ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

僕たちが赦される唯一の方法は「誠実であること」だ。(後編)

すっかりブログを書くのを忘れていて、滑り込み週一更新!

まずは前回の内容を振り返っておこう。

 

0.人間はどうしても間違える。間違えることを赦されるためには「誠実さ」が必要である。

1.誠実とは「真面目で、真心があること」である。

2.真面目には時間的要素と空間的要素が絡んでいる。

3.時間的要素における真面目とは「継続すること」である。

4.空間的要素における真面目とは「ヌケモレがないこと」「ぬかりがないこと」である。

5.真面目かどうかの評価には「真面目度」がある。

6.2〜5から考えるに極力ミスをなくそうと力を尽くす姿勢こそが真面目、そして誠実さに繋がる。

 

今回はこれに続いて真心について考えてみよう。僕は生まれてこの方「クソ真面目」の称号を欲しいままにしてきたので、真面目に関してはベテランである。しかし真心については初めて考える。これは僕に真心がないからか?そんなことはどうでもよい。さて真心とはなんであるか。

 

真心についてGoogle先生に尋ねたところ、「偽りや飾りのない心」「真剣につくす心」とある。

これはまた難しい話である。 ここで言われている偽りや飾りは、浮気男の常套句である「嘘なんてついてないよ!」で使われる嘘とは違う。客観的あるいは論理的に偽りや飾りがあるかどうかでなく、自分の心に偽りや飾りがあるかどうかを問題にしているのだ。

 

自分の心というものは、おそろしく曖昧なものだ。そもそも自分の心が何を感じ、何を知っているのかは、おいそれとわかるものではない。

僕が酒の量を大幅に減らした時の話をしよう。以前の僕には2日に1回はかなりの量の酒を飲む習慣があった。一番ひどい時は毎回焼酎をストレートで440ml飲んでいた。焼酎をストレートで飲むのが辛くなってからはビールを2〜3リットル飲むようになっていた。うつ病を罹患していたこともあり、この状況は喜ばしいものではない。また筋トレが本格化してきて、この食生活のままでは一向に減量が進まないという問題も発生していた。

 

そこでこのアルコール習慣を止めるために僕は「ビールが飲みたくなったら味のないただの炭酸水を飲む」を実践した。甘いものを飲んでカロリーを摂取するくらいならビールが飲みたい。しかしカロリーゼロのただの炭酸水(甘味料も入っていないのでさらに健康的)には脱アルコールだけでなく痩せるという大義名分もある。だからただの炭酸水なのだ。

この子供騙しみたいな作戦の効果は、導入1日目から現れた。ただの炭酸水の炭酸は得てしてビール以上にきつい。このバッチバチの炭酸が喉を駆け抜けていくと、それまで飲みたかったはずのビールの必要性を感じなくなった。すなわち僕はビールが飲みたかったわけでなく、何かしら口腔内に刺激が欲しかっただけなのだ。

 

このエピソードから得られる教訓は、自分が確かにあると信じていた感情も、もしかすると全く別の感情かもしれないということだ。僕の場合、これはファストフードやジャンクフードにも当てはまった。「別にそれでなくてもよかった」という例は枚挙にいとまない。

 

感情はそんな自分ですら捉えがたいものなのに、真心とは「偽りや飾りのない心」を意味するという。これは真面目であることよりもはるかに難しそうだ。それこそ真面目になって、自分自身の心と向き合い、自分の「偽りや飾りのない心」はどこにあるのかを問い続けなければならないだろう。「本当に自分はそう思っているのか?」「自分がやりたいこと、考えたいことは本当にこれなのか?」と。真心とは言い換えれば自分に素直でいることなのかもしれない。

 

 

一方、「真剣につくす心」についてはこのブログでも何度か書いてきた。これは「相手を大切にする心」と言い換えて差し支えないだろう。相手を大切にするには、相手の大切なモノ・コトを大切にする必要がある。このことについては「大切な人を大切にする方法」を参照されたし。かなり面倒で大変な作業だが、これもまた誠実になるために必要なようだ。

 

 

前回の内容も踏まえた上で、誠実になることで赦されるためには以下のように考える必要があることがわかる。

 

1.誠実とは「真面目で、真心があること」である。

2.真面目には時間的要素と空間的要素が絡んでいる。

3.時間的要素における真面目とは「継続すること」である。

4.空間的要素における真面目とは「ヌケモレがないこと」「ぬかりがないこと」である。

5.真面目かどうかの評価には「真面目度」がある。

6.2〜5から考えるに極力ミスをなくそうと力を尽くす姿勢こそが真面目、そして誠実さに繋がる。

7.真心とは「偽りや飾りのない心」「真剣につくす心」である。

8. 「偽りや飾りのない心」を手に入れるにはは真面目になって、自分自身の心と向き合い、自分の「偽りや飾りのない心」はどこにあるのかを問い続けなければならない。

9. 「偽りや飾りのない心」とはすなわち「自分に素直でいること」なのかもしれない。 10. 「真剣につくす心」は「相手を大切にする心」と言い換えられる。

11.相手を大切にするには、相手の大切なモノ・コトを大切にする必要がある。

12.8〜11に基づいて考えると、真心とは自分に素直でいながら、相手を大切にする心である。

 

これらをさらにまとめると、次のようになる。

 

1.誠実とは「真面目で、真心があること」である。

6.2〜5から考えるに極力ミスをなくそうと力を尽くす姿勢こそが真面目、そして誠実さに繋がる。

12.8〜11に基づいて考えると、真心とは自分に素直でいながら、相手を大切にする心である。

 

いっそ一文にまとめてしまおう。

 

誠実とは極力ミスをなくそうと力を尽くす姿勢を持ち、自分に素直でいながら、相手を大切にする心である。

 

 

 

……思いつきで始めた「誠実」についての考察だったが、割合良い結論が出たのではないだろうか。今日からはこの一文を胸に、誠実になるために努力していきたい所存である。