ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

猫って誠実。

9月20日から10月2日まで、僕の母は海外に滞在していた。

 

母が家をこんなに長く空けるのは、多分20年以上ぶりのことだ。

ただ幼い頃の僕とは違って、2週間母と離れたからといって困ることはあまりない。

問題は我が家の王子、黒猫の夜雲(以下やっくん)である。

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彼は生まれてこのかた母と4泊5日以上離れたことがない。

いつでも母にべったりで、母が一泊以上家を空けると絶望した表情になって食欲をなくしたり、排泄が悪くなったりするほど彼女を愛している。

しかも10歳を超える老猫でもある。

 

だから僕は正直なところ、母の海外行きに反対だった。

やっくんは母がいないと文字どおり生きていけない。

大阪には僕と父が残っているが、やっくんは基本的に「お母さんさえいればいいにゃ」なので、僕たちを頼るということを知らない。

なんならイマイチ信用できないとさえ感じている。

そんな状況に少しの体調不良が命取りになりかねない老猫を置くのは、酷だと思った。

 

しかし行ってしまったものは仕方ない。

僕は自分で言うのもなんだが、献身的にやっくんに尽くした。

毎朝8時に起床してやっくんに声をかけ、撫でて欲しいといえば彼が飽きるまで撫でてやり、とりあえず近くにいようと適度な距離を保ってあとをついて歩いたりもした。

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「この、この草が食べたい……」

トイレ掃除やご飯の管理、水の入れ替えはもちろんのこと、夜のお散歩に同行して食べ方が下手で自分では食べられない猫草を一枚一枚口に運んだりもした。

やっくんが何か文句をいえば「ふんふん、それで?」「なるほどなあ」と相槌を打つ。

仕事でやっくんの近くを離れる時は「あっちにおるからね」と一声かけて仕事に戻る。

最初の週末は父も外泊していたので夜中に

「生まれて始めて1人で過ごす夜は辛かろう……。やっくんが心配だ」

といてもたってもいられず、彼の寝床の近くの母のベッドで眠った。

(夜中に「散歩行きたい!連れてって!」と声をかけてきた。可愛い。)

 

注げるだけの愛情を注ぎ、行動で示した。

するとどうだろう、1週間を過ぎたあたりからやっくんの僕に対する態度が変わり始めた。

 

朝声をかけると「にゃんにゃーん」と返事をして駆け寄ってきたり、明らかに一緒にいて欲しそうにしていたり、ついてきて欲しそうにしたりするようになった。

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散歩中のやっくん。頭可愛い…。

マンションを散歩していても僕に対しては全く警戒しない。

むしろ家の外という状況にもかかわらず甘えた声を出してくれるようになった。

(前は僕に対してもすごく警戒していた)

 

そうでないときでも僕に対して何か伝えようと、「うんにゃー」「にゃーふ」「んなー」「ひゃひゃーん」など色々な言葉を使ってくれるようになった。

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僕を「話の通じる相手」「そこそこ信用してもいい相手」と思ってくれているようなのだ。

 

 

やっくんの変化からわかったのは、彼は注いだ愛の分だけ愛し返してくれるということ。

僕が今やっているようなことは、これまで母の領分だった。

もちろん今までも僕はやっくんを愛していたけれど、それを行動で示したことはなかった。

ただ今回、きちんと愛を表現したら、彼はきちんと返してくれたのだ。

これはものすごく誠実な態度だと思う。

 

人間はどれだけ愛を注いでいても、その愛に応えてくれないことが多い。

あまつさえ裏切る人間もいる。

もちろんそこには色々な事情があったりもするわけだけど、やっぱりそこにやっくんのような誠実さはないように思う。

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僕は常日頃、やっくんを尊敬していた。

(母以外には)頓着せず、何か文句があっても「うんにゃー」などのオブラートに包み、基本的にぼんやりのんびりしている。

そんな彼の鷹揚さを、前から見習いたいと思っていた。

 

しかし今回のことで、もっと彼を尊敬するに至った。

やっくんの誠実さは、人間界では稀有で尊敬に値する。

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僕は猫のようになりたい、いややっくんのようになりたい。

鬱と筋トレと食事。

 僕はあまり食事に興味がない。

美味しいものを食べるために行列に並んだり、スーパーに並んでいるものの何倍もするような肉とか野菜を買ったり、高価そうな場所ででっかいお皿にちょこんと載った高価そうな料理を食べたり、そういうことには興味がない。

 

美味しいものは好きだし、高い食材や料理が値段相応に美味しいことも、まあある程度は知っている。

ただ僕の「最高の食事」の基準は「丁寧にとった出汁で作ったつゆで食べる冷凍うどん」とか、「水も料理酒も使わずに素材の水分だけで煮込んだスーパーの白菜」あたりで頭を打っている。

だからそれ以上美味しいものが来ても「まあ別に冷凍うどんでもいいかな」とか思ってしまう。

もちろん誰かと一緒にとる食事には、食事以上の価値があると考えているが、やっぱり食事自体についてはその価値をイマイチ理解できていなかったりするのだ。

 

そんな調子だから、気分が落ち込んで鬱っぽくなると極端に食事をするのが面倒になる。

心療内科にかかって薬をもらっていた時期のように、何を食べても砂利を噛むような感覚にまではならないものの、何かを食べるくらいなら横になっていたいという気持ちが先行する。

以前はその気持ちに身を任せて一日中ほとんど何も食べない日があったりもした。

ひどい時は丸二日飲まず食わずだったこともある。

それくらい、僕は食事に興味がない。

 

だがここ数年で、どんなにしんどくても栄養状態だけは常に充実しているようになった。

精神的に健康的な食事ではないかもしれないが、肉体的にはそんじょそこらの健康食レストランよりも健康的だったりする。

 

僕はこれをひとえに筋トレのおかげだと思っている。

プロ・ボディビル大会の最高峰「ミスター・オリンピア」の初代チャンプ、ラリー・スコットは自分が成功した秘訣として「食事8割、運動2割」と語ったという。

それくらい体づくりには食事が重要だ。

どんなにハードにトレーニングしていても、食事で十分な栄養素をとらないと筋肉がつかないどころか、落ちてしまう。

できあがるのは単に痩せただけのみすぼらしい体だ。

別に筋トレをして誰かに見せようというわけではないが、どうせハードにトレーニングするなら自分で見て納得のいく結果が欲しい。

だから僕は「筋トレのために食べなくてはならない」。

 

この「筋トレのために食べなくてはならない」という意識が、鬱状態の僕を食事に向き合わせる。

「義務で食べるご飯なんて美味しくなさそう」と思う向きもあるだろうが、僕の「最高の食事」の基準は低いのでそこそこ美味しければ何でも十分美味しいし、毎日ほとんど同じものを食べても苦にならない。

 

例えば僕の最近の食事は概ね以下の献立で構成されている。

 

<朝食>

・1:2=玄米:白米の比率でまとめて一升炊いたご飯0.5合 →圧力鍋で炊いているので、安いコメでもそこそこ美味しい。

・全卵2個 →1日のうちトップクラスの脂質源。味付けは気分によって変わる。

・BCAA →バリン、ロイシン、イソロイシンという分岐鎖アミノ酸で構成されるサプリメント。効果はよくわからんが、味が美味しいので朝飲む。タンパク質換算で5g。

 

<昼食>

オートミール80g →4倍量の水で炊いて、中華の素とかだしの素で味付け。これは本当に美味しい。

・豆腐一丁もしくは鶏胸肉150g →豆腐の場合は適当に手で崩してオートミールと一緒に煮る。鶏胸肉は最近フードプロセッサーでミンチにして鰹節の粉末と生姜、白ネギ、パン粉、醤油と一緒に混ぜた鶏ハンバーグとして食べることが多い。フープロ便利。

・なんか適当に野菜 →その時々に冷蔵庫にある野菜を炒めるなり、煮るなりする。場合によっては作り置きの野菜のおかずを食べる。

 

<間食>

・全粒粉パンケーキ →全粒粉100g、低脂肪乳150ml、ふくらし粉だけで作る。もともとオートミールをフープロで破砕した粉末を使っていたが、正直あんまり美味しくないうえに手間がかかるので粉を変えた。はちみつや砂糖不使用のジャムで食べる。

プロテインシェイク →全部で48gのプロテインを水で飲む。

・ミックスナッツ15〜20g

・干しイチジク10〜20g

 

<夕食>

・朝食べたご飯を0.5合

・鶏胸肉150g

・なんか適当に野菜。

 

三大栄養素はともかくビタミンやミネラルが不足しそうな食事内容だが、毎食ディアナチュラの「マルチビタミンミネラルSTRONG」と「カルシウム・マグネシウム亜鉛」を規定量飲むことでカバーしているつもりになっている。

正直三大栄養素をしっかりとるのでいっぱいいっぱいで、ここからさらに野菜を必要量食べるのは胃袋的・モチベーション的に無理がある。

摂らないよりはマシだろうから、サプリメントでとることを選んだ。

 

この食事を元気な時も、元気がない時も続けているので、もし調子が悪くなっても「食事が原因ではない」ことだけはすぐにわかる。

仮に食べる量が減っていてもすぐにわかるので、「これくらい食べればいつもと同じ」という目処もすぐにつく。

食事が大好きな人にとっては鬱になるような内容かもしれないが、僕にとっては驚くほど精神のコンディション管理に役立っているのだ。

 

だから本当に「筋トレをしていてよかったな」と思う。

もし筋トレをしていなかったら、今も漫然と絶食したり、あるいは暴食したりして、食事が原因でコンディションを崩すことも多くなっていただろう。

 

怪我で中断していた筋トレも、昨日から再開した。

メニューも大幅に見直し、今まで1回1時間かけていたところを30分程度で終わるように種目数やセット数を減らした。

オフは8月の週3〜4日より少ない2日になったが、有酸素運動も減らすし、メイン種目に自重種目を設定しているので、毎日の疲労度は総じて低下するはずだ。

これからも筋トレはずっと続けていきたい。

やりすぎや無謀にならないよう、しかし目標は過剰に。

ゆっくりじっくり強くなっていく。

 

食事はやっぱりそのための「作業」だなあ……。

怪我が原因で筋トレ1ヶ月休んだ結果……。

 前回のエントリーで、僕が夏のオーバーワークのせいであちこちを痛めた挙句、突発性難聴になって困っているという話をした。別に何か大会とかの目標があってやっているトレーニングではないので、8月半ばからジョギングを、9月頭からは手首を使う筋トレを、先週からは筋トレそのものを休止としていた。

 

正直ジョギングにしろ、筋トレにしろ、初めは休止なんてしたくなかった。多くのトレーニー(筋トレをする人)が「筋肉はそう簡単には落ちない」といったって、3年以上欠かさずにやってきた習慣を止めるのには勇気がいる。

「やっぱり筋肉は落ちるんじゃないか」

「そうでなくても脂肪がついてだらしない体になるんじゃないか」

そんな不安が頭をよぎる。誰に見せる体でもないのだけど、やっぱりせっかく作り上げたものを失うのは嫌なものだ。

 

だが結論から言えば、1ヶ月のトレーニング休止によって、僕の体に目に見えるような劣化はほとんどなかったのだ。

むしろ筋肉にハリが出て、休養前よりもひと回り大きくなったようにすら思える。体重も体脂肪率もほとんど変化はなく、僕の部屋にある体組成計で体重63kg弱、体脂肪率9%弱をずっとうろうろし続けていた。これでも途中で摂取カロリーを増やして2,200kcalに設定し、ちょっと無理して食事をしているくらいなのに、体重も体脂肪率も維持できている。

いやはや3年間の蓄積というのは、なかなかどうして堅固なものである。

 

この経験から得られる教訓は「筋トレで怪我したらすぐに休め」である。

だましだましやればやるほど怪我は悪化し、筋トレの質も低下し、結果にもつながらない。怪我の痛みは日常生活にも悪影響を及ぼすし、精神衛生上もよくない。努力して作り上げた筋肉はそう簡単には落ちないのだから、食事にだけは気をつけつつ、さっさと休養に入ってストレッチなりなんなり、別の方向に関心を向けた方が良い。

本当に貴重な学びを得たと思う。

 

 

一昨日くらいから突発性難聴も鳴りを潜め、今ではほとんど耳の違和感もない。今週木曜日までは点滴の治療があるけれど、そのあとはまた少しずつトレーニングができるだろう。もうすでに今回の経験を生かした筋トレメニューは立ててある。今から試すのが楽しみだ。

ちょっと未来の自分に伝えたいこと。

9月は季節の変わり目だ。秋が来て山の季節になるのは喜ばしいが、やはり季節の変わり目は辛い。「季節性うつ」という言葉があるくらい、季節の変わり目になると気分が落ち込み、体がだるくなり、何もかもがうまくいかなくなる。ここ最近の天候不順は、僕をこっぴどく打ちのめしてくれた。

 

しかも今回はそれに追い打ちをかけるように、悪いことが重なった。

七月に10kmマラソンを完走して味をしめた僕は、7〜8月にかけて走り込みまくった。その結果8月の半ば頃には、中学生の頃に派手に痛めた右膝裏十字靭帯の古傷が開き、日常生活にも支障が出るようになってしまう。

 

走るのは一旦やめて、ジョギングの計画は見直したものの、僕の病的とも言える運動欲求は止まらない。筋トレを1時間たっぷりやった後に、兄のお下がりのエアロバイクを1時間漕ぎ、2〜3kmならと軽いジョギングをやる。

それでもが痛むので、エアロバイクを1時間半に増やしたところ、今度はエアロバイクの座面でお尻の筋肉を痛める。

エアロバイクもできないとなれば、HIITと呼ばれる高強度有酸素運動に力を入れ、挙句慣れないディップスという種目で手首を痛めてしまった。

手首は仕事道具でもあるので、さすがに無理はできない。泣く泣く手で重りを扱い種目を全てストップし、脚と腹だけのトレーニングに切り替えざるを得なかった。これが9月頭のことだ。

 

ここまでですでに自分のせいで大好きな思い切りトレーニングができなくなって落ち込んでいて、さらに季節性うつの影響で気分はどん底だった。しかし先日さらに追い打ちをかける出来事がこの身に起きた。

耳の聞こえが突然悪くなり、水が詰まったような感覚になったのだ。あわてて耳鼻科に行くと「右耳低音障害型難聴」とのこと。治療が遅れると聴力が戻らない「突発性難聴」の可能性もあるとして、まずはそれに対応する治療をするとの診断だった。

 

泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。耳は聞こえが悪いだけでなく、換気扇やバイクのような空気を強く震わせるものの音は、鼓膜がたわむような感覚になってめまいがする。ただでさえ落ち込んでいる気分に、さらなる追い打ちがかけられる。なんということだ。

やるべきことはわかっている。とにかく今は静養だ。しかしこの文章を読み返すかもしれない未来の自分に、ここで伝えておきたいことがある。それは以下の2つだ。両目を見開いてよく読めよ。

 

・季節の変わり目に向けて事前の準備をしろ。仕事量を調節し、トレーニング量を控えて体調を万全にしろ。3月、9月、12月あたりが鬼門だ。でないと毎日生きるのが辛いぞ。この文章を読んで思い出せ。

 

・生き急ぐな。またどうせ筋トレやら山やら自転車やらジョギングに打ち込みすぎて、体のどこかが痛いんじゃないのか。それはお前の体がまだそのトレーニングに耐えられないという証拠だ。『プリズナートレーニング』の思想にしたがって、ゆっくり堅実に鍛えていけ。そうすれば必ずもっと動けるようになる。人生はうんざりするくらい長いんだ。急いで強くなっても体がもたない。登山のように一歩一歩踏みしめるんだ。

 

声に出して読め!脳裏に刻め!そして毎日笑ってすごすんだ。

新しいステージへ、行こうか……やめとこうか……(弱気)

僕は基本的に引っ込み思案である。うつ病はそれにさらに拍車をかけた。一度引きこもってしまうとコミュ力が面白いくらいになくなって、話せる・話せないとかではなく「話すのめんどい」「話したくない」になってしまう。結果、こんな「ひとり部」というブログを立ち上げ、何でもかんでもひとりで遊んでしまうのである。

 

趣味や仕事で感じる「頭打ち感」

しかし仕事にしろ、趣味にしろ、そろそろ限界というか頭打ち感が否めない。例えば筋トレはほとんど自分の中ではカラダが完成してしまって、新しい理論とかメソッドを取り入れようという気概がなくなってきている。相変わらずトレーニングは楽しいが、質をこれ以上高めようという意欲があまりないので、結果量を増やす方向に行ってしまう。

1.5時間筋トレした後、HIITという高強度有酸素運動をやって、そのあとヘロヘロになりながら走りに出るか、1時間エアロバイクを漕ぐか……とかやっていたせいで、古傷の膝が痛むようになり、今は手首も痛くなってきた。オーバーワークの典型だ。なんとかしないといけない。

山や自転車も同様だ。いまの遊び方に十分満足してしまっているので、新しい山域に行こうとかルートを開拓しようとか、そういう意欲が薄れている。それよりも慣れ親しんだ山域をテコテコ歩いたり、以前走った河川敷に行きたいなとか、保守的な方向に気持ちが傾く。

仕事の停滞加減は……書くと気分が重くなるのでやめておく。

 

「多分大丈夫」なのはわかってるんだけど

僕の趣味は本来コミュニティに参加すれば、交友範囲が広がったり、深まったりするタイプの趣味が多い。真剣に筋トレしている人は少ないから、そういう人たちは新参者や初心者にめちゃくちゃ親切だ(時に親切すぎるほどに)。山を登る人たちは僕の好きな山の場合おじいちゃんやおじさんが多いので、たいていはベテランだし、優しい。自転車についても僕のランドナーという車種に乗っているのはおじさんとかおじいちゃんが多いので、この人たちも詳しくて優しい。筋トレをする人にせよ、若くして僕みたいな山や自転車の遊び方をしている人は少ないので、たいていみんな優しいのである。

 

だからコミュニティに参加すればいいのだ。きっと仲良くしてくれるし、学ぶところもたくさんあるだろう。もしかするとそこから仕事につながることだってあるかもしれない。ジムのオーナーから「うちのメディアの記事書いてみる?」とか、なんなら「メディア立ち上げたいんだけど」みたいな話をくれてもいい。

 

でもやらない。ついつい自分の世界の心地よさに戻ってきてしまう。自分勝手に行動することに慣れすぎているのだろう。それはそれで僕には良いことだと思うのだけど、明らかにそれが原因でいろんなことがマンネリ化している。適度な刺激が欲しい。

 この俺が、ディズニーランドに行く、だと…?

なぜこんなことを書いているのかというと、先日恋人と秋の旅行の計画を立てていた時に、僕が提案したプランが見事に「いつも僕がやってることを一緒にやろうよ」だったのである。いわく滋賀のサイクリング、京都のトレイルコースで紅葉狩り立山連峰散策。見事にほんわかのんびりプランばかり。

これではダメだと「何かある?」と聞いたら、「ディズニーランドがこの期間、比較的空いてるらしいんだけど」との回答だった。僕は渋った。

 

何を隠そう、僕はテーマパークにいい思い出が全くない。20年以上前に祖父に伴われて家族で行ったとき、昔から刺激の強いことが苦手だった僕は祖父に半ば強制的にスペースマウンテンに乗せられ(しかもひとりで)、見事にテーマパーク嫌いになった。小中高と修学旅行は見事にテーマパークで、大学の卒業旅行っぽいものも富士急ハイランドだったが、修学旅行に全て「ベンチで過ごす」を貫き通し、富士急ハイランドでは富士山美術館で1日を終えた。

そんな僕が、あのトラウマの発端であるディズニーランドへ?狂気の沙汰ではないか。あんなテーマパークの権化みたいな場所、怖い。

 

しかし実は僕はこのあいだの4月だったかに、生まれて初めてユニバーサルスタジオに行っている。これも恋人に伴われてだった。するとどうだろう、想像を絶するほど楽しかったのである。僕はこれを全て恋人のおかげだと思っていて、彼女が僕の苦手な絶叫系にほとんど行かずに、建物やキャラクターの造形を楽しめるところにばかり連れて行ってくれたのである。ユニバーサルスタジオの前CEOの本を2冊ばかり読んでいたのもあり、素晴らしい1日になった。

このことがあったので、ディズニーランドも「もしかすると」と思った。そして僕が提案した秋の京都散策のネット記事を見て、それが「いつもの自分の殻」を具現化したもののように見えてぞっとした。「これはチャンスなのだ」そう感じた。

 

「たかだかディズニーランドじゃないか」「ディズニー行くの!いいなあ!」という人も多いだろう。しかし僕にとって、ディズニーランドに行くというのは、凄まじい挑戦である。しかも恋人の体力とディズニー欲を考慮して、二泊三日のうち二日間を使ってディズニーランドだけを回るというプランになっている。自律神経は昂ぶり続け、1週間は元に戻らないだろう。それでもきっと彼女となら、なんとか楽しみ抜けるはず。そういう希望があるから、挑戦するのである。

 ディズニーがきっかけで 

当然、このディズニー旅行が仕事に繋がることはないだろう。だいいち僕がディズニー紹介なんかしたら、わけのわからん記事になるに違いない。しかし僕にはある期待がある。それは「ディズニーに行けたんだから、他のビビってることも挑戦できる!」という自信を得られるのではないかという期待だ。目下のところ「実現したいなあ、やめとこうかなあ」と思っているのは以下の2つ。

 

・会員制ジムに通ってみる、あるいは地元にあるパーソナルジムに行ってみる。

モンベルが主催している登山会に行ってみる。

 

さて、どうなるやら。