ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

【創作小説】昔書いた「カヨコ」という名のクソカワ娘の話1

カヨコの手のひらが音高く榊原東子の頬を叩いた。

「フラれた腹いせにつまらんこと言うな」

低く唸るような声だった。言葉にならない音を口から漏らしている榊原東子の顔がカッと赤くなる。

「つぎサジのこと馬鹿にしたら、ぶん殴る」

カヨコはいつもそうだ。先に手を出してから宣言する癖があった。でも、とサジは思った。榊原東子の言うことは何一つ間違っていない。ごめんなさい、声に出そうとしたが出ない。視界が急速に狭まっていくのを感じながら、サジは泣きそうになってしまう。

「サジ!」

素早く駆け寄ったカヨコが肩を貸してくれる。息がうまく吸えない。手足の力が抜けて完全にカヨコに体重を預ける格好になっている。身長はもうカヨコよりもサジの方が20センチも高いし、体重だってかなり重い。男子の中でも頑丈な部類に入るサジを、カヨコはこともなげに支えてくれている。ごめんなさい、ごめんなさい。必死になって謝ろうとするが、声どころか呼吸すらままならない。

「しゃべったらいかん。ゆっくり、息しぃ。いま医務室、連れて行ってったる」

「カ、カヨ」

「おるよ、ここにおる。しゃべらんでええ」

彼女はサジを引きずって医務室まで運んでくれる。サジはひとまず呼吸を整えることに専念することにした。

 医務室のベッドに彼を寝かすと、水持ってくるからと言ってカヨコは部屋を出ていった。その途端、安心したのか目からだらだらとだらしなく涙が流れ落ちる。

 涙が止まらないうちにカヨコが帰ってきたものだから、あわてはしたものの誤魔化しようがなかった。というよりもむしろ彼女の顔を見た途端、先ほど抑え込んだ感情が一気に溢れ出してしまう。

「ちょっと、どうしたん」

カヨコがうろたえるのも無理はない。泣くほどのことではないのだ、普通であれば。しかしサジは、自分は「普通」なんかじゃないと強く思っていた。カヨコは嗚咽のせいで話はじめられないサジの頭を優しくなでる。そのせいでもっと涙があふれてくる。肌のぬくもりを感じると、自分が許されているように思えるのはなぜだろう。

「泣かんでもええやろう。あんなん単なる逆恨みや。自分がフラれたからってサジがホモやなんて、阿呆や」

「違う」

「わかってる」

「違う。そうやないねん」

ごくりとつばを飲み込む。のどの中をどろりとした唾液が音を立てて落ちていく。その唾液と同じくらいに粘度の高い空気が二人の間に漂っている。多分彼女はサジが次に何を口にするかもうわかっているだろう。きっとどう返事をするかまでもう決めている。彼女の目はそういう目だった。なら、サジには本当のことをきちんと言うことしかできない。

「僕、ほんまに男の子が好きやねん。せやから言い返されへんかった。こんなん、気持ち悪いやろ。やからカヨちゃんにも言い出せんかった。その、ごめん」

「そんなもん。そんなもん、なんで謝るの。謝ることやない」

「許して、くれるん?」

「二度も言わせなや、謝ることやない。せやから許すも許さへんもあれへん」

「うん」

ありがとう、そう言おうとしてサジが顔を上げると、カヨコの目からも涙が流れている。彼女はそれをぬぐうこともせずに流れるままにして、ずっと彼の方を見ていた。いつもは天真爛漫の典型のような彼女が黙って涙を流すことなど、一〇年近くの付き合いになるサジですらなかった。うろたえるのを見て彼女は吹き出した。

「なに慌ててんの。阿呆みたい」

「笑うことないやろ。カヨちゃんが何も言わんと泣いたら誰でもびっくりするわ」

「私かって泣くことぐらいあるし」

「どんなとき」

「こういうとき」

言い終わらないうちにカヨコの体が前のめりになり、顔がすうっと差し出される。気づいたときにはサジの唇と彼女の唇がぴったりとくっついていた。数秒間。とても短い時間に思えた。サジは自分の頬が急速に熱を持つのを感じる。見ると、カヨコの頬もリンゴのように真っ赤だった。口元は涙をこらえようとしているのか固く引き結ばれて、目からはさっきよりも大きな涙の粒が流れ落ちている。サジは言葉を探しても探しても見つからず、ただこちらを見つめる濡れた目を見つめ返すことしかできなかった。彼女は今あった出来事全てを自分の肺に吸い込むように、大きく大きく息をつく。

「失恋したときや」

「え」

「私はずっとサジのことが好きやったの。そうやなあ、小学五年の時からやから、もう五年くらいになるなあ」

「そんなん、知らんかった」

「だって言ってへんかったもの、誰にも」

「ごめん」

「なんで、謝るのん」

同性に惹かれるようなタチではなければ、自分はきっとカヨコに惚れていただろう。だからサジは自分のことが申し訳なかった。自分がこうでなければ、きっとみんな幸せになっていたはずだったのだ。

「まさか自分がホモやなかったらよかったとか、言うんちゃうやろうな」

「いや、それは」

「馬鹿にすんのもええ加減にして!」

狭い医務室にも高らかにビンタの音が鳴り響く。音に遅れて頬にビリリと痛みが走った。サジが驚くより先に彼女の手が彼の胸ぐらをねじりあげていた。カヨコの目の涙はもうとっくに止まっていて、その目じりは強い怒りを帯びている。頬が赤いのは泣いたせいではなく、きっと怒りのせいだろう。細い腕からは想像もつかないほどの力でねじ上げられる。

「あんたが誰を好きになろうが男を好きになろうが、サジの勝手やんか。私がサジを好きになったんも私の勝手や。当たり前や。好きになるな言われたかって、好きになるときは好きになる。サジのそういうところ、ほんま大っ嫌い」

「ごめん」

「私はムカついてる。ホモなんかゲイなんか、そんなもんは知らん。でもまさかサジがそうやなんて思ってもないやんか、何で教えてくれへんかったんやって怒ってる」

「ごめんなさい」

「何べんも言わすな。謝んなっていうてんねん」

ほとんど首を圧迫する形でさらに胸ぐらがねじりあげられる。不器用で乱暴だが、自分を全力で肯定しようとしてくれるカヨコの気持ちがサジの心にしみた。カヨコはいつもサジを守ってくれる、自分は彼女に何か返せているのだろうかと不安になる。きっと何も返せていない、自分は彼女から奪ってばかりだ。何も言えずにただ彼女のまっすぐな目を見つめていると、しかめられた眉間の力がふっとゆるんだ。

「けど、それでもまだ、私はサジのこと、好きやねん」

私の好きなサジのこと、気持ち悪いとか言うな。その言葉と同時に彼女の手からも力が抜けた。サジは気持ち悪くなんかない、サジはサジや、カヨコはシーツに顔をうずめ、グズングズンとにごった音を立てながら繰り返しそう呟いた。彼女に握りしめられて、シーツがキュッと高い音を立てる。

「カヨちゃん、ありがとう」

彼女の頭をなでながら、サジは声を立てずに泣いた。自分が彼女にできることが何もないことが、悔しかった。