願い、信じることを忘れないように
諦めたらそこで試合終了だよ
時には諦めることも必要なんだと教えられる毎日だけれど、バスケがしたいとか、叶えたい夢があるだとか、あるいは戦争がしたくないということがあるのならば、やっぱりそれは諦めちゃいけないんだと思う。
例えばまだ試合が終わるくらいならいいだろう。
山に登っている途中で諦めるとなると、それは多くの場合「死」を意味する。
ただ自分の指先、足先の感覚が鈍っていって、周囲の動植物がこちらの死を期待する素振りを見せるまでを、じっくりゆっくり諦観の姿勢で迎えるわけだ。
それもそれで一つの死に方なのだけれど、やはり、死にたくないのなら、僕たちは立ち上がらなくちゃいけない。
明日、件の安保法案の採決が行われる。
ここまできて、まだ具体的にあがけるのは国民が主権を委託した政治家か、あるいはデモに参加する人たちくらいだろう。
ただ、この法案が通っても、僕たちは考え続ける必要があるし、あがき続ける必要がある。
いつか壊れゆく平和だったと言わないために、大日本帝国が歪めた日本像こそがむしろ正解だったのだと言わないために、僕たちは諦めてはいけない。
ここの奥底でも、心の片隅でもいい。
理不尽を家を焼かれ、命を奪われ、尊厳を蹂躙する戦争を否定し、軽蔑し、平和を願おう。
それが「歴史から学ぶ」ということだ。