ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

改行くらいはする。

近頃ブログの文章を書いていて、コメントとかも貰ったりして「ちょっとこれブロガーっぽくね?」などと馬鹿げた幻想を抱いていたりもしてみたが、自分が書いた文章を読んでみるとイマイチ自分の好きな文章になっていないのである。「これは商売用の文章ではないか」どこかでそう感じてしまう。

確かに商売用の文章の方が読みやすくもあり、わかりやすくもあるだろう。うつ病についての文章などはできるだけいろんな人に読んでもらいたかったので文末を「ですます調」にしてみたり、見出しをつけてみたり、画像を加えてみたりと読みやすさにこだわった。しかしそれ以外の文章はなんだ。どう考えてもどこかのイケダ何某と同じような文体である。イケダ何某の文体がどうとかではなく、その真似事をしている自分に嫌な気分になったのである。

思えばまとまった文章を書いたのは大学4年の冬であった。とっくに仮説の検証が終わってしまい、あとは文章に起こすだけの、いわばチョコレート部分をなめきった後のポッキーのような(そういえば「ポッキーの日」なんてのもあった)卒業論文を放擲して書き始めた「岸田アパート」という中編小説である。その小説は1年後の『パピルス』誌上に「パピルス新人賞候補作」として僕の本名とタイトルだけが載った。

当時僕は神奈川にいた。「そんな載ってるわけないよね、連絡とかも来てないしね」と自分に対して言い聞かせつつ、ラゾーナ川崎の地下にある丸善書店で自分の名前を見つけた瞬間に小さく叫んでしまったものである。あの文章は当時傾倒していた森見登美彦先生の真似事をしたのだけれど、存外にうまくいって、自分らしい(常に頭の中に言葉が流れ出している)文章になっていた。今読んでも面白いのは、やはり書いている側が心底楽しんで書いたからだろう。今の僕の文章にはその輝きは、ない。

もちろん商売用の文章で僕の持ち味(?)であるところの妄想・奇想・空想を盛り込むわけにはいかない。脱線につぐ脱線と、突然挟まれるペダントリーな文章を盛り込むわけにはいかない。しかしそれはそれ、これはこれ。書きたい文章を書きたいようにタレ流さずに何がブログか。僕はイケダ何某ではないし、(ちょっぴり憧れはしたけれど)プロブロガーになりたいわけでもない。いちライターでおわる気はないけれど、かと言って今書かせてもらっているような文章をやめたいわけではない(むしろもっと書きたい。もっと仕事ください)。今の方向性で、よりレベルの高い文章が書けるようなライターになりたいのである。

「プロのライターならブログの文章もいつ売りに出してもいいくらいのものを書くべきだ」という人もいるかもしれぬ。やかましい。そんなことを言う奴にはポストに生卵を投函してやる。開けた瞬間転がり出てポストの前で踊るがいい。息抜きで書く文章くらい好きに書かせろ。

……ということで(これはしょうもないメディアの文章の末尾に多い文言で、きちんと文章で結論まで持っていけないへっぽこライターが、「わかりますよね?」と説明をぶっとばして読者に丸投げするときの常套句である)、これからのブログはもっと散漫に、時にはつらつらと妄想を書き連ねたりしながら綴っていきたいと思う。

乞うご期待!