私たちの記憶は、要るものと要らないものを意識的ないし無意識的に選別し、要るものだけを収容しているのである(ただしその選別がいつも正しいとは限らない)。


 私は自分の誕生日を忘れていた。
 私はそのことに郷田からの電話で気付いた。その時私は遅い昼食を済ませて机に向かっていたところであった。一年生の時に買ったまま押入れの奥底にしまっていた谷崎の『細雪』を読み進めていたのである。結婚するならやはり雪子さんであろうか、などと決して叶うことも想う甲斐もない妄想などしながら、雪子さんが東京へと連れられて行って寂しい思いをしている場面にグスリとしていると、携帯電話が鳴ったのである。
「もしもし」
「誕生日おめでとう、草さん」
「え」
「え、やないで。誕生日やろ、今日」
「そうだったか、すっかり忘れていた」
「岸田でお祝いするから、今日七時ぐらいに来てや」
「それは本当か。すまないな」
「当たり前や。ほなまたな」
電話を切った後、私は少し感慨に浸っていた。正直に言って、嬉しかったのである。大学に入って以来、ろくな交友関係を持ってこなかった私には誕生日を祝ってくれる友人などいなかったのだ。加えてこの時期は去年まではテスト期間であるために、レポートやら勉強やらに追われていて、自分自身それどころではなかった。そんなこんなで三年も自他ともに祝うということがなかったこの一月三〇日という日は、いつしか「何も特別な日ではない」と私の記憶中枢に判断されるにいたったのである。
「誕生日パーティーというやつか……何を着ようか……」
などと浮かれた悩みごとなどしてみたくなるのも無理はないと言えよう。しかしながら、私はいつでも冷静である。その悩みとともにフワフワフワと五分ばかり宙に浮いたあと、騒ぎすぎて汚れても嫌なので、いつも通りの格好で行くことに決めた。


 私は余っていた卵で三本ほどたまご焼きを作り、それを手に七時ごろ岸田に出向く。何だか妙に緊張してしまう。何しろ友人に祝われる初めての誕生日である。初めて、というのはいくつになっても緊張するものだ。私は努めて冷静を装いながら、会場だと指示された郷田の家の扉を開けた。しかし、中は明かりもついておらず、ひどく暗い。
「……どういうことだろう」
私は思案した。郷田の事だからいつものように時間ぎりぎりになって買い出しに出たために、七時に間に合わなかったという可能性は大いにあり得る。しっかりしていそうで、意外と抜けているのがあの大男の魅力でもあるのだが、当然玉にキズでもある。
「とりあえず、電気をつけよう」
私は手探りで壁のスイッチを探し当て、その一番上のスイッチを入れた。それが郷田の家の居間の電気に通じているのだ。チカチカチカと点灯しつつ、明かりがついた。
「ハッピーバースデイ!」
パンパンパンパンッと破裂音が連続して四回聞こえた。クラッカーを鳴らしたのは郷田と森野である。私の気は物凄い音を立てて動転している。
「び、びっくりし、した」
「びっくりしすぎやろ、草さん」
郷田ががっはっはと笑う。
「し、しかし、しかしだな……」
私はようやく気を確かにすると、自分の状況を把握した。私の腕や頭にはクラッカーから出た紙吹雪やらなんやらが絡みついており、キラキラキラと輝いている。なんだかまさに誕生日パーティーではないか。私は胸の底からこみあげる嬉しさを感じた。
「うふ、うふ、むふふ」
「や、やばい、郷田、草さんがおかしくなった! びっくりさせすぎたかな」
「ち、違うんだ、嬉しくて、とても嬉しくて、なんだかこうこみあげてきたのだ」
私がそう言うと、そうか、そうか、ならよかった、と森野は笑って言った。
「今日な、草さん。ほんまは他にも呼んだんやけど、みんなテストやらなんやらいうて来られへんのやて。俺と郷田の、二人だけですまんけど……」
「い、いや、それで十分すぎるぐらいだ。私はとても嬉しい」
「あ、あと香織も遅れて来るって」
台所で料理をしている郷田が居間の方に顔を出して言う。
「なら、もっと嬉しい。本当にありがとう」
私がそう言うと、
「まだ何も食ってないし、飲んでもおらんのに喜びすぎやで」
と森野が自分も嬉しそうに言ってくれた。
「いやあ、私は友人に祝ってもらうのが初めてだから、それだけで嬉しいのだ。ただ、こんなに嬉しいとは思わなかったが」
「ほしたらこれから、草さんぶっ倒れるぐらいうれしなるんとちゃうか。今日の飯やら酒はなかなかええもんつこてるで」
「のぞむところだ。ぶっ倒れるぐらい飲みたい気分だ。うふ、うふ、むふふ」
 私たちはそれから三人で鍋をつつき、酒を飲んだ。確かにその日の鍋にはいつもより高価な食べ物が入っていた。豆腐は一丁三九円のものではなく一丁九八円するものだったし、豚肉も一〇〇グラム八九円の豪州産のものではなく一三八円の国産のもののようである。白菜などの人参もいつもより甘い。どこで買ったのだと尋ねたが、
「俺だけの秘密の店やからな、内緒や」
といって郷田は口を割らなかった。ひょっとすると山の中にでも秘密な田畑でもあるのかもしれない、と思った。それはそれでなかなかロマンチックな想像である。
「そうだ、ロマンチックで思い出した」
「何やロマンチックて、そんな話したか?」
「え、あ、いや、頭の中で」
「なにそれ」
フハハハハと森野は笑って、それで? と先を促した。


「森野は里美ちゃんと、いったいぜんたいどうなのだ?」
「お、草さん、いきなり切りこむねえ」
郷田が囃し立てる。
「どうって、何が」
「むう、じれったい。好きなのかそうでないのか、と聞いているのだ」
「好き……かあ」
森野はコップに残った焼酎をぐいっと飲んで、もう一杯、と言いながら考える様子を見せる。
「なんやなんや、えらい焦らすやん」
「いやだって、好き、ってよくわからんしなあ」
「では、どんなふうに思う」
「まあ、居心地は悪くない、かな。長いこと一緒におっても苦痛やないし」
「なるほど……」
「でも、あれは、里美ちゃんは明らかにお前の事好いとるやろう」
「貴様、郷田、それは!」
言ってはいけないことだと私が言おうとしたところ、
「うん、まあ、それはわかっとるけどな。向こうがどうこうしたいって言うてきたわけでもないし」
私は驚きを隠せない。鈍い鈍いと思っていた森野が、よもや里美ちゃんの気持ちに気付いているなどとは思わなかったのである。
「森野、気づいていたのか」
「そらなあ、弘毅にあれで、俺にあれやからなあ」
森野はそこで初めて少し照れたような顔をした。口元が緩んでいる。
「これからどうすんのん」
「俺は別に。付き合ったりするといろいろ面倒やろ。今のままでいい。里美ちゃんから言うてけえへんことには、何も変わらんやろな」
森野の控え目ながら、誠実そうなもの言いに、ああこの男はしっかりちゃっかり里美ちゃんに惹かれているのだということが分かった。私は盟友として、胸の内で彼女に祝福の言葉を述べた。


「そんなん言うてる草さんは?」
「何がだ」
「女の子関係、どうすんの」
「私にはそのようなものはない、と前から言っているだろう」
「もう、草さん、草臭いわ」
「それは私の名前への侮辱と受け取っていいのか」
郷田の冗談に私は報復として脇腹を刺激する行動に出る。二人でじゃれていると、駐輪場にバイクの停まる音がする。エンジン音からするに香織嬢だ。
「おお、香織嬢が帰ってきたぞ。酒を注がせてもらおう」
私がそう言ってコップの準備をし始めると、俄に森野がニヤニヤニヤとし始め、郷田はむしろ居住まいを正している。
「何だ、どうした」
「草さん、いよいよお待ちかねの時間や」
「何のことだ? 何なのだ、郷田」
郷田は私の眼をまっすぐとみて、言った。私はその言葉に、胸がビクリとした。


「文通の相手に、逢いたないか、草さん?」
「どうして、それを……香織嬢に聞いたのか?」
脳裏に数日前の花火の夜が舞い戻る。あの時した話を彼女が彼らにしたのかもしれない。別段気にはしないが、それにしても逢いたくないかというのはおかしい。
「逢いたないんか、逢いたいんか、どっちや」
有無を言わせぬ郷田の視線が、私を射る。
「た、確かに、逢いたいとは、思う」
「なんで逢いたい。好きなんか?」
「惹かれては、いる……しかし、私は!」
私は同時に佳菜子さんの事を忘却したわけではない。何度も何度も彼女の事を思い出しては、記憶の容れ物に収納し直している。
「わかっとる、それはええ。とにかく、惹かれとんねんな?」
「う、うむ」
「よっしゃ、香織、連れて入ったって」
郷田がそう言うと、はーい、という香織嬢の声とともに扉が開いた。私が唖然としながらそちらを見るとそこには―――佳菜子さんが立っていた。
「先日は、どうも」
と彼女は外気の冷たさにあからんだ顔をして言った。
「い、いえ、こちらこそ」
私たちはお互いに顔を見合わせて、それからしばらく黙ったまま、その予想だにしなかった対面を受け入れようとしていた。しかし、その様子を見かねたのだろうか、しばらくして郷田がこう言った。
「まあまあ、とりあえず二人とも座りや」
その声にようやく我に返った私は、近くの敷物を佳菜子さんに勧め、私もその近くに座った。そして、改めて私は彼女に尋ねた。
「どうして、佳菜子さんがここに? 佳菜子さんが私の文通相手というのは?」
気が動転しているのは彼女も同じらしく、頭の中で自分を取り巻く状況について整理している様子で、話し始めた。
「私も、実はよくわかっていないのです。先ほど突然香織さんが私の家に訪ねていらっしゃって、文通相手に逢いたくないか、と」
それで彼女は、ぜひ逢いたい、と答えた。
「けれども、どうして香織さんが私の文通をしていることを知っているのか、どうしてその相手のことまで知っているのか、ということについては全く私もわかっていないのです」
言われるがままにここへ来たら、草人さんがいて……と、彼女はそこで顔を赤らめてうつむいてしまった。先刻の私の言葉を思い出したのだろう。私だって赤くなる。
「ということは、佳菜子さんも私とさして変わらない状況のようです」
私はそう言って、郷田の方へ体を向けた。
「説明、してくれるのだろうな。確かに私はこの状況に歓喜するにやぶさかではない、やぶさかではないが、この奇々怪々の状況を理解しなければ堂々と喜ぶこともできん」
郷田が、では、と一言前置きをして、こう話し始めた。


「ことの発端は、ふた月ほど前から草さんがどうやら佳菜子ちゃんのことをまた思い出しているというのがわかったからや」
「な、なぜわかった」
と言うよりもその話をされるのがこの場ではすこぶる恥ずかしい、ということはすこぶる恥ずかしくて言えない。
「まあ、わかりやすかったからなあ」
郷田の代わりに森野が答える。
「それでまあ、香織に頼んで方々聞いて回ったところ、どうやら佳菜子ちゃんもよう似た想いやっていうのがわかったんや」
となりで彼女が小さくなるのが分かる。
「んで、二人をくっつけようって話しになったんやけど、や」
彼はそこで一呼吸置いて、自分のコップに酒を注ぎ足してから、続けた。壁掛け時計の秒針の音が響く。
「佳菜子ちゃんはともかく、強情で意地っ張りで、一度決めたらなかなか自分を曲げようとせえへん、もっと言えば決めた自分の方針に縛られて身動きとれんくなる草さんの性質から言うと」
酷い言われようである。
「絶対に俺らが、佳菜子ちゃんもこう思てるからヨリ戻せ、言うたところで聞かへんにきまっとる、ってことになってな。それで俺が策を凝らしたんや」


郷田はまず、私が彼に勧めたスパイ映画『メカは意外と泳ぐのが遅い』を着想に、スパイ募集ではなく文通相手募集の貼り紙を拵えた。それが私の家にはじめに出現したあの文章である。私はまんまとそれに引っ掛かったのだ。郷田はそれを確認するや否や、佳菜子さん宅の郵便桶に同じような内容の手紙を投函した。佳菜子ちゃんは素直だから普通の渡し方でいいと思った、と郷田は言った。とことん失敬千万な男である。私だって素直である。とにもかくにも、彼女も文通の誘いに乗り、舞台の前提は整った。
 彼は香織嬢や森野とともに我々のはじめの手紙を検証した。というのも、私と佳菜子さんはどちらも相手から文通を持ちかけてきたと思っている。そのままただ手紙のやり取りをさせてしまうと、いつまでも話題はすれ違い続けるのである。そのために、彼らはどちらか一方の手紙を握りつぶしてしまう必要があった。結果、佳菜子さんの一通目がその憂き目にあうことになった(ごめんな、と郷田は謝った)。このことにより、話題のすれ違いという問題は解消される。


 しかし、解決するべき問題がもう一つあった。まっとうな手段で始めていないこの文通は、手紙の交換そのものが困難を極めたのだ。私の方は段ボール箱の貼り紙、佳菜子さんに対しては住所を突き止められても困ると言うので架空の住所を使っていた。誰かが仲介しなければならないのである。そのことで頭を抱えていた郷田に手を差し伸べたのが、森野である。
彼は私の件に関しては例のサイトを作らせ、香織嬢に対してもまた一計を案じた。彼は学校の近くの郵便局に勤務している先輩に頼みこみ、香織嬢が投函する手紙をそこで留めてもらい、それを郷田が回収する、というシステムを作ったのだ。こうして彼らは私たちの不自然な文通を成立させてしまったのだった。
 こうして当人たちは奇妙に思いながらも楽しげに文のやり取りをしていくのだが、或る時問題が発生する。兵頭茂による「貼り屋」の存在の露呈である。しばらく様子見を決め込むはずだった岸田の面々はこの事件に動揺を隠しきれなかったらしい。その状況に置いて、冷静に事象を捉え、危機を好機に変える策を講じたのが香織嬢であった。

彼女は私と岸田の交友関係から全く埒外にある人物を、私が文通相手を突き止めるまでの案内役として投じるという提案をした。そこで彼女が名前を挙げたのが、態侘落先生であった。態侘落先生は例によって寝床を探しによく山に行くらしく、郷田は山の中でたびたび顔を合わせ、相当親密になっていた。
そのことをを聞いていた香織嬢はこの怪老人を利用することを思いついたのである。先生は郷田の頼みなら致し方あるまい、と一つ返事で請け負ったという。彼が突如構内に姿を現したのは、こういうことであったのだ。全ての事情を郷田から聞かされている先生は、兵頭のことも知っていたし、長田を通じて郷田が入手していた佳菜子さんの動向にも通じていたために、あの予言じみた助言ができたのであろう。


「そこまでしたのにやで」
郷田は言った。
「草さんはいつまで経っても佳菜子ちゃんにたどりつかへんねん。参るで、ほんま」
他の二人も深く頷いている。
「ほんでこないだ花火の時と、誕生日の今日に、草さんの気持ちを確かめたんや。佳菜子ちゃんにも文通相手にも、ちゃんと惹かれてるんかっていうのを」
「もう、そろそろ俺らも辛抱できんなってしもてな」
フハハハハと笑いながら森野が言う。
「それで、私は佳菜子ちゃんに気持ちを確かめた、ってわけ」
香織嬢の言葉のあとに一瞬間をおいて、郷田は私の眼を見て言った。
「草さんは佳菜子ちゃんの前で文通相手に惹かれてるって宣言した。もう、引っ込みはつかへんやろ」
私はコクリ、と頷いた。私は郷田に向けていた体を、改めて佳菜子さんへと向ける。
「佳菜子さん……」
「……はい」
私は彼女のその返事を待って、自分の想いを言葉にした。その言葉の行きどころは……もはや、言うまい。

 


一月三一日 午前二時

 雪が舞う。真っ暗やみの空の底から、はらはらはらと舞い踊る。私たちは空を見る。白い息がほんのり闇に溶けていく。深い静寂の水底へ、二つの小さな足音も、すうっと消えて溶けていく。

 

 


三月七日.

宙に舞ったのは皿だけではない。無論、そのうえに載っていた出し巻き卵も一回転ひねりを加えて見事頭部から着地した。憎らしいことにプラスチック製の皿は、さも私を嘲笑するかのようにふてぶてしくアスファルトに横たわっている。この予期せぬ転倒について、私には何ら責任などないというのに。私は冷静に、しかし素早く、少し形の崩れた出し巻き卵と憤然とする皿を拾い上げ、元の状態に戻し、岸田アパートへと向かった。
 まだまだ暖かいとは言い難いにせよ、日が落ちたところで寒い寒いと身を縮めることももうなくなった。空気はどこかしら春めいてすらいる。少しずつ来年度の新入生たちがこの町に顔を見せ始め、彼らのどこかあどけない顔を見ていると、なんだか少しせつない気持ちになってしまう。スーパーの売り場で、戸惑った様子の彼らが過ぎし日の自分のように思えて、無性に抱きしめたくなどなるが、彼らの心に色々な意味で深い傷を負わせてしまいそうなので自粛せざるを得ない。


 春の香りがふうっとする夜の風に、そんなことを思いながら私は郷田の家の扉を開けた。
「おうい、やってるかあ」
「お、草さん」
そこには既に香織嬢も森野も揃っている。
「あれ、佳菜子さんは」
「友達と旅行に行った」
「そうなんや」
「お、今日は肉じゃがか」
「今日のは特にうまいこといったわ」
私の口内において唾液が満潮を迎える。
「草さんは? 何持ってきたん」
「あ、そうそう、皆に謝ることがある」
彼らは一様に私の方を見る。
「たまご、落してしまった」
皆が笑って、私も笑った。

 


郷田が洗えばええ、洗えばええ、とそう言った。

『岸田アパート物語』11号室

彼女は郷田に自分が今何に思い悩み、そのために今のようなありさまになってしまったのだ、ということを話した。
「そうしたらね、彼はこう言ったの。そんなもん山のものを食えば気にならなくなる。それに俺は死なない、って」
「それは、全然意味がわかりませんな」
ふふふ、と香織嬢は笑った。
「ね、今思うと本当に意味分かんない。だけどその時、この人は私のことを本気で心配してくれていて、必死に励まそうとしてくれてるんだ、って思ったの」
「なるほど」
「あと、ああこの人なら確かに死ななそうだと思った」
「そいつは間違いありませんね。やつは殺しても死なない」
「それで、かな」
「は?」
「それで、好きになっちゃった」


彼女はそう言うと、近くにあったネズミ花火に火をつけ、未だぼんやりとしている弘毅に向かって投げた。突然の攻撃に狼狽した弘毅を見て、バーバラと卓が笑っている。郷田と言えば、みんなからはなぜか離れて遠くの方でなにやら怪しげな動きをしている。あとの二人は先ほどから何の変わりもなく、仲睦まじ気に話している。
「私の話は終わり。で、草さんは?」
「私ですか」
「佳菜子ちゃんのこと、まだ好きなんでしょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼女が私の顔を覗きこむ。
「な、な、何を」
「草さんね、自分が思ってるより隠し事下手なんだよ」
「そ、そんな」
「草さんは、別れて一カ月したぐらいから、ずーっと佳菜子ちゃんの事引き摺ってた。最近までそのこと考えないようにしてて、それにも慣れてたけど、この二カ月ぐらいその想いがまた戻ってきてる。どう?」
「なぜ、そんなことが分かるのですか」
私はもはや動揺の色を隠せなくなっている。
「みんなわかってる。郷田も、森野も」
「な、なんと……そうだったのですか」
「でも、草さんが大丈夫って言うから何も言わなかったんだよ。……だけど、本当はどうなの?」
「そ、それは」
「私にこれだけ話させておいて、自分だけだんまりなんて許さないからね」
「は、はい」


私は周囲には聞こえないように、ぽつりぽつりとつぶやくように話した。佳菜子さんについては香織嬢の言うとおりであることや、ジャガイモパーティーの買い出しの時のこと、つい先日のタツヤでのこと。そして、文通相手のこと、その相手に心惹かれていないわけではないが何しろ相手に会ったこともなければ、件の怪しい点もあること。日頃あまり人に本音を話さない私であるので、ひどく頬をほてらせながらしどろもどろになって話すのを、香織嬢は、うん、うん、と辛抱強く聴いてくれていた。
「なるほどねえ……」
と言いながら今度は打ち上げ花火に火をつけ、弘毅に向かって発射した。弘毅は反射的に飛び上り間一髪でかわしたが、着地に失敗して腰をしこたま地面に打ち付けた。バーバラが笑いながら、大丈夫ですか、と声をかけてやっている。弘毅は、なんてことするんですかと香織嬢を非難するが、彼女は笑って謝ると、それだけで済ましてしまった。
「うん」
と言って香織嬢は立ち上がり、続けた。
「草さんは、このまま安心して突っ走れ。それで大丈夫だよ」
彼女は力強く親指を立てて私に微笑むと、
「大丈夫かあ、弘毅い」
と言いながら彼のもとへと駆け寄っていった。
 「おうい、みんな注目や」
手持ち花火がほとんどなくなってきた頃に、郷田が皆に声をかけた。
「郷田さん、なんですかあ」
弘毅が間の抜けた声で言う。
「これからが今日のメイン、打ち上げ花火や。どでかいのあげるでえ」
「おい郷田、本当に大丈夫なんだろうな」
「こんなところで打ち上げ花火なんてやって、怒られませんか」
里美ちゃんも心配そうに言う。しかし郷田は豪快に笑ってこう言った。
「怒られたら謝ればええ。俺に任せろ」
この男がこう言うと、何とかなるような気がしてくるから不思議である。
「ほないくでえ」
彼は一列に並べた大きな打ち上げ花火の導火線に次々と火をつけていく。アルバイトでもやっていたのかという程手際がいい。十個ほどの導火線に火をつけて彼は走って皆のいるこちら側に走ってきた。それぐらい手早かったのである。彼がこちらに着いた途端にどおんという大きな音がして、順々に花火が打ちあがっていく。
「わあ、綺麗! すごいすごい」
バーバラがはしゃいでいる。
「寒い中で打ち上げ花火見たん、初めてやわ」
「そうですね、あんまりないかも。しかもこんなに立派な」
冬の花火大会と言うのは全国各地にあるものだが、確かに個人だけでこれほどの規模のものをやることはあまりないかもしれない。なにしろ、この時期に花火を手に入れるのがなかなかの困難を極めるし、あれほど立派なものを買えば夏のうちに使ってしまいたくなるだろう。
「そしたら、片づけして中入るか」
十発目の花火が打ちあがり、その残像も空に溶けていったあと、森野が言ったので、皆が後始末をし始めた。バケツの水を捨て、花火の燃えがらはビニール袋に入れて、郷田の特大打ち上げ花火にも水をかけた。さあ、中に戻ろうか、という段になって卓が、
「あ、線香花火忘れてましたね」
と線香花火がぽつんと地面に置き去られているのに気づいた。


「ほんとだね、どうしようか」
誰へともなく香織嬢がそう言ったので、
「やりましょう、残しておいても仕方がない」
と私が提案し、それが受け入れられた。今夜の締めである。
 皆が円になって各々ライターで火をつけていく。ちょうど一人一本であった。小さくけなげに燃える花火が、手持ち花火とは一味違う、とてもつつましい光で持つ人の顔を照らした。浮かぶ笑顔も何かを懐かしむような、そんな顔になる。吐く息が、白い。


「あ」
と小さく誰かが呟いた。

 
一月二六日.


 私が毎月の生活費を郵便局から引き出すのは二五日と決まっている。それは父の給料日がその日で、幼いころからお小遣い日だったからだ。その習慣が今でもなんとなく抜けきらないで、二十歳を過ぎても二五日が生活費の入る日になっている。しかし今月は、なぜだか懐に少しだけ余裕があり、寒くて外に出るのも億劫だったので、引き出すのが今日になったのである。
また、寒くて云々という同じ理由から食料の買い出しも怠けてしまい、あるものだけで間に合わせていた結果、とうとう昨日の夕食を作った時点で冷蔵庫がすっからかんになってしまった。そこで私は郵便局で金を引き出し、その足で買い出しに行く、というできるだけ外に出る回数を減らすために最善の方法を案出した。我ながら感服いたす所である。


 ここ最近、気味が悪いほどに気持ちのいい快晴が毎日続き、すがすがしいことこの上ない。しかしいかんせん寒いのと外に出る用がないのとで、惜しげもなく大地に振りまかれる日光の恩恵に全くもって浴すことができずにいた。今日も雲一つない快晴であったので、私は少し嬉しくなっていそいそと外出の支度をした。
買い物袋を持ってその中に財布を入れ、中学の時から履いているスニーカーに足を突っ込んで、外に出る。買い物袋なぞ持ってどこぞの主婦かと思う向きもあるやもしれぬが、私がよく行き、私の大学の生徒の多くも利用するスーパーではレジ袋をタダではくれず、五円で販売しているのである。金をとるだけあってそれなりに厚手の立派なビニール袋なのだが、毎回買っていてはそれなりの出費にもなるので、買い物袋を自ら持参することにしたのである。一年の頃から乗り回している自転車にまたがり、私は大学近くの郵便局を目指した。


 ATMで引き出しをすませ、金を財布にしまっていると、視界の端で見覚えのある影がうごめいた。郷田である。何やら局員の女性と話しこんでいる様子だが、私に気がつくと話を切り上げ、こちらの方にやってきた。
「お、おう、草さんやないか」
「よかったのか、何か話していたみたいだったが」
「ええねん、ええねん、実家にお土産送っただけや」
「なぜまたこんな時期に」
「俺、もう卒業やろ。送れるの今年までやからな」
「ああ、そうか……私も送っておこうかなあ」
「そうしい、そうしい。大学通わしてもろた礼代わりにもなる」
「そうだな、近いうちに送ることにする」
「草さんはどないしたん」
「私は金を引き出しに来た。今から買い物だ」
私は右手に持っていた袋を見せる。
「おおそうか。ほな、いってらっしゃい」
「うむ、行ってくる」
 私はスーパーで、豆腐三丁、うどん三玉、たまご一パック、即席乾麺五袋入り一パック、白菜四分の一玉、もやし一袋、キムチ三〇〇グラムを購入して帰宅した。さあ何かしようかと思案を巡らせてはみたけれど、近頃家のことは何かとしてしまったのでやることがこれと言ってなく、読書をするにしてもそういう気にもならず、ましてや四年生で講義もなければ卒業論文も既に提出してしまった。とにかくやることがない。このままではいけないとは思いつつも、どうしても一日ぼんやりと過ごして終えてしまうのである。
故に日々が過ぎるのがとてつもなく早く感じられ、いやましに募る焦燥感だけがむやみに私を追いたてる。だからといっても相変わらずやることはないので、私は結局岸田に向かう事になる。今日もその例のごとくである。


 森野の家でゲームでもしようとぷらりぷらりぷらりと歩いて行くと、学校帰りの小学生たちが私の脇をすり抜けていく。そのうちの一人が私の方を振り返って言った。
「なあなあ、ちょっとそこ立っといてくれへん」
「なぜだ」
「ええから、じっとしといて」
有無を言わせないなかなか切羽詰まった表情でその少年が言うので、私は仕方なしに立ち止まった。しばらく奇妙なその状態で沈黙と静止が続いたが、危なかった、という少年の言葉でその超現実主義的状況は打ち破られた。
「助かったわ、ありがとう」
「一体なんだったのだ」
「ケイドロやってんねんけどな、今俺泥棒やねん」
「警察がそこまで来ていたのか」
「そやねん、ほんま助かった」
子供は何事にも無邪気に、そして真摯に向き合う事が出来る。近頃では妙に冷めた子供も増えているらしいが、やはり大方の子供この少年のように天真爛漫な顔を持っているに違いない。そう信じたい。
「ケイドロは楽しいか」
いやーほんま危なかったわあ、と小さなつぶやきを連発する少年に私は訊いた。
「うん、めっちゃ楽しいで。兄ちゃんもやるか」
彼は満面の笑みでこたえる。
「いや、私はいい」
「なんや、つまらんな。兄ちゃん暇そうやんか」
「私は私なりに忙しいのだ。行くところがある」
「ふーん、何処行くん」
「すぐそこの友人の家だ」
「そこまでついてったるわ。かくまってもろたお礼」
付いてこられても私に特に益はないし、むしろ困るのだが、この年齢の少年の通す仁義がなかなか気持ちよくもあったので、私はその申し出を有り難くお願いすることにした。
「兄ちゃん、大学生?」
「そうだ、お前は小学生だろう」
「そやで、ランドセル背負っとるからな」
「小学生のお前は、何か夢があるか」
「エライ急な質問やなあ。うーん、夢かあ……あんぱんかな」
「あんぱん? あんぱんとはあのあんこの入ったパンのことか」
「そうそう、あのあんぱんや」
言い回しは大人びているが、なかなかエキセントリックな夢を持つ少年である。既に岸田には到着していたが、私は彼に興味がわいてしまい、立ち話をすることにした。
「なぜ、あんぱんになりたいんだ」
「だって、あれめっちゃうまいやん」
「うまいから、なりたいのか」
そう言うと少年は、わかれへんやっちゃなあ、と眉間にしわを寄せた後続けた。
「なんというかやな、あのふわっとしたパンに、あのちょうどええ甘さのあんこが入ってる、そこや」
「うーむ、すまないがわからない」
「人気者やしな、あんぱんは」
「そうなのか」
「そんなんも知らんのか。クラスで大人気やで。余ったら絶対じゃんけんなるもん」
ようやく得心がいった。彼は人気者になりたいのであろう。それであんぱんとは、なかなか奇抜なメタファーである。よくわかった、ありがとう、と私が言おうとすると少年ははにかむような仕草をしながらこう付け足した。


「まあ、田村があんぱん大好きやしな」
「ん?」
「あのな、田村がな、あんぱんめっちゃ好きやねん」
先ほどまでの威勢のいい物言いは鳴りをひそめ、少年はうつむき加減でそう話す。
「田村さんのことが好きなのか」
「あ、当たり前やん。だって田村めっちゃ可愛いんやで!」
彼はそれから五分ほど田村というクラスメイトの女子の可愛さを私に滔々と話し、私がよくわかった、田村は可愛いなというと、満足げな顔をして去って行った。どこか、弘毅を思わせる純真振りであった。支離滅裂ながら、真っ直ぐな想いを持っているところなどそっくりである。
 弘毅の幼少時代もあのような子供であったのだろうかと思いを巡らせながら私が森野の家の扉を開くと、そこには誰もいなかった(郷田もそうなのだが森野の家は必ずと言っていいほど鍵をかけない。とられるものなど何もないというのが彼らの理屈だが、それにしてもやはり不用心な気がする)。
郷田と香織嬢は今日は少し遠出をすると言っていたので帰りが遅いのも知っていたが、出不精の森野が家にいないのは少し意外な気もした。が、少し考えを巡らせた結果、容易にその理由が分かった。彼はテスト勉強の為に図書館に行っているのであろう。彼にしては珍しい、なかなか真面目な行為である。


 森野は、直截に言って勉強をしない。といっても何も彼が馬鹿だというわけではない。彼は幼少期からどちらかと言えば天才児である。私が知り合ってからの二年弱でもあまり単位を落とした、という話は聞かなかった(聞かなかっただけのことが最近になって判明した)。しかし、彼が机の上で勉強しているところを私は幾ら記憶を捏造してもイメージすることができない。
森野はテスト前になっても平生と一向変わらぬ生活を送る。テレビも見ればゲームもするし、酒だって当然のように飲む。勉強をしている気配というものを、まるで剣豪か何かのように、完全に消してしまっているのだ。そんなこんなで彼も二年生の終わりまで来てしまったのだが、以前今まで聞かなかった彼の成績状況について尋ねると、些かの余裕も許さぬほどの切迫した状況にあることが判明したのである。私が一年の終わりに取得していた単位数よりはるかにすくなかったのだ。
つまるところ、彼はこのままのペースで行けばあと二年の在学ではどう合おても卒業できないのである。その厳然たる事実が、本人の中でも最近明確に意識され始めたらしく、今期のテストに関しては割合きっちりと勉強しているようだった。元来能力がないわけはないので、やればできる。私は森野のその姿勢を見て、少し安心したものだ。
部屋を見ると、パソコンもない。図書館でレポートでも書いているのだろう。私は一人満足げに頷いて、四年生の特権であるあり余る時間の謳歌を始めた。


 夕方の五時頃になって、森野が図書館から帰ってきた。
「ほんま、四年は楽でええなあ」
「社会人になるまでの最後の猶予期間なのだ、許せ」
「まあ、そうか。それはそれでいややな」
妙に納得しながら彼は私の隣に座り、私とともにゲームに興じ始める。
 七時ごろになって、もうゲームにも飽き始め、かつ何よりも腹が減ったので飯にすることにした。
「草さん、食ってく?」
と森野が言うので、
「では私も何か作ってくる。米も余っているのがあるから持ってこよう」
「あ、ほんまに? じゃあお願いするわ」
ということになり、私は一度家に戻った。買い出しは今日したばかりなので、材料は十分である。森野が肉料理を作るというようなことを言っていたので、私はアボカドとマグロのサラダを作ることにした。岸田の面々が大好きな一品である。手早く作り、冷やご飯も一度レンジにかけて、また岸田に戻る。


 森野の家に戻ると、森野の料理はまだできていなかったので、私はサラダにラップをかけて冷蔵庫に入れた。
「草さん、早いな」
「私のはサラダだからな。森野は何を作るのだ?」
「うーん、なんやろ、これは……とり肉と青梗菜の中華風あんかけ?」
「楽しみにしておくよ」
「腕によりをかけます」
私が今の方に戻り、テレビを見ていると、台所から森野の歌声が聞こえる。彼の声は、低い、いい声である。
 時計の針が八時を示す頃、森野の料理が出来上がった。さあ、食べるか、という段になって郷田と香織嬢が帰ってきた。
「ただいま。お、飯あるやないかい」
「ほんとだ、お呼ばれしちゃってもいい?」
「お、ええで」
森野が気前よく返事をする。
「御馳走される代わりに、これ」
郷田の手もとから現れたのは何と生ビールの六缶ケースである。
「おお、どうしたんだ、それは」
「いやー、何となく飲みたくなってな」
がっはっはと大口をあげて郷田が笑う。
「今日、なんかテレビ面白い番組あったっけ」
そう言いながら香織嬢がリモコンをいじる。森野は特大のどんぶりに山盛り入れた米をほおばっている。いつもの光景である。


「もうすぐ二月かあ……」
一缶ずつビールを配り終え、プルトップを引き上げながら郷田が言う。
「節分だね、豆まきしなきゃ」
「去年は草さん、豆まきせんかったよな」
「うむ、確か実家に帰っていた」
「今年は居るんでしょ?」
「はい。恵方巻きもするんですよね」
「そやそや、あれやらな春迎えられへんからな」
そう言って郷田はグビグビグビと缶をあおり、顔を真っ赤にした。
「あの食ってる間の沈黙がやたらとおもろいんよな」
「そうそう、去年は郷田がさ、欲張ってなんでもかんでもまこうとするからものすっごい太巻きになったんだよ」
「男はあれぐらい太いの食わなあかんねんて」
なあ、草さん、と同意を求められたが私はその懐柔策をさらりとかわした。
「それにしてもお前は本当にすぐ真っ赤になるな」
「もう目えまで赤いやん」
「わ、ほんとだ」
「うん、もう、ちょっと、眠くなってきた」
「まだ一缶も空いていないぞ」
「今日はちょっと疲れたから」
そういうと彼は千沙がオーストラリアに行く際に置いて行った大きなビーズクッションにその巨体を沈めた。その千沙はといえば、あの忘年会のあと実家に戻り、今は虫よけベープの工場で働いているらしい。休学期間が三月いっぱいまでなので、それまではあちらにいるのだそうだ。


「っていうか、もう二月やん」
思い出したように郷田がまた言った。
「それはさっきも言ったぞ」
「いやあ、卒業が近づいてきたなあって思って」
「確かにね、もうあっという間かもね」
「ここにおる人で、卒業せえへんの俺だけやん」
「ほんとだねえ、寂しいねえ」
地上デジタル放送対応テレビの液晶画面では、近頃メキメキメキと力をつけてきた芸人が画面狭しと暴れまわっている。会場は爆笑の渦だ。
「まあ、里美ちゃんとか弘毅とか、千沙もおるけどな」
「そうだ、よくここに出入りする人間に、郷田の部屋に入ってもらえばいい」
「だねえ、誰がいいかな」
「まあ、普通に考えれば弘毅やろ」
郷田が言う。
「弘毅かあ、あいつ料理できるしなあ。美味いもん作ってもらお。……でもなあ……」
それまで休むことなく動いていた森野の箸が丼ぶりのふちでとまった。
「でも?」
香織嬢が自分の空いたビールの缶を机に置く。
「でも、郷田がおって、香織さんがおって、草さんがおって、いうのが最近多いせいか、俺の中でこの四人ってのが今は日常やからな」
「あ、森野、結構寂しいんだ?」
香織嬢が悪戯っぽい笑みを浮かべてからかうように言う。
「うん、そやな、結構寂しいかも」


森野はそう言うと視線をテレビに移し、また箸を動かし始めた。

『岸田アパート物語』10号室

私は巻かれた糸を素早く引き、見事我が家のフローリングの上でベイゴマを回すことに成功した。ベイゴマは絶妙なバランスを保ち、静かに回っている。私と男たちはそれを静かに見守っている。今がチャンスだ、私はそう思った。男たちが気を取られている間をスルスルと抜け、私は下宿から逃げ出す。ベイゴマに救われたのである。

私は住み慣れた町をあてもなく逃げ回った。少しでも油断していると大人数の足音と殺気だった怒声が聞こえてくる。私はそのたびに手近な路地に逃げ込んだ。どうして命を狙われるようになったか、自分の胸に聞いてはみたが、彼はわかりませんの一辺倒である。これ以上問い詰めるのも気の毒なので、私は自分の胸との会話を終えた。
 追われるままに逃げ、私が行きついた先は岸田アパートであった。私は追い立てられて、ほとんど元の場所までもどってきてしまっていたのである。しかし、やつらも岸田は盲点であろう。よもやこのような近くに潜むとは思いもしまい。灯台もと暗しである。それに、郷田であればあのような男どもはもやし同然であろう。やつらがたとえ緑頭もやしだとしてもその頭をプチリと潰してくれるに違いない。私は辺りをうかがいながら郷田の部屋にもぐりこんだ。
「すまん、郷田。かくまってくれ」
「どないしたん」
「なぜかは知らんが、命を狙われている」
「そら大変やなあ」
トイレにでも入っているのか、部屋には郷田の姿はなく何処からともなく声が聞こえてくる。私はとりあえず座り、なるだけ姿勢を低くしていた。ガチャリと音がしたので、郷田がトイレから出てきたかと思い、そちらの方に視線を移した。
「どういうことだ!」


私は思わず叫んでいた。トイレから出てきたのは間違いなく郷田であったが、彼はあのいつもの蓬髪に、黒のスーツと黒のネクタイ、黒のサングラスという恰好をしていたのである。私はありとあらゆるかぎりの罵詈雑言を浴びせかけたく思ったが、今は逃げねばならぬ。私は玄関の方へ走り、扉をあける。しかしそこにはもう一人の追手がいた。
「観念せい」
木刀を手に持ち、黒の袴を着て立っていたのはなんと態侘落先生である。
「先生、あなたまで!」
私があまりのことにたじろいでいると、森野の家の扉が開いた。私はそこから出て来た人間を見て、もはやその場に手をついた。
「草さんの為や」
そう言ったその男は森野であり、彼も郷田と同じ格好をしていたのである。
「草さん、まだ驚くのは早いわよ」
この声は香織嬢であろう。もはや目で見て確かめるまでもない。しかし、これ以上驚くことがあろうか。信じていた人物全員によもや命を狙われていようとは。絶望のどん底に落ちていく私のそばに、こつこつと靴音が近寄ってくる。
 私が顔をあげると、そこには銃口と、佳菜子さんの微笑みがあった。―――銃声。


 目を覚ますと体中が汗でぐっしょりと濡れていた。妙な夢のせいもあるだろう。熱があるとはいえ、あまりにも支離滅裂な展開であった。洗濯物では一秒たりとも隠れることはできまい。
 少し熱は下がったようである。どのようなメカニズムなのか知らないが、汗をかくと熱が下がるような気がする。科学的根拠は持たないが、経験的根拠なら結構な数を提出できるはずである。時計を見ると、五時間ほど眠ったようである。時計ははや一五時を過ぎていた。
「少し楽になったことだし、雑炊でも作るとしよう」
またいつ発熱するとも限らないので、動ける間に力を蓄えておかねばならない。私は布団から出て雑炊の準備を始めた。
 思えば三年前、連日の飲み会と予想していた以上に寒い気候のせいで私は四月早々体調を崩した。環境の変化も一役買っていたのかもしれない。とにかく熱が出て、喉が枯れるほど咳も出て、終いには吐いた。それまでは体調を崩せば家族が心配してくれ、専業主婦の母が体温計を持って来てくれたり、水を持って来てくれたり、雑炊を作ってくれていた。
当然、その時には心配してくれる家族もいなければ、看病してくれる母もいない。私は朦朧とする意識の中で母のしてくれていたことを思い出し、氷枕を作り、雑炊を作り、水をペットボトルに詰めて飲んだ。しかし薄いビニール袋で作ってしまった氷枕は当然の如く破れて水がこぼれ出し、寝具をしこたま濡らした。戸惑いながら作った雑炊はだしを入れていなかったために食えたものではなかった。


 それが今ではたった一人で高熱が出ても、さしてあわてずに対処できるようになっている。時は確実に過ぎていて、私も着実と変わってきているのだなと、だし汁にふやけて形をなくしていく米粒を見ながら思った。
 鍋はなんでもかんでもふたをすればよいと思っていた頃は、しょっちゅう吹きこぼしていたし、炒めるときの火力は強い方がよいという思い込みのせいでフライパンはあっというまに焦げだらけになった。ジャガイモとニンジンになかなか火が通らないので放置していると、カレーが焦げてしまったこともある。豆腐ハンバーグが食べたくて、つなぎが何か分からなかったので、米でやってみたら得体のしれない食べ物になったこともあれば、ハヤシライスの具が分からなくてカレーと同じものでやった時は、確かにハヤシライスの味にもかかわらずカレーを食っている気がした。
何もできない自分に失望して、いかにこれまで家族の恩寵に浴してきたかを実感したものである。それがいつの間にやら四年弱が経って、いつの間にやら料理も掃除も洗濯もできるようになっている。感慨深い気持ちにもなる。


私は消化しやすくなった米粒を器に注ぎ、スプーンを持ってベッドに座った。欲張って一度に腹に入れるとエライことになるので、少しずつ分けて食べるのである。これも失敗から学んだことだ。ぼんやりと雑炊を食べていると、携帯電話が鳴った。
「もしもし」
「今日、夜暇?」
「森野か。すまない、体調を崩したから行けない」
「え、マジで? わかった、お大事に」
「うむ」
電話を切ると、腹に何かしら入ったせいか眠気が襲ってきた。
「もうひと眠りするか」
私は布団にもぐりこみ、目を閉じた。
窓に何かがぶつかっている音がする。まだ頭は眠っているのだが、感覚だけが起きていて、その怪音を知覚した。私は目を開く。すこしずつ意識が戻ってくる。部屋で一番大きな窓が凄まじい音を立てて震えている。ぶつかっているというより、たたいている音だ。
「誰だ!」
まだ少し熱があるようで体が重かったが、そうもいっていられない状況だったので、私は立ち上がってそう叫び、カーテンを開けた。するとそこに現れたのはその正体を知らぬ人間が見ればあまりの恐怖に卒倒しかねないほどの奇怪な風貌をした我が友人、郷田である。
「郷田、そんなところで何をしている。というよりどうやってそこに上ったのだ」
私は窓を開いて言う。
「壁上ってきてん。草さんが病気やって聞いたから」
彼は満面の笑顔でそう言い放った。後半はたいそう有難いが、前半は聞かなかったことにしよう。
「それで、これ」
彼はそう言って何やら一杯詰まったビニール袋を私に手渡した。
「ほな、あんまり長居してもあかんから」
「あ、ありがとう」
私がそう言うと、彼は少し驚いたような顔をして、
「しんどい時は、お互い様や」
と微笑んで言った。そして、お大事に、と言って二階の高さから飛び降りた。
 私はその大きな背中を見送ると、窓を閉め、ベッドに横になった。ビニール袋の中身はこうである。二リットルの清涼飲料水に、うどん三パック、ねぎ、ギャグ漫画、うがい薬、熱冷却シート携帯用ゲーム機とソフト、怪しげな瓶にはいっている怪しげな緑の粉末。全て袋から出すと、最後に一枚紙きれが残った。そこにはこう書かれている。


 

香織です。草さん、大丈夫? 一人暮らしの病気は孤独なので、寂しがり屋の草さんが泣いていないか心配。ということで私たちからの救急グッズをあげます。早く治してまたお酒のもう。
 スポーツドリンクとうどん、ゲームは森野から。マンガとうがい薬、シートは私から、ねぎと瓶は郷田からです。
郷田は、「風邪にはネギや! ネギを首に巻けば治る!」とか言ってネギを入れました。止めたんだけどね。よかったらうどんの薬味にでもしてください。
 もうひとつ、瓶に入っているのは郷田特製の薬だそうです。山で採れた薬草を乾燥させて粉にしたんだって。本人は効果抜群だって言い張ってたけど……勇気があればどうぞ。
 たくさん水分とって、あったかくして寝るんだよ。では、お大事に。

 
 こういうことは、正直言って苦手である。人にやさしくされることに慣れていないからだ。どういう反応をしていいかもわからなくなってしまう。私はたいていうつむき加減で、かりに顔をあげても苦虫をかみつぶしたような顔か、怒っているのかと聞かれるほど無表情かのどちらかであるので、あまり人が親切にしてやろうなどとは思わないというのもあるだろう。
しかしそうでなくても、どういう反応をしていいかわからずに、ぼんやりと無表情なままの人間に親切にする甲斐などありはしまい。それがわかっていても、どうにもうまく表情が作れないのが私という人間なのである。特に大学までの人生は、家族に助けられていることなどつゆ知らず自分一人で生きてこれたし、生きていけると思い込んでいたために、なお一層人の親切に対して無感動であった。
あまりに無感動であったために、高校二年の時にクラスメイトの女子に頬をひっぱたかれたことがあった。その時すらも私は軽蔑こそすれ、感謝の念など塵ほども抱かなかったのである。今思うと、物凄く嫌な奴であったことを認めざるを得ないが、その頃は自分の行動に対してつゆほども疑問を抱いてはいなかった。


 それが大学にやってきて激変したのかというと、全くもってそのようなことはない。始めの頃に色々とできないことがあって戸惑いはしたものの、失敗を繰り返せば自分があらゆることを自分でできるようになる人間であると考えていたため、家族にこれまでの恩を感じることはあれど、それを他の人間にまで抱くことはなかった。
だから、私をいつも肯定し支えていてくれた佳菜子さんに対してあのような愚かな真似をしたわけである。私は、人に支えられて生きていることに、未だ気付けないでいたのだ。
 それがようやく変わり始めたのは、あの郷田との河原での邂逅以来である。自分の今までの言動を客観視し、より人の評価に耳を傾けるようになった。あれから二年弱。私は人に感謝することを少しずつ覚えてきている。とはいえ、それまでの言動のせいで私に近づく人間は多かったわけではない。自業自得である。しかし、私はもう、人の親切を無表情で看過することはしなくなった。


 その証拠に、私は今、嬉しくって泣いている。

 

 

一月二一日.


 年末の大掃除のときには、あまりの混沌状態ゆえに見て見ぬふりをしていた押し入れを、もうじき卒業し、今の下宿から出ていくこともあって、整理してしまおうと考えた。これまで隠ぺいするように放り込んできた諸々を引っ張り出していると、この前の夏にやろうと思って買っていた花火セットが大量に出てきた。
捨てるのも惜しいので岸田で真冬の花火大会でもどうだ、と郷田に言うと、そう言えば自分も買ったままになっていた気がするので探してみる、とりあえず今日の八時からという事で話はおさまった。


 私が通う大学の辺りは全くもって都会と言うには物足りない所である。故に夏になったとしても大した祭りもなく、当然花火大会など望むべくもない。花火大会や祭りを愛してやまない学生などは、わざわざ電車に乗って中心部まで出て行ったり、さらには県外にまで遠征していく者もある。
しかしながら大半の学生は、そこまでしなくともよいと考えており、私などもその口なので、この四年間自らそのような場所に出向いたことがない。大抵の学生と同じように、私も岸田の面々と河原でバーベキューや花火をしたりする程度で満足するのである。
しかしながら昨年の夏は、晴れれば猛暑日(もはや酷暑日と読んでもよいほどであった)、そうでなければ大雨、というような嫌がらせのような天候であったために人を集める気にもならなかった。私などは外に出ることすら億劫で、家の中で冷房をつけて涼んでいた。そのうちに夏が終わった。そのあとは四年生は卒業論文が本格的に危機的状況に陥り始め、三年生は就職活動が始まり、二年生以下は授業にサークルに大忙しとなったので、いつの間にかに花火はその存在を押し入れの奥深くに押し込められたのである。


 私は発掘した花火をゴミなどと混じらぬようにわかりよい場所に置いておいて、その日一日かけて押し入れの中をきれいさっぱり整理してしまった。終わった頃に時計を見ると七時である。私は花火を持って岸田に向かった。
「郷田、持ってきたぞ」
そう言って私が郷田の家に入ると、彼も押し入れの整理をしている様子である。いつにもまして部屋が散らかっているのだ。
「お、草さん、ありがとう」
「押し入れの整理か」
「うん、始めたら止まらんくなってきてもうて」
「郷田、お前こんなに花火を買ってどうするつもりだったのだ」
私はふと見た先にとてつもない量の花火を発見して、思わずそういった。
「それ花火問屋で買うたんやけど、なんか楽しなって一杯買うてしもてん」
「で、しなかったのか」
「だって去年暑すぎたし、雨もおおかったからなあ」
「湿気ていなければいいがな」
「ほんまそれやわ、結構お金かかっとるからなあ」
手持ち花火がほとんどの私の花火セットに対して、彼のものは私と同じぐらいの手持ち花火に、それを上回る量の打ち上げ花火があった。しかも市販されているのかどうか怪しいぐらいの大きさのものもある。
「これをこんな住宅地でするのはまずいだろう」
私が特別大きな三つを指して云うと、そうかもしれんな、と言って郷田は残念そうな顔をした。
 私が間違いなくそのままでは八時までに終わりそうになかった郷田の押し入れ整理を手伝って、ようやく一息ついた頃にいつものメンバーが集まり始めた。森野に香織嬢、里美ちゃんに弘毅、バーバラに卓である。
「空気が乾燥しとるから、万が一のために水まけるようにしとこう」
郷田のその提案で、いくつかのバケツに水が汲まれ、何処からか引っ張り出してきた長いホースが建物の外にある蛇口に取り付けられた。


 一通りの準備を終えると岸田アパート花火大会は静かに始まった。ろうそくで火をつけるもの、ライターでつけるもの、他の者の花火でつけるもの。皆思い思いに花火をしている。私はごくごく一般的な手持ち花火をしながら、その様子をぼんやりと見ていた。
 たびたび感傷的になってしまう自分がいることに気付く。以前は物事に執着するという事があまりなかった。小さい頃、幼馴染が転校するという事でその見送りに行ったことがある。他の人間は涙ながらの別れをしていたのだが、私一人何の感動もなく、当然泣く事もせずに、じゃあまた、と言って握手だけをしていた。子供の私は皆がどうしてそんなに泣いているのかさえあまり理解できていなかった。それはずっと変わらなかったことである。小学校や中学校、高校の卒業式でさえ私は一滴の涙も流さずに式を終え、皆が感動や感傷の中で忘れてしまいがちな事務的な仕事を全て請け負っていた。


 しかし、今思えば私には皆ほどの別れがたい関係というものがなかったのかもしれない。そうであれば、離別を惜しんで涙することもないだろう。それが了解できたのもこの岸田があってこそである、と近頃思う。もうあと二週間もしないうちにこの一月も終わる。
卒業式まではまだ二カ月あるが、三月になれば郷田や香織さんは就職先の企業の所在地へと引っ越していくらしい。彼らと過ごすのは実質あと一カ月である。そう考えると、何かこみ上げるものがあるのだ。私は燃えては消える花火を見て、ああまさにこれが青春であろうかなどと月並みな表現など頭の中でしていた。


「草さん、なんだかぼんやりしてるね」
香織嬢である。
「いえ、花火をするのも久しぶりだな、と思いまして」
「そうだね、去年しなかったから」
私と香織嬢は隣り合って各々の花火を見つめている。
「あ」
花火が消えたとたん香織嬢が小さく言った。
「どうしたのですか」
「いやさ」
彼女は消えてしまった花火を名残惜しげにバケツに入れた。私の火も消えてしまう。
「花火が消える瞬間って、突然でしょ」
「そうですね」
「だから突然好きな人から別れを告げられた、みたいな心境になるの。とっても綺麗な火を飽きもしないでじっと見つめていて、それが少しの残像だけ残して突然消えちゃう、あの感じ」
「なんだか、わかる気がします」
「……もう、卒業だね」
「はい」
香織嬢はおもむろにタバコをとりだした。
「やめたのではなかったのですか」
「今日までやめてたけどね、なんか吸いたい気分なの」
「……そうですか」
彼女の吐きだした煙が花火のそれと混ざり合って、寒空に舞いあがっていくのを見る。空は本当に様々なものが混ざり合ってできているのだ。
「なんか、あの二人、本当にいい感じだねえ」
香織嬢は森野と里美ちゃんを見てそう言った。
「恋人同士と言っても、何の問題もないですね」
「うん、なんか妙な安定感がある」
確かに、と思いながら何とはなしに視線を弘毅に向けると、彼はタコの絵が描かれた陽気な手持ち花火を手にしていた。にもかかわらず、その目は森野と里美ちゃんの方に向いており、表情はとても物悲しい。私は少し、胸が痛む。
「以前から聞きたかったのですが」
「何?」
「なぜ香織嬢は、郷田なのですか」
「どうして?」
「なんとなくです」
「なんとなくなんて、草さんらしくないね」
けらけらけらと彼女は声高らかに笑うと、付き合う前の話なんだけど、と前置きをして話し始めた。


 香織嬢は思いの外(私がこう言うと彼女は決まって私を睨みつける)勉学にも熱心で、とりわけ一年生、二年生の頃は大学院生の先輩にずっと付きまとってはなれなかったという。先輩の研究の助手をすることで、一、二年の学生にはさせてもらえない研究もすることができたからである。しかしながら、研究に没頭することで他のことがおろそかになっていたこともまた確かで、大学での友人関係を蔑ろにすることも多く、当然高校時代の地元の友達などとは全く連絡を取ることはなかった。
三年生のある春の日、彼女が研究室から戻り、研究に必要ないからという理由で家に置きっぱなしにしてある携帯電話を見ると、知らない番号からの着信があった。彼女はそういう時にかけなおすことは決してしない。その時もそうだった。次の日同じように帰宅すると、また違う番号から着信があった。しかし、その番号は登録されていない。香織嬢は気味悪く思いながらもそのままにしておいた。その次の日には知らない番号からの着信はなく、彼女はほっと胸をなでおろす。

 それから二週間ほどして、彼女がたまたま家で実験のまとめをしていると携帯電話が鳴った。知らない番号である。彼女は少し怖いように感じたが、何度も呼び出し音がなるので仕方なくその電話に出た。
「もしもし」
「あ、香織。あのね、千賀子がね、千賀子が……」
その電話は彼女の高校時代からの友人素美であった。素美によると二週間ほど前に千賀子という香織嬢と仲の良かった女性が事故に遭い、意識不明の重体となった。高校時代仲の良かった友人たちが見舞いに駆けつけ、彼女らは香織嬢にも電話をかけた。しかし幾らかけてもつながらず二週間が過ぎた。ずっと意識の戻らなかった千賀子は、そのまま息を引き取った。素美からの電話はその連絡だったのである。香織嬢は茫然とした。彼女は研究に没頭するあまり、高校時代の友人たちの電話番号変更の報せを黙殺していた。そのせいで友人たちの番号が知らない番号として表示されていたことに、その時になって気付いたからである。
そしてそれが原因で自分は親友の(香織嬢はそう呼んだ)死に目に会えず、意識不明であることすら知らずに毎日のうのうと暮らしていたことを、とてつもない罪悪であると考えた。彼女は千賀子の葬式には必ず出るからとだけ告げ、電話を切った。


 そこまで一息に話すと、香織嬢はパーカーの袖で涙をぬぐった。お化粧とれちゃうな、もう、と小さく呟く。
「それでね、私は研究室にもいかずにひきこもりになってしまった」
彼女はいつものように近くのコンビニに夕食を買いに出かけた。料理は割合まめにしていた彼女だったが、その出来事以来料理をする気も起きずにいつもコンビニで済ませていたのである。
「その時のレジの店員が、あの郷田だったんだ」
見るからに窮屈そうな制服を着て、慣れない手つきでレジをする大男の姿が思い浮かぶ。
「で、弁当をレジに持っていくとね。彼が突然怒り出したの」
郷田はこのようなことを言ったという。お前はいつもここの弁当で食事を済ませているが、それはよくないことだ。自分は決してここの食いものなど食わない。体にいいものが全く入っていないからだ。もっとうまくて体が強くなるものを食わせてやる。明日この店の前に朝十時だ、と。彼は無論、その日のうちにクビになった。
「それで、香織嬢は行ったのですが」
私は半ば呆れ気味に言った。
「うん、なんでだろうね。まともな精神状態じゃなかったんだろうね」
そう言って彼女は笑った。
「でも、彼は私の話を聞いてくれて、励ましてくれたの」
というのは、こういうことである。郷田の言ったうまいもの、というのは山の木の実やキノコ、薬草のことで、彼はつまり香織嬢を山に誘い出したのである。はじめ香織嬢は黙りこくっていたが、郷田は度々食用の植物を見つけるたびに、この葉は体を温めるだとか、この花の根は便秘に効くのだとか、いちいち説明していた。


「そうしてるうちに、なんでだかこの人になら話を聞いてもらえるかもしれないな、と思ったんだ」