ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

【創作小説】昔書いたクソカワカップルの話2

 しかし、その店長に最近女の影があるのでは、という噂が流れている。パートのおばさんなんかはその噂で仕事の能率が一・二倍になったほどである。ある高校生アルバイトの女の子によると、どうも近頃店長が早上がりの時に、店の前で待っている女性がいるそうなのだ。その話をした後、彼女は目頭にハンカチーフをあてて、そのあと同じその布で鼻をかんだ。またあるパートのおばさんは、店長が休みの日に買う食材の量が近頃一・五倍になった、というのである。あたしゃレジ専門なんだ、まちがいっこないよぉ、と自分の観察眼に自信のある様子である。どうやら、買いだめでもないらしい。店長は毎日その日の分だけ買っていくというのだ。これはいよいよ怪しい、ということで、彼の勤務先では店長のいないところではひっきりなしにその噂が飛び交っているのである。

 そんな噂が自店のお客様の頭上構わず飛び交っているとはつゆ知らず、店長は自分の家で読書をしていた。彼の部屋には東側に大きな窓があるが、その傍に彼自ら吟味した「読書椅子」を置いて、時々外を見ながら小さな文庫本を読んでいる。どうせまた小難しいものでも読んでいるのだろう、タイトルなど見たくもない。にしても、先ほどの唐揚げはまだテーブルの上に取り残されている。作っただけで満足したわけではなかろう。誰かを待っているのだ。先ほどの電話の対応を見ても、いよいよ怪しい。

 彼の目線が、その本のある章の終わりに近づき、彼の頭がその章のまとめを終え、序章からその章までの内容を整理し終わったころ、階段を上る足音が聞こえた。すると彼は、本をもとあった場所に戻し、「読書椅子」から立ち上がった。そのあいだにも階段を昇る足音はどんどん彼のいる階に漸近してくる。彼はメガネをはずすとキッチンに入り、食器棚から二つの茶碗をとりだした。それにふっくら炊けた白米を綺麗な曲線を描くように店長が盛りつけたと同時に―――扉が開いた。

「チャイムぐらい押したらどうなのさ」

「だって、どうせカギ開けてくれてるんだもん」

「……おかえり」

「ただいま、店長」

お土産だぞ、といってその女(女!やはりあの噂は本当だったのだ!)は、生ビールの六本ケースを掲げた。

「えらく奮発したな、これうちの店で一番高いやつじゃないか」

「小夜子さんのおごりだ、ありがたく頂きなさい」

「ちょうど今日唐揚げなんだ」

「あ、じゃあぴったりだね、飲もう飲もう」

「そうだな。小夜子さん、コート」

「あ、うん」

そう言って、小夜子はコートを脱ぎ、店長に預ける。彼は玄関からキッチン、リビングへと移動してそのコートをハンガーにかけた。

「ここ何日かで急に寒くなったね」

小夜子も店長のよそった茶碗を両手に持って、リビングに入ってきた。荷物は肩にかけてある。

「うん、小夜子さん、風邪に気をつけなよ」

「店長もね」

「あ、ご飯ありがとう」

「いえいえ。わぁ、おいしそうだ」

「今日はね、カレー風味だよ」

「ふむふむ」

満足そうな顔をして、彼女は椅子に座った。肩より少し短い黒髪、シンプルな白いシャツに黒いパンツ。どれもシンプルに見えて、微妙な工夫があちこちに凝らされていた。シャツの仕立ては、彼女の細い体に美しく沿っていたし、パンツもため息が出るほどのしなやかな生地で、彼女の細く長い足を引きたてている。よく見てみると、いやよく見ずとも彼女は相当の美人である。スタイルは先述したように細く、長いし、顎には無論無駄な肉などどこを探してもなく、唇は日本人形のように慎ましく、瞳もとても優しい光を放っていて、メイクも自分の外見の長所短所を熟知したものだった。こんな美人がなぜ、店長の部屋に、というほどの美人である。

 

 店長は六本から二本取り、残りのビールを冷蔵庫に入れて、椅子に座った。

「じゃ、食べようか」

「うん、食べよう食べよう……の前に乾杯だね」

「そうだった」

プシュゥ、と耳が目を覚ますような音をたてて、ビールの缶が開けられた。そして、乾杯、と小さな声で言いあって、二人は各々の缶に口をつけた。

 店長の料理はいつものように美味しくて、小夜子もいつものように彼の料理を褒めた。

「こんなのは一生かかってもつくれないなぁ」

「小夜子さんにもできるよ」

「できません」

という会話も、いつも通りだった。けらけら笑う、小夜子の声も、きっと同じだった。

小夜子は食器を片づけ始める。店長が夕食を作った時は、その代わりに彼女が食器を洗うのがしきたりなのである。まだ残っているサラダはラップに掛けた、多分店長の明日のお弁当行きだな、と彼女は考えた。一通りテーブルの上を片付け終わると、彼女は冷蔵庫の横に掛けてあるエプロンを身に付けた。服に水滴や食器の汚れが飛ばないように、である。

  

彼女の服は、直截にいえば、高い。ある高級ブティックの販売員をやっているからだが、その店でも最高級のラインの服を彼女は好んで着る。それが一番自分を引き立てるものであることを知っているからだ。高級店ともなると、顧客は同性だけではない。というのも、意中の女性をモノで釣ろうとおもっている不貞の、しかし金持ちの男どもが、よく店にやってくるのである。そういう顧客にとって、彼女は最も確信を持って接客してもらえる販売員だった。もちろんそれは彼女の商品知識や、人当たりも良いながら、かつ礼を失しない美しい物腰なども作用していたが、何よりも第一印象がその最たる因であった。

 彼女の担当する売り場は、比較的奥まったところにあるにもかかわらず、店に入った途端顧客は彼女に目を奪われる。ただでさえ美しい造形の持ち主が、それを最も引き立てる召し物を身にまとい、満面の笑みで迎えてくれるからである。この人なら大丈夫だ、と思わせる雰囲気が彼女から匂い立つのだ。大抵の男性顧客は、その日彼女が来ている服を買って帰る。自分の意中の女性と、小夜子をいつの間にか重ね合わせてしまうのである。

小夜子は流し台に立って、クスッと笑った。

「どうしたの?」

トイレから出てきた店長が尋ねる。

「いや、この狭いキッチンにももう慣れたなぁ、と思ってさ」

「って言っても、うちに来るようになってから、まだ三カ月ぐらいだよ」

「まぁ毎週来てれば慣れもするよ」

「そんなもの?」

「そんなもの」

ふーん、じゃまぁよろしく、といって店長は奥に入っていく。

彼の背中を眺めながら、小夜子は四か月前のことを、ぼんやりと考えていた。

続く