ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

『岸田アパート物語』1号室

一一月三〇日.

 宙に舞ったのは皿だけではない。無論、そのうえに載っていた出し巻き卵も一回転ひねりを加えて見事頭部から着地した。憎らしいことにプラスチック製の皿は、さも私を嘲笑するかのようにふてぶてしくアスファルトに横たわっている。この予期せぬ転倒について、私には何ら責任などないというのに。私は冷静に、しかし素早く、少し形の崩れた出し巻き卵と憤然とする皿を拾い上げ、元の状態に戻し、岸田アパートへと向かった。


 岸田アパートというのは、私が住んでいるアパートから徒歩三〇秒ほどにある奇妙な構造のアパートである。もともとが一戸建ての所を各部屋を不自然に分割して賃貸にしているものだから、取ってつけたように洗面所や風呂があり、急ごしらえのその壁は恐ろしいほど薄い。そのためか家賃は驚くほど安く、それなりに広い部屋でも三万円未満となっている。
すべての部屋を学生が借りており、そのうちの二部屋に私の友人が住んでいる。私も彼ら同様学生で、このアパートの住人ではないが、ほとんど住人同然のように出入りしている。今日はその岸田アパートで、「一品持寄りお食事会」が開催される。そこに私は自慢の出し巻き卵を持参していった。

「おうい、やってるかあ」
と、飲み屋の親爺に向かってするような挨拶が、ここ岸田アパートの中の私だけの習わしである。お邪魔します、などと他人行儀な挨拶をしていては、ここではいつまでたっても他人のままだ(と思っている)。
「お、草(そう)さん」
と、私の愛称を口にしたのが、この家の主、郷田である。この男、三年次編入で入学してきた変わり種で、前に通っていた京都の大学ではろくすっぽ講義にも出ず、恋と酒と金に溺れる毎日だったという。彼は大変野性味あふれる男で、髪は不自然なほどの天然パーマ、そして長髪のもじゃもじゃ頭、たわしのような髭をそのがっしりとした顎にたたえ、その巨躯を大きく揺らしながら「がっはっは」と笑う。
 

 その野性味の秘訣を問うと、こんな話をしてくれたことがあった。すなわち、大学一年の時に好きな子に振られて泣き叫び、一か月も近くの山にひきこもったかと思うと、そこからがすごかった(と本人が言った)。鴨川沿いに並ぶカップルたちを見ては対岸から水切りを装って石を投げ、クリスマスに京都駅に聳え立つツリーを斧で薙ぎ倒し、大学構内でいちゃつく学生を見ようものなら、どんなに甘く愛し合って周りが見えなくなった恋人たちであろうと恥じらわずにはいられないほど冷やかした。私はその話を聞いて、
「ほほう」
と顎を撫でて称賛の意を表したが、腹の中では(こいつ阿呆だな)と断定した。しかもただの阿呆ではない、正真正銘の阿呆の判を押した。太鼓判である。しかし、このような男にも、その野性味あふれる風貌のほかに、素晴らしい美点があった。それはとにかく性格が鷹揚であることだ。私が恋に破れてやけ酒を飲む時も、バイト先の上司にむかついて愚痴を吐く時も、友人だと思っていた連中に裏切られたと私が喚く時も、いつもこの男は、
「そやな、そら辛いなあ」
と笑顔で酒を注いでくれたのである。私はありがたくて、しかしそんな自分が情けなくて、どうして泣いているのかは判然としないまま、とにかく声を挙げて泣いていた。そんな私をも、この男は優しさに満ちた目と頬笑みで包み込んでくれた。そんなこんなで私はこの男を慕い、こうして出汁巻き卵を持って来ている。

「今日の出汁巻き卵の出来は、上々である」
「おお、そうか。まあ、草さんの出し巻き卵は、いつだって美味い」
「当然だ」
がっはっは、と郷田が笑っていると、
「うぃーっす」
と玄関からもう一人男が入ってきた。郷田の隣に住む、森野である。この男は、私と郷田よりも二つ下の学年だが、その完成した人柄と郷田のフランクな性格から、私達にも友人に話すように言葉を使う。坊主に近い短髪のスポーツマンだが郷田のような野生味はない。インドア趣味に吹けることが多いうえに色が白く、夏場に長時間外にいようものなら真っ赤になってしまう程だ。焼けるとネイティヴアメリカンのようになってしまう私からすればむしろうらやましい限りである。
顔立ちも線の細いという形容詞がぴったりの容貌だが、運動部に所属しているためか、体は筋肉でそこかしこが異様なまでに隆起している。脱いだらすごいとはこのことかと、はじめてみたときには得心したものだ。
先ほど「完成した人柄」と言った。その所以はこの男、何しろ全く人の悪口を言わない。どうしても我慢できない時もあるようだが、それを言ってしまったあとは決まって、
「おれも、まだまだや」
と一人台所で呟いている。なんともストア主義の若者である。あまりにも成熟しているので、つい私が相談事までしてしまう始末だ。しかも必ずと言っていいほどその事柄はうまくいく。彼にはまったくもって頭が上がらない。


「香織嬢は、今日は来られんのか?」
香織嬢とは郷田の恋人である。この男、こちらの大学に入るや否や、あっという間に恋人を作ってしまった。それ以来、ツリーを切り倒そうとは思わなくなったそうだ。
 香織嬢は、とても優しい。それは何も、郷田や我々にだけではない。動物や地球にも優しい。見知らぬ人間にも優しい。とにかく愛に満ち溢れた女性なのだ。荒みに荒んだ挙句流す涙も失った私の心は、今まで何度も彼女の慈愛に救われてきた。彼女の笑顔は私のオアシスである。
「むう、七時には来るっていうてたんやけどなあ」
「何や、バイトか?」
「いや、今日はなんかの集まりやいうてた」
「なんかて、なんや」
「知らん」
そんな会話を郷田と森野がしていると、外の駐輪場に単車の停まる音がした。ドゥルルルルル。
「おお、香織や」
香織嬢は単車に乗る。しかも「ナナハン」である。「ナナハン」という言葉の意味を私はよく知らない。しかし、とにかくデカイ単車の事を指すことだけは心得ている。そして、香織嬢はこのナナハンに颯爽とまたがる。その姿は中世の戦乙女(ヴァルキュリア)のように雄々しい。腰まである長い黒髪。彫刻を思わせる鼻梁や鋭利な顎のライン、そして知性を満々とその目じりにたたえる一重の瞳が、文句なしに美しい。彼女は郷田のような野蛮人にはもったいないほど、魅力的な女性なのだ。
「どんな天変地異が起きれば、お前のような野蛮人とあんな女性が付き合えるのか。未だに腑に落ちん。これは由々しき問題である」
「そら、お前、俺が男前やからや」
郷田はそう言って「がっはっは」と笑う。この正真正銘の阿呆の口にスリッパを突っ込んでやろうかと思うほど憎らしい笑いだったが、紳士的な私はそこで自らの奥底に湧き上がる憎しみを、怜悧な理性で持って抑え込んだ。流石私である。


 野蛮な憎しみという感情を、散り散りに引き裂いて排水溝に流したあと、私はおもむろに出汁巻き卵を水道で洗い始める。無論、付着している砂利を落とすためだ。バイクを停めて玄関から入ってきた香織嬢が、この私の行為に疑義を呈した。
「あれ、草さん、なにしてるの」
「出汁巻き卵の仕上げです」
「仕上げ?」 
「そうです。私は油を多くひかないと、きれいな形にできないのですが、実際は油は少ない方がうまいのです。だからこうして仕上げに油を洗い流して……」
「草さん、まさか落したんとちゃうやろな」
と、森野が口をはさむ。そのはさまれた口は、私の胸に突き刺さった。
「……なぜわかる」
「だって、いっつもそんなんしてへんやん」
「あら草さん、嘘つきなの?」
ああ、香織嬢にも私のウソがばれてしまった。
「まあ、洗ったら食えるやろ。草さんの出汁巻き卵、美味いし」
と郷田。
「そやな」
「嘘なんかつかなくても、洗えば大丈夫」
森野、香織嬢、両氏も賛同の様子である。この寛容さこそが岸田アパートの面々である。
「すみませんでした」
私は頭を掻いて、素直に謝った。

 


「弘毅、どうやらふられたらしいで」
「え、なんで?」
「なんでって言われても……」
「まあ、あれじゃあねえ」
森野の作った絶品の肉じゃがをつつきながらそんな会話になった。弘毅(こうき)というのは岸田アパートによく出入りする男である。学生団体での活動に精を出す二年生で、なんとも澄んだ眼の持ち主だ。彼の魅力はそのまぶし過ぎるぐらいの笑顔である。そして、その笑顔を振りまきながら、何のためらいもなく世界を幸せにしたいんですと言えてしまう純粋さも備えている。
 しかし彼には大きな欠点があった。極端に女に惚れやすいのだ。一年生の時、弘毅は彼の笑顔よりもまぶしい笑顔をもった女の子に、わかりやすく惚れてしまった。そこまではまだ良かったが、誰もがなぜと思わざるを得ないほど、突拍子もないタイミングで告白し、衝突実験の車のようにへしゃげてしまったのだ。


 確かにその女の子は見目麗しいという形容詞がぴったりな容姿をしていた。しかしながら、そのわかりやすく美しい外見とは対称的に、恐ろしく複雑怪奇な性格の持ち主でもあった。
 郷田の後輩たちも含む岸田に集まった飲み会の席で、皆が大いに酒池肉林を享楽しているなか、彼女はただ一人小さな紙片に奇妙な絵を黙々と描き、淡々と壁に貼っていく。あるいは黙々とケトルでお湯を沸かし、そのお湯を飲み続ける。もしくは郷田の愛読書である中原中也の詩集から「汚れちまつた悲しみに」を探し出し、小さな声で朗読をしてほくそ笑む。
そのような様子だから、彼女はさぞ飲み会がつまらないのだろうと思っていた。しかし飲み会を開くたびに毎回欠かさず参加し、そのたびに酒池肉林の中、同じように奇妙な儀式を繰り返しているので、どうやら彼女は彼女なりに愉しんでいるのだろうと、私たちは了解していた。
 彼女を口説き落とすのはよほど女性慣れした男でなければ無理だろう。弘毅のような純粋漢には荷が重すぎた。箸にも棒にもかからぬままにフラれてしまって当然だったのだ。


 とはいえ弘毅に非がなかったわけではない。彼のアプローチの仕方がとにかくまずかった。君はすごいね、美しいねとあまりにもストレートな言葉で、しかも何の文脈もなく口説き始めるものだから、恋愛技術に造詣のない私で彼の口説き下手具合に唖然としてしまった。そんな彼に対しての、彼女の対応がまたすさまじかった。
「気持ち悪いです」
の一言である。それは弘毅の精神が切り裂かれるなどという程度を超えて、一瞬にして灰燼に帰したかと思われるような神々しさすら感じる一言であった。


 その場で慰めるわけにもいかなかった我々は思い思いの気持ちの整理を行った。私は九六度の酒をストレートのままマグカップ一杯分あおり「ウォシュレット!」と叫びながら奇怪な踊りをはじめ、郷田は奇声を発してアパートの裏の草むらに駆けていった。森野は猛然と筋トレを始めてプロテイン代わりにウィスキーを流し込み、香織嬢はデスボイスで叫びながら狂ったように首を上下に振り、飲酒運転などどこ吹く風で単車にまたがってど走り去っていった。それほどの破壊力だったのである。
 そのような奇行が飛び交う中でも、彼女は相も変わらず奇妙な絵を描いていた。ツワモノとしか言えまい。さて弘毅はどうしたか。意識朦朧としていた私の記憶が正しければ、彼は一〇分ほど呆然と絵を描く彼女を見つめたあと、何の前触れもなくこう言った。
「君が好きなんだ。付き合ってくれ」
弘毅が言い終わるか終わらないうちに返事が来る。
「結構です」
結構です。イヤですでもなく、ごめんなさいでもなく、結構です。この他人行儀な距離感は一人の不毛な恋にもがく青年を完膚なきまでに叩きのめす。すなわち弘毅は手元にあった無謀なほどのアルコールを摂取したのち、意味不明の言葉を発しながらトイレにかけこみ、便器を抱いて眠った。きっと彼の悲しみは、全て便器が洗い流したことだろう。
 しかし何でもかんでも便器に洗い流してもらうのも考えものかもしれない。弘毅はその半年後、岸田に来てこうのたもうた。
「僕、好きな人できちゃいました」
その時の彼は、ただでさえ赤い顔がさらに赤くなっており、私は、
「よかったではないか。ほら飲むぞ!」
と彼の恋を讃えながら、その人参のような顔と学ばない彼の理性を笑っていたものである。酒を飲んで朝鮮人参のようになっていく彼に根掘り葉掘り聞いていると、どうやら今度は比較的普通の女性に惚れたようであった。


 ところが、彼は同じことを繰り返してしまう。そう、脈絡のない褒め言葉の乱発だ。曰く、君は立派だね、可愛いね。便器は彼の苦い思い出から学んだものすら流してしまったのだと思われる。その結果、彼は告白する前に撃墜されるという、屈辱以外の何ものでもない結果を突き付けられてしまったそうだ。
「あれをやってうまくいくのなんて、よっぽどの男前よね」
「そやなあ、まさに俺のような男やな」
「黙れ、この阿呆め」
「弘毅は純情すぎなんやって」
「ちょっと話聞きたいわよね。今から呼べる?」
「ああ、呼ぼか」
そう言って森野が電話を取り出した。すると、今すぐ向かう、という返事であった。それを受けて、
「よしっ」
と言って香織嬢が近くのスーパーに酒を買いに行った。私と郷田はふと目を合わせ、静かにうなずき、おもむろに部屋を片付け始める。めったに自分からは酒の買い出しなど請け負わない香織嬢が、率先して買い出しに出た。こういう時の香織嬢は飲む。そして暴れる。その準備をしているのである。以前に一度、酔っぱらった香織嬢が突如マイケル・ジャクソンのダンスを踊り始め、
「ポウッ」
という叫び声と同時に、マイケルのハットさながらまだ中身の入っているグラスを投げたことがあった。その先に森野の新品同然のパソコンがあったため、エライことになったのである。自棄を起こした森野は猛然と郷田に飛びついて接吻した。それを見た香織嬢は自分の犯した過ちなど意に介せず、
「私もー」
と叫んで、郷田に接吻を試みた。そのまま目に余る様相を呈しかねない流れだったので、私は決死のフライングクロスチョップを香織嬢にぶちかまし、彼女が将来羞恥の念に駆られて「死んでしまいたい!」とならぬようにしたのである。次の日、
「なんだかわき腹が痛いのよねえ」
と呟く香織嬢の横で、いやな汗をかいた(が、私は自らの偉業にたいしての誇りは失わなかった)。それから香織嬢の酒乱が予測されるときは、貴重品をまとめて森野の家に移すことにしているのである。


「ほんま、弘毅の惚れやすいのも考えものやな」
我々がせっせと貴重品を運び入れる間に、自室の台所で酒の肴を拵えている森野が言った。この森野の肴は彼の肉じゃが同様絶品である。彼自身はおおざっぱに作っていると言い張るが、どう考えても何か巧妙な仕掛けがあるに相違ない。なぜなら彼の作るそれは、「おふくろの味」だからである。脳内の諸々の麻薬が一気に解放され、体中が弛緩する、あのなんとも懐かしくやさしい味。彼の作る料理の虜になって岸田に通う者も少なくない。それほどの懐柔力である、失恋後の弘毅などその聖母のごとき優しさの前に、突っ伏して嗚咽するほかあるまい。その情景を想像して、想像の中の弘毅からもらい泣きしそうになっていた私の背中を、郷田がバシッと叩いてこう言った。
「まあ草さんもよう似たもんや。がっはっは」
と、心優しい豪傑は、どストレートに私の傷口を切り開いた。
「え、そうなん? 俺その話知らんわ」
「そらそうや、森野と草さんがまともに仲良うなったん、最近やからなあ」
「そんな前の話なんや」
本当に涙が出そうである。
「も、もう、よかろう。今日は弘毅のための会なのだから」
「せやな、その話はまた今度や。」
「気になるなあ、それ」


 私はちょうど一年半前、すなわち三年の春、ある女性に恋をした。便宜上、佳菜子(かなこ)さんとしておこう。彼女はもはや人間ではないのではあるまいかと思うほどの愛らしい笑顔の持ち主だった。私などは彼女が人間ではなく天使なのだと確信していたほどだ。肩より少し長い黒髪、華奢なように見えてわりあいしっかりした骨格、天上の楽隊が喉に常駐しているに違いない美しい声。どれをとってもそこらに転がる路傍の石とは桁違いの女性であった。なぜそのような女性に私が謁見できたのか。それは私にもわからない。わからないが、客観的事象を述べるとすれば、彼女から私に話しかけてきたのである。なにも、
「あまりじろじろ見ないでください、気味が悪い」
といった、あの昔日の弘毅の想い人のような爆弾を投下してきたわけではない。彼女がそんなことをするはずもない。


 私はよく大学の図書館にこもることがあった。時には江戸期後半において、なぜ本居宣長ようなナショナリストが日本に発現し、その潮流が大きくなるにつれて「明治維新」などという大転換にまで発展していったのか、その背景や如何にということが気になって、延々とメジャー・マイナーかかわらずその時期の日本史の文献を読み漁っていた。また或る時は、一九世紀イギリスと二〇世紀初頭の日本の状況に見られるあからさまな符号に驚き、その類の本を貪り読んでいた時期もあった。ちょうど私が昆虫が本気で人類を滅ぼしにかかった場合に、いったい人類は何日間耐えられるのかを試算しようとしている時期と、佳菜子さんが資格の勉強をしている時期と重なったのが、ちょうど一年半前だった。
 その日は、朝から試算のための参考文献を読み始めたところ、あまりの蟻の強さに驚嘆して夢中になってしまった。昼食抜きで活字世界に狂乱していると、知らぬ間に日が暮れていた。そのことに気付いた途端猛烈に空腹をおぼえた私は、おもむろに立ち上がり、財布を尻のポケットにねじ込んで、階下へつながるエレベーターに乗り込んだ。今日の食堂の特別メニューは何であろうと、よだれを口内にたんまりとたたえながら図書館の出口に向かっていると、そこで私は何者かに呼び止められた。声の主は佳菜子さんである。
「あ、あの……」
思えばあの控え目な態度も、私を魅了したのである。
「何でしょう」
と、必死に冷静さを装ってはいたが、内心は凄まじい内的葛藤の嵐が吹き荒れていた。ひょっとして自分でも知らぬ間にこの美しい女性の持ち物を盗んでいたのだろうか、いやそんなはずはない、私はずっと本を読んでいたのだからそれはない。もしや蟻の仕業か?いやひょっとするとこの女性が蟻なのか?ついに彼らの侵略戦争の火蓋が切って落とされたというのか?などと意味不明の自問自答のくり返しが、渦を巻いていた。しかし、彼女の口から発せられた言葉は、私の全く予期せぬものであった。
「今から、お食事、ですか?」
「は、はあ、まあ」
「ご一緒しても、よろしいですか?」
「え、ええ、かまいませんが……」
このとき、「ええ」の部分が裏返った。
「ありがとうございます」
彼女はあの天使の頬笑みを私に向けた。と同時に口内に満々とたたえられていた唾液の大海が、干上がっていくのを私は感じた。
 彼女は食事の席でよく話した。そのおかげでどうして彼女が自分に話しかけたのかもぼんやりと理解できた。なぜぼんやりなのかと言うと、別段彼女がその説明を怠ったからでも、彼女の説明能力に不足があったわけでもない。ただ私の思考が停止していたのが原因である。久しぶりにメニューに登場した大好物の「マグロシャキシャキとろろ丼」という、まぐろと長芋の丼ぶりを購入したのにもかかわらず、ほとんど味などわからなかった。
「私は、あなたに興味があるのです」
と、顔を真っ赤にして(その愛らしさは人参弘毅とは雲泥の差であったことは言うまでもない)彼女はそう言った。
「お付き合いして頂きませんか」
ああなんだか見かけによらずにエキセントリックな言動をする女性だなあ、と思った。そういえば、やはり人は見た目で判断するべきではないぞ、と思ったことも覚えている。私はそのような電撃的な申し出に対して、
「はあ」
という煮えきらない返事をした。しかしながら彼女の脳髄は、このなんとも滑稽な返答を自分なりに素敵に解釈し、そのおかげで、めでたく私には恋人ができたのである。


 私は彼女と様々な場所に行った。彼女はいつも私が行きたい所を聞いてくれ、そして私の答え通りの所について来てくれた。それは大抵が書店か図書館であったが、時にそれは居酒屋になった。書店に行くと彼女は始終私のあとを追いかけた。私が何か本を手に取ると、
「どうしてそれに興味をもったのですか」
と尋ねてきたものである。それに対して私が、これを読めばダニの真の強さが理解できるのですなどと説明すると、彼女はその美しい眼をキラキラとさせて、いつもこう言った。
「なるほど、素敵です」
そのたびに私は、耳の後ろがくすぐったいような感覚に魅惑されて、思わず頭を掻いてしまうのだった。今思えば、彼女とともにいた時間が、私がこの世に生を許されているうちで最も幸せな時間だったのかもしれない。そう思うと、今でも私は馬鹿な事をしたと猛省し、河川敷の土手を夕日に向かって走りながら叫びたくなる。


 二人の関係を終わらせたのは、何を隠そう、私だったのである。