お父さんお母さん必見!いま(俺の中で)『ぼのぼの』がアツい!
【この文章の要旨】
・『ぼのぼの』は1993年劇場版が面白い。
・スナドリネコさん「生き物は何かをやるために生まれてきたわけじゃない」。
・『ぼのぼの』には特に子育てにおいて大切な、「大人」のスタンスが描かれている。
・命の奪い合いは「目的のために生きること」から始まる。
『ぼのぼの』という漫画を知っているでしょうか。1986年から今尚続くいがらしみきおによる名作4コマ漫画で、主人公のラッコのぼのぼの、友達のシマリスくんとアライグマくんの3匹を軸とする物語です。
この作品をアニメーションで知っている人も多いとおもいます。テレビアニメは1995年から1996年にかけて1年ほど放送されました(1話15分全48話)。派手なアクションシーンもなければ、大掛かりなストーリーもありませんが、ただただほんわかしたギャグアニメとして記憶している人も多いかもしれません。
しかし原作の『ぼのぼの』はかなりコアなファンがいるほど哲学的な要素を含んでおり、登場人物の名言を集めた『ぼのぼの名言集』(上下巻)が刊行されているほか、『癒されたい日のぼのぼの』『泣きたい日のぼのぼの』といった選集まで出版されています。
出典;http://4koma.takeshobo.co.jp/cat01/3829/
さてどうしてこんな懐かしいアニメの話を始めたのかというと、僕は昔からこのアニメが好きで、最近になってまた全話を見直し、「やっぱこれはいいアニメだな」と思ったからです。
「僕はどの石も好きだけど、どの石が僕を好きなのかなあ」「どうして楽しいことは終わってしまうんだろう」といったいわゆる「考えても仕方のないこと」を延々と考えるぼのぼのと、そんなぼのぼのに付き合ってくれるシマリスくんやアライグマくんたちが何でもかんでも「効率」「成果」「意味」なんてつまらない物差しでしか世界を見れない「常識」に、やんわりアンチテーゼをチラ見せしているような気がします。
ただ先ほども書いたように、テレビアニメ『ぼのぼの』はかなりギャグテイストの強い作品です。どちらかというと全部「癒されたい日のぼのぼの」というわけ。しかし1993年の劇場版『ぼのぼの』はやや趣が変わります。
原作者が監督・脚本・絵コンテ・声優までを務める珍しい形で製作された異色作ですが、内容もかなりシリアスになっており、完全なる大人向けアニメに仕上がっているのです。「どうして楽しいことは終わってしまうんだろう」という疑問についてぼのぼのが1つの答えにたどり着くまでを、ほのぼのとした雰囲気の中で丁寧に、素朴に描くその手法は昨今のアニメーションにはなかなか見られない魅力があります。
この映画に関して書きたいことはたくさんありますが、最後の最後、スナドリネコさんにぼのぼのが物語を通してずっと抱いていた疑問を投げかけるシーンが特に「ドキッ」とさせられます。スナドリネコさんは「どうして楽しいことは終わってしまうのか」というぼのぼのの質問に対してこんな風に返します。
「ぼのぼの、楽しいことは必ず終わるし、苦しいことも必ず終わる。この世にあるのは全部終わってしまうことばかりだ。なぜだと思う?」
出典:https://youtu.be/KR4fMdBj2M8?list=PL2A75CF443D45A0EB
「それは多分生き物というものが何かをやるために生まれてきたわけじゃあない証拠だろう。」
もし楽しいことをするために生まれてきたのなら、楽しいことという「目的」が達成されればそれがずっと続いてもおかしくはない。あるいは苦しいことをするために生まれてきたのでも同じこと。でも何もかもが終わってしまって、長く続くものはない……それは「楽しむため」「苦しむため」「何かを達成するため」に生き物が生まれてきたわけではないからだ。スナドリネコさんはそう言います。
僕はこの言葉を聞いた時、ゾクリとしました。わかってはいたけれど、なんとなく認めたくないことを言い当てられたような気がしたからです。僕たちはどうしても「〜をするため」という目的を欲しがります。
例えば僕は山を登っていると「何のために登るの?」と言われるし、筋トレをしていても「何になりたいの?」と言われます。これは一般的には山を登ったり、筋トレをしたりすることには「何か目的があるはずだ」と思われがちだからです。
しかしこれは実にとんちんかんな質問と言えます。なぜなら僕は山に登るために山に登るのだし、筋トレをするために筋トレをしているからです。手段と目的が一致しているのです。大抵は「生活のために仕事をする」とか「レポートのために本を読む」とか手段と目的が一致していない場合が多い。
でもスナドリネコさんに言わせれば、僕たちは何かのために生まれてきたのではないのだから、手段と目的は分けては考えられないはずなのです。つまり、僕たちは「生きるために生まれてきた」「生きるために生きている」としか言えない、というわけです。しかしこの答えを聞いて、ぼのぼのはこう尋ねます。
出典:http://minkara.carview.co.jp/en/userid/1421295/blog/30830743/
「何かをやるためじゃないの?じゃ、僕たちは何のために生まれてきたの?」
あなたはぼのぼのにどんな答えを返しますか?この質問に対しても、スナドリネコさんは丁寧に簡単な言葉で説明します。この先はあまりにも長くなるので割愛しますが、なんだか見終わった後、じっくり考え込みたくなるような答えを、スナドリネコさんは返しています。ぜひDVDを借りて見てみてください。
僕がこの作品に対していつも感動するのは、その内容の哲学性もさることながら、大人たちが子供達に対してとても真摯に向き合っているところです。
「大人」という生き物はたいてい「子供」というものを支配したがります。そのため「子供」たちが自分にわからないような質問をすると、自分の支配下から逃げてしまうと錯覚し、「うるさい」だの「そんなどうでもいいこと考えるな」だのと「子供」が考えるのを止めようとするのです。
あるいはテキトーに理屈をこねてさっさと答えを出してしまって、それに対しても子供が質問をすれば「そういうもんなんだよ」なんて全くもって答えになっていない答えを返して煙に巻こうとします。
しかし『ぼのぼの』の世界の「大人」たちは決してそんなことはしません。スナドリネコさんは映画やテレビアニメでも見られるように、いつもぼのぼのの質問に丁寧に答えようとします。がさつなアライグマくんも「どうしてそんなこと考えるんだ?」なんてぼのぼのの考えを聞こうとしますし、ぼのぼののお父さんは一緒になって悩んでくれるんです。
「自分はなんでも知っているんだ!」という「大人」の思い上がりは、たいていの場合単なる勘違いです。そのことを忘れずに、フラットな視点でいつまでもいたいものだなあと、この作品を見ると思わされます。
出典:https://youtu.be/rbkbEMqBC6w
最後に最近の安保法案の話題を含め、いろんなことに当てはまりそうなセリフを、ちょっと長いんですけど、ヒグマの大将から拝借して、おしまいにします。
「生き物はな、生きていることが全てよ。生きていることが全てだからこそ、大きいも小さいも関係ねえんだ。それを誰かが何かの目的に命をかけ始めたらどうなる?俺たちはそのうち、何か目的がないと生きられねえ馬鹿な生き物になっちまうだろうよ」
(中略)
「目的のために生きる奴はな、嫌でも我慢強くなるもんさ。そういう奴がこの森に一匹でも現れたら他の生き物はどうあがいてもそいつには勝てねえよ。なぜならそいつは死ぬまで参ったとは言わねえんだからな」
「その先はどうなる?この森にいる奴らはみんな、自分と自分の家族を守るためにお前ぇ(スナドリネコさん)と同じように命をかけはじめるのよ。それがどんな世界の始まりかお前ぇにはわかるか!」
出典:http://minkara.carview.co.jp/en/userid/1421295/blog/32108220/
ほんと、すごいアニメです。