うつ病について知っておいて欲しい10のこと
さて、「うつ病について」の第一弾。
うつ病を患っている時に、周囲の人に「こうして欲しいなあ」「これは正直辛かったなあ」「これはありがたかったなあ」と思ったことを10個並べました。
相当長いですが、まあ、気が向いたら読んでみてください。
中には「甘えるなよ」とか「傲慢だ」と思う箇所もあるかもしれません。
でも本音なので、ご容赦ください。
容赦できない場合は我慢してくださいw
ではでは、しばらくお付き合いくださいまし。
●夜が来ると急に眠れなくなる。
●手足に鉛が詰まったみたいに感覚がなくなり、起き上がれない。
●頭の中に砂嵐のようなものがおきて考えがまとまらない、言葉が出ない。
●わけもなく悲しくなって、涙がボロボロこぼれる。
うつ病の症状はなったことのない人からすれば幽霊みたいなもので、僕自身もなる前は「そんなバカなことがあるのか?」と思っていた。
でも、これは、全部本当だ。
うつ病のような極度のストレスは脳内の重要な伝達物質である「セロトニン」の分泌に機能不全を引き起こす。
すると普段は意識せずに機能させられているはずの自律神経(体温調節など)がコントロールできなくなる。
結果それまでできていた普通のことが途端にできなくなるというわけ。
しかしこれを病気でない人たちに伝えるのはとても難しい。
うつ病の始めは自分がうつ病であることを患者自身も受け入れられていない。
正直自分でも自分の体に起きていることが馬鹿げたことだと思っているのだ。
でもそれは本当の事なのでそのまま伝えるしかない。
にも関わらず話した相手に「本当かよ」「気のせいじゃないの?」「悲劇のヒーロー気取ってない?」なんて言われてしまえば、衝撃を受けるに決まっている。
もし症状を信じられなくても、彼・彼女自身を信じて欲しい。
怪訝な顔をするくらいなら、「経験がないからどんな感じかわからないけど、君を信じるよ」と言ってあげて欲しい。
「うつ病患者に頑張れと言ってはいけない」とは今となってはメジャーな話かもしれない。
しかし、それがなぜなのかになると、驚くほど理解してもらっていないのが現状だ。
サボリ魔の人たちや、適度に息抜きができる人はうつ病にはならない。
そういう人たちは自分のストレスに正直なので、神経がストレスに耐えられなくなるほどストレスを溜め込まないで済むからだ。
対して一生懸命頑張りすぎる人、クソがつくほど真面目な人というのは、ストレスを見て見ぬ振りをしてでも頑張ることができてしまう。
そういう性格の人たちは世の中の人たちが「仕事に手を抜いている」「うまくサボっている」なんて思いもしないし、そういう人たちを心から軽蔑している。
つまり、彼らはうつ病になった時点で「すでにものすごく頑張りすぎている」。
しかも手足に力が入らず起き上がれないなんて、「バカみたいな」理由で仕事を休んだり、身動きが取れないことに対しても、自分ですらこれはサボりではないのかと考えている。
だからうつ病の症状で会社を休むと言った時点で、「極限まで頑張ってそれでも無理だ」と判断しているのだ。
こんな人たちに頑張れと言ってしまえば「自分はまだサボっている」「もっと頑張らなくちゃ」と、すでに限界を迎えているにも関わらず、さらに自分を追い込んでしまう。
結果は目に見えているはずだ。
しかし、頑張れという言葉が励みになる場合もある。
それは「頑張ってサボろう」とか「勇気を出して休もう」といった文脈だ。
なんでサボるのに頑張りが必要なのかと思うかもしれないが、うつ病になるような性格の人には頑張るよりサボる方が難しいのである。
彼らは論理的なタイプが多いので、こんなことを言えば「頑張ってサボるて意味わからん」と苦しそうな声で言うかもしれない。
実際僕は言った。
それでも言い続けてあげて欲しい。
彼らはサボることを知らないからだ。
いわゆる気のいい人たちは、うつ病になっている人たちのことを思って「気合だ、気合!」「家の中にいてはダメだ!外に出て気分転換をしろ」と言ってくれる。
その善意は残念ながら本人をものすごい勢いで追い込んでいる。
気のいい人たちがちょっとしたアドバイス程度に言ってしまった言葉を、うつ病性格の人は全部間に受けてしまう。
気合だ!と言われれば自分に足りないのは気合だと思うし、世の中の人たちはもっと気合を込めて生きているのだと思う。
外に出なくてはと思うが、手足に残る鈍い痛みと、人混みで発症するパニックに怯え、それができない自分を呪う。
こういうアドバイスをくれる人たちは、得てして深く悩むことがないタイプが多いように思う。
どんなに辛いことがあっても、寝れば忘れる、みたいなタイプだ。
眠れないほど悩むうつ病性格の人とは、まさに対極にある。
僕がうつ病を発症したきっかけは当時4年ほど付き合っていた遠距離の恋人の浮気だった。
劇的に悪化するきっかけになったのは、大学時代親しくしていた男が、僕と別れて一ヶ月の元恋人に寝取られ事件(男には恋人が別にいた)である。
もちろん、遠距離の恋人に浮気をされた人全てがうつ病になるわけではない。
ナイナイの岡本さんのように仕事にうちこみすぎてうつ病になる人もいれば、仕事を頑張りたいのに頑張らない環境に置かれたことでうつ病になる人もいる。
中には親からの虐待や、学校でのいじめなど一見より深刻な原因を持っている人もいる。
しかし誤解を恐れず言えば、どのケースも当人にとっては同じレベルで深刻である。
だからこそうつ病という形で心が悲鳴をあげるのだ。
「虐待を受けてたとかならともかく、恋人に浮気されたくらいで……」と言う人もいるが、これは間違った認識と言える。
兄貴肌の人に多い励まし方がこのタイプ。
例えば「浮気くらい普通よ。私は知らない間に彼氏に子供ができてたよ」と言ってきた人がいた。
こんな不幸自慢をアドバイス顏して言われてもリアクションに困る。
相談していたのはこっちなのに、「大変だったんですねえ」と気遣う羽目になる。
確かにあなたはしんどかったのかもしれない。
でもそれ今僕に言うべきことですか?となる。
本人は「あなたの悩みなんてちっぽけなものだ。気にしなくていいよ」と言いたいのだろうが、そんなちっぽけな悩みのせいで手足まで動かなくなっている僕は、人間のクズってことでいいですか?と思う他ない。
追い詰めたいのならまだしも、励ましてくれるつもりなら、この方法は全くの逆効果なのだ。
僕は本当に家族に恵まれている。うつで神奈川から帰ってきた時も、高知へ旅立つ時も、そして再び高知から帰ってきた時も、常に僕を肯定しようとしてくれていた。
僕は大阪で地元の本屋のアルバイトを始めるのだけれど、これも長続きせずに辞めてしまい、その後は1年くらいただぼんやりする期間があった。
そんな時もやはり家族は温かかった。
僕にとっては地元の幼馴染たちの存在もとても大きい。基本的に家の中で過ごしがちな僕を外に連れ出してくれたのは、他の誰でもない彼女たちだった。「彼女たちがいなければ今の僕はない」と言ってもこれっぽっちも言い過ぎではない。
大学時代の後輩たちも、「自分なんて生きていてもしょうがない」と思っている僕を慕ってくれ、遊んでくれた。
「ここなら自分もいていいのかもしれない」と何度も思わせてくれた。
幼馴染たちをはじめ彼らが決してしなかったのは、病気に関してむやみに立ち入ることだった。何も言わず、僕が話すことに相槌を打ってくれるだけ。それだけで十分だったし、それが一番嬉しかった。彼らは絶対に僕を変えよう(否定しよう)とはしなかった。
これがうつ病の思考から逃れらなくなっている状態での、周囲ができる最善の方法なのではないだろうか。
自分を否定するのに疲れきっているうつ病患者にとって、「別にいいんじゃないの?」と言ってくれる存在は本当にありがたいと思う。
「うつ病患者=悩み事をこじらせた人」程度に考えている人にありがちなのが「嫌なことは酒を飲んで忘れろ」のパターンだ。
このタイプの人は2つの間違いを犯している。
1つは「うつ病患者=悩み事をこじらせた人」という認識である。
こういう人たちは得てして患者側が症状を訴えても、半ば笑うような、半ばイラついているような、そんな顔をすることが多い。
根本的にうつ病になるようなタイプとは対極にいるような人間だ。
2つめの間違いは「うつ病患者に酒を飲ませる」という点だ。
前述のようにうつ病患者は脳内の伝達物質セロトニンが機能不全をおこしている。
このセロトニンの分泌に必要な成分の1つが「ビタミン群」。
アルコールはこのビタミン群を盛大に破壊するのである。
二日酔いは健常者にも辛いものだが、うつ病患者は症状と相まってもっと辛くなる。
しかしアルコールで酔っている間は辛いことを考えなくて済むので、また飲んでしまい、最悪はアルコール依存症を併発してしまう。
僕は相当な大酒飲みだったが、酒の量が減ってからは落ち込むことも少なくなっている。
●うつ病を治すべき。
●会社に行くべき。
●外に出るべき。
●「まっとうに」生きるべき。
うつ病患者は「実社会では優秀とされる人が多い」と言われるように、基本的に思考力が高い。
うつ病患者の特徴としてよく言われるものの中に「考えすぎ」があるが、そもそも考える能力のない人は考えすぎることもできない。
とりとめもなく考えるのは苦痛なので、彼らは比較的論理的な思考も得意だ。
従って、理屈さえ理解できれば導き出せる「どうするべきか」という問いについての答えは、だいたいすでに理解している場合が多い。
「もっとこうするべきだよ」「そんなんじゃダメだよ」と指摘してくる人も多いが、患者からすれば「そんなことはわかっている」と言いたい。
「できれば苦労しないんだよ」と言いたい。
僕は今になってようやく思えるようになったことがある。
それは「もっとこうするべきだよ」「そんなんじゃダメだよ」という人たちは、本当に「するべきこと」を常に怠らず、「そんなんじゃダメなこと」を決してしないのだろうか、んなわきゃねえということだ。
世の中の大半の人間はやるべきことを理解できず、そんなんじゃダメなまま生きている。
「もっとこうするべきだよ」「そんなんじゃダメだよ」とうつ病患者に言う人たちは、確かに患者のことを思って言ってくれているのだろうけど、残念ながら逆効果だ。
あたかもするべきことをして、そんなんじゃダメじゃないように生きているように言われれば、うつ病患者は一瞬で「自分だけがそれをできていないのだ」と思ってしまう。
なぜなら「もっとこうするべきだよ」「そんなんじゃダメだよ」と言う人たちはたいてい、「自分はできているけれど」という顔をして指摘してくるからだ。
しかも、その指摘の内容は、たいてい「わかりきったこと」である。
なので周囲の人たちはその人が「どうするべきか」ではなく、「どうしたいのか」を一緒に考えてあげてほしい。
「どうするべきか」は思考力があれば導き出せるけれど、「どうしたいか」は意思や感情が必要だ。
うつ病患者たちは得てしてこの2つを失っているか、疲弊させている。
したがってはじめのうちは「どうしたいの?」と聞かれても「わからない」と答えるだろう。
本当にわからないのだ。
考えてもみてほしい。
自分に絶望し、誰でもいいから世界から消してほしいと思っている時に「何をしたい?」と聞かれても答えられないはずだ。
逆に言えば「~がしたい」と患者が言い始めたということは、それが言えなかった時に比べて格段に感情や意思が回復してきている証拠だ。
これはどこまでも間違いである。
この言葉には「うつ病は誰でもなる病気だから油断しないで」というメッセージとともに、「うつ病なんてすぐ治る風邪みたいなもんだ」というメッセージも意図せず含まれてしまっている。
これは本当に最悪のキャッチコピーだ。
このキャッチコピーに文字通り殺された人も少なくないはずである。
正直なところ、「うつ病は誰でもなる病気」という点にも大いに疑問がある。
世の中には絶対にうつ病にはならないだろうな、という人間が無数にいる。
そういう人はたいてい他人の感情を斟酌せず、自己犠牲なんて意味がないと考えており、さらには自分のミスを他人のせいにし、下手をすれば他人の手柄を自分の手柄にしてしまう。
さらには自分を否定されることに過敏で、そして否定されると悩むのではなく相手を攻撃する傾向にある。
彼らは基本的に心に直接攻撃を受けないので、おそらくうつ病にはならない。
「うつ病なんてすぐ治る風邪みたいなもんだ」という点に関しては、もはや単なるジョークレベルの誤解である。
うつ病と診断されて、数ヶ月後で「寛解」にまで回復する人も少ないわけではない。
しかし僕自身も寛解に至るまでは3年の歳月が必要だったし、先日一緒に仕事をした人はすでに20年近くもうつ病を患っていた。
そしてそんな人は決して少なくない。
「なんでまだ治らないんだよ」と言う人も多いが、これは大きな間違いである。
うつ病は究極「なってみないとわからない」し、わからない人には一生わからない。
これはおそらく真理に近い観察だと思う。
けれど、自分の大切な人がうつ病にかかった場合に、自分が何かできることはないだろうかと必死になって考える気持ちはわかる。
そんな時はきっとわかろうとしたいはずだし、できることがあるならさせて欲しいと思うだろう。
その時に、ここまで挙げた9つの内容を思い出して欲しい。
相手の言うことは信用してあげて欲しいし、むやみに「頑張れ」と言ったり、「気合だ」と言ったり、「お前の悩みは大したことはない」なんて言わないようにした方がいい。
「どうするべき」を押し付けるよりも「どうしたいか」を聞いてあげて欲しい。
確かにここで書かれてあることは「あれもするな、これもするな」というものが多く、何かしたい人にとっては「何もできないじゃないか!」と思うこともあるだろう。
しかしそうやって憤る時、少し考えてみて欲しい。
それは「自分がうつ病にかかった人のためになると思う何かをしたい」のか「うつ病にかかった人がして欲しいと思うことをしてあげたい」のか。
似ているようで、この2つはまったく違う。
前者は「自分が良いと思うこと」をしたいという、単なる自己顕示に過ぎない。
対して後者はあくまで相手の意思を尊重したやり方だ。
前者はひょっとすると良い結果をもたらすかもしれないが、経験上、この手の人のアドバイスやサポートはうつ病患者にとって重荷にしかならない。
「よくしてもらってるのに、応えられなくて申し訳ない」と思ってしまうからだ。
患者を困らせて自分の影響力をアピールしたいのなら目的は達成できるが、患者を助けたいのであれば全くの逆効果である。
「なんて失礼なやつだ!」と思う人もいるかもしれない。
「人の行為を踏みにじる最低のやつだ!」と思う人もいるだろう。
「きっと自分の大切な人ならわかってくれる」と思うかもしれない。
失礼で最低だと思われついでに忠告しておこう。
残念だが、「わかってくれるはず」なんて甘えに対応している余裕はうつ病患者にはない。
うつ病になりやすい人は周囲に気を遣いすぎて自分を殺してしまう人が多いように思う。
だから病前はそういった「甘え」にも応じてくれただろう。
だが状況は変わった。
伝え方を変えなければ、相手への愛は伝わりっこない。
ここまで読んで、「やっぱりうつ病患者のことは理解できない」と思った人がいるだろう。
その人にもし、うつ病患者の知り合いや友人、パートナーがいたり、できたりしたら、相手からそっと距離を置くことを僕はお勧めする。
それが自分にとっても、うつ病患者にとっても、ベストな選択肢である。
いかがでしょうか。
長かったですね。
カウントしたら7000字近かったです。
軽くレポートですね。
第三弾まで書いたら卒論だなw
ということで、続きます。