ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

自分のうつ病を「うつ病持ちの精神科医の視点」で考える意味


うつ病の闘病記的な本は、たいていが普通の仕事をしている人が多く、文章も稚拙だし、内容的にも似通ったものが多い。うつになる原因や、症状は確かに多種多様だが、それはその症状や状況を読んで楽しいレベルに表現できてこそ意味がある。

もちろんそういう話が励みになる人もいるだろうが、それにしては闘病記的な本は値段が高すぎる。発行部数が少ないので、どうしても割高になってしまうからだ。



一方で『精神科医が自ら綴る症例報告 内因性うつ病からの回復』(以下『内因性うつ病からの回復』)は違う。著者は1935年生まれ、現在80歳を超える精神科医つまり専門家である。しかもうつ病にかかったのは60代後半なので、医者としてもすっかり円熟している時期だ。本文はうつ病の理解については重要な「これまでの人生」から綴られ(戦前・戦中・戦後の生活の様子が描かれていて、これが結構面白い。文章も淡白だがわかりやすい)、うつ病にかかってからは自分自身の体験を「うつ病患者」と「精神科医」二つの視点から観察し、自分の日記や奥さんの日記から多角的に症状を分析している。

うつ病を体験したことのある人にとっては、かなり読みやすい部類の本だと思う。そしてなにより、うつ病の影響で気持ちが塞いだり、体に影響が出た時の様子をうつ病持ちの精神科医の視点」で書いてくれているというところに、この本の大きな価値がある。

・十一月十八日、早朝から憂うつ気分と、不安や焦燥感が強くなって耐え切れず、また忘れっぽく思考がはたらかないのを強く意識して、妻に向かい「俺はアルツハイマー認知症になってしまった、もう医者はやっていけない」と嘆き心気妄想を訴えていました。(前掲書p59)

・入所中はつねに看護スタッフに犯罪者として嫌われ蔑まれ、そして白眼視されているといった被害的観念に支配され、不安におののいていました。(同p65)

・筆者のような老人が心気・罪業・貧困妄想(微小妄想)など、精神病症状を伴って発症する退行期メランコリー(精神病性老年期うつ病)に詳しい古茶らは、その自殺に至る心理的背景を分析して、次のように述べています。(同p141)




この本は「小説ではない、真面目な本」をコンセプトに書かれている。そのためエピソード的な面白さよりも、うつ病の症状をできるだけ客観的に描写することを重視している。この「うつ病を客観視する視点」は、自分がうつ病と付き合っていくにあたって、かなり重要なことだったりする。この話をするために、少し僕の実体験を綴りたい。少し長いが、ざっと読み通してくれれば良い。


僕は12月の頭ごろから中頃まで、実は結構な抑うつに悩まされていた。その大半はDeNAのキュレーションメディア「WELQ」に関連する情報を追っていたことが原因だ。この騒動ではメディアの運営側であるDeNAとともに、そのメディアの記事を書いていたクラウドソーシングとそこに登録しているライターについても問題視されていた。中にはクラウドソーシングのライターはネット上にゴミを量産している」だとか、「スキルもモラルもない連中がライターを名乗って欲しくない」だとか、「ああいう人たちってプライドないのかな」といった意見もあった。おそらくは出版社の記者だとか、出版社あがりのフリーライターたちの声だろう。彼らは前々から近年雨後の筍のように増加した(僕のような)ライターを苦々しく思っていたに違いない。それが今回の騒動で明るみに出たので、これ幸いと声を上げ始めたのだ。「ほれみたことか!」と。

僕はクラウドソーシングとウェブでライティングをする人間として、今回のDeNA騒動について、ちゃんと追っておくべきだと思っていた。なのでそうした言葉に心をズキズキさせながらも、「一体何が問題だったのか」「ではこれからどうすればいいのか」を考えるために、情報を追い続けたのだ。しかし長くは続けられなかった。「お前の仕事はライターとは言わないんだ」「お前の仕事は恥ずかしい仕事なんだ」というメッセージを(勝手に)受け取り続けた結果、僕は一時的に自分を全く肯定できなくなってしまった。そこに恋人とのちょっとした衝突が起き、「もうみんな自分のことが大嫌いなんだ」と、それこそ心気妄想に取りつかれてしまったのである。


すでに『内因性うつ病からの回復』を読み終わっていた僕に、ここで本の内容が効いてくる。

自分が抑うつ状態になった時に「みんなに見捨てられた」「みんなに嫌われた」「自分の仕事は恥ずかしい」「もう終わりだ」という言葉が頭をよぎっても、ふと「あの本で著者が書いていた抑うつの時の考え方やセリフとよく似ているな……」とか「ん?これはあの本に書いてあった心気妄想ってやつか?」といったように、自分の症状を客観的に見つめられるようになっていたのだ。

もちろんだからといって抑うつが楽になるわけではない。しかし「みんなに見捨てられた」「みんなに嫌われた」「自分の仕事は恥ずかしい」「もう終わりだ」という言葉が事実ではなく、抑うつから来る単なる妄想にすぎないということがわかるだけでも、僕にとっては大きな救いだった。


「どうしても落ち込んでしまうけれど、これは病気のせいだ。じゃあその原因は何だ?それを解消して、気持ちが楽しくなることだけしよう。そうすれば気持ちは上向くはずだ」


そうやって考えることができたからだ。その結果、原因はDeNAの騒動を追いすぎたことだと気づき、まずはこの騒動関連の情報を完全にシャットダウンした。その上で筋トレをしたり、新しくストレッチを始めたり、好きなアニメを観たりして、心のメンテナンスをしていった。その結果なんとかどん底を抜け(最後は全く食事を摂る気が無くなるところまで行った。久しぶりだった)、迫り来る締め切りも乗り越えることができた(今回ばかりはさすがに無理だと思った)。




一番うつ病で苦しんでいた時は「精神科医なんかに自分の気持ちはわからんのだ」と思ったりしていたし、「本なんか読んでもこの苦しみを乗り越える術は書いていない。こんなしょうもない悩みは自分だけのものだ」とも思っていた。しかし今回の経験で、自分のうつ病を「うつ病持ちの精神科医の視点」で考えることには、大きな意味があると実感した。抑うつ時の僕は外界を無意識的にシャットダウンし、心気妄想の迷宮に迷い込みがちだ。精神科医の視点・言葉は僕をこの迷宮から一気に引きずり出し、「ほら見てみろ、これが今のお前の心だぞ」と客観視させてくれる。あとはパズルかゲームのような感覚で、自分の心をポジティブな方向に導いていくだけになる。


うつ病との向き合い方に迷っている人にとっては、この「うつ病の客観視」はとてつもなく難しい。これをするためのメソッドを学ぶという点で『内因性うつ病からの回復』という本は非常に価値がある。