ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」論のクソっぷりについて。

 おかしいと思うんですよ、この理論。でもなんか「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」と言われると、状況を改善しようとしているだけの自分が「みんなを出し抜いて楽をしようとしているずるい人間」のように思えてきませんか?そうやって現状維持をして、一体何になるんですか?

 

これと同じ部類の理論(笑)に、「俺も昔は苦労した。だからお前も頑張れ」的なやつがありますよね。「俺も苦労したからお前も苦労しろ」っていうやつです。運動部とかでも1年生の頃に先輩にいじめられた人たちが先輩になって、「これがうちの部の伝統だから」とかわけのわからん理屈で後輩をいじめたり、という話はよく聞きます。「伝統」って言葉をそんなやすやすと口にするなよって思いますよね。本気で伝統文化を守ってる人たちに失礼じゃろうが。

 

この種の理論(笑)は結局のところ自分のエゴとか、「変化したくない」っていうサボり精神が前提にあって、それを肯定するためにあとから理屈をつけただけにすぎません。「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」というときの「みんな」は、小学生とかの子供が「みんながゲームボーイ持ってるから僕も欲しい」と駄々をこねるときの「みんな」と同一だし、そしてその「みんな」は限りなく自分と同一人物です。

 

この理屈を使う人間の頭の中では「苦労すれば、今我慢すれば、自分のようになれるぞ」というメッセージが後続者に対して込められているんだと思います。でもすくなくとも僕はそんな理屈を使うような人間にはなりたくないので、あんたと同じ苦労も我慢もしたくねえよと言いたい。

だいいち、ビジネス環境も社会環境もたった数年で一変する今の時代に「成功事例」は役に立ちません。新しいツールや価値観を取り入れてどんどん変わっていって、無駄な苦労や我慢はせずに、新しい苦労や我慢に自分の気力や体力を注ぎ込む必要があるわけです。

それも理解できずに「自分のようにやれ。全く同じようにやれ」と言っている時点で、ちょっとその……アレ(終わってる)なんですよね。

 

ただし、「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」「俺も苦労したからお前も苦労しろ」という言葉だけを受け取って「クソだ」と切り捨てるのもちょっと違うかなとは思います。

なぜなら「苦労の中身」によって、これらの言い方が意味するところは変わってくるからです。 例えば次のようなアドバイスは無視してはいけない「俺も苦労したからお前も苦労しろ」論の1つといえます。

 

「俺は問題解決のために当時考えうる限りの情報収集をして、夜を徹して分析をした。その結果、なんとか問題を解決できたんだ。当時はインターネットもスマホもなかったし、エクセルもなかったからな。全部足と手でやったよ。でも今はそれくらいのこと、誰でもできるぞ。情報収集も分析も、なんなら問題解決の方法もあちこちで手に入るからな。お前がするべきはそういう苦労じゃない。むしろ誰でもできること以上のことを生み出す苦労をしなきゃいけないぞ。その意味ではお前の方が大変だ。いっぱい考えて、いっぱい苦労しろ。そうすれば自分で仕事を作れるようになる。やりたいことがやれるようになるからな」

 

テキトーに考えたので具体性もクソもないアドバイスですが、相手の立場にきちんと立ったうえで、相手がどうするべきなのかを「苦労」という文脈で語っています。テンプレの「俺も苦労したからお前も苦労しろ」論はあくまで自分目線でしか語れないので害悪ですが、同じ「俺も苦労したからお前も苦労しろ」という話でもこうしたアドバイスには聴く価値があるわけです。

 

なので「みんなも苦しいんだから、お前も我慢しろ」「俺も苦労したからお前も苦労しろ」に類する言葉を投げかけられたら、冷静に相手のメッセージを解読する必要があります。有益なアドバイスをくれる人を切り捨てず、かつ有害な人間を人生から締め出すために、くれぐれも注意したいものですね。