ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

2か月、「書きたいこと」が出てこなかった。

 2月頭の「おっぱい」の記事以降、何度も何度もブログを書こうとは思ってはいるのだけど、きちんと文章にしたいと思えるようなことが一向に出てこない。

 

「あ、これ書きたい」と思っても、いざ書き始めると文章の体をなさない。多分、アウトプットばかりでインプットが少ないからだろう。

 

山にも行けていないし、自転車も漕げてない。家の中でアイロンをかけたり、家具を磨いたり、掃除機をかけたりしているのもとても楽しいのだけど、それでは圧倒的にインプット量が足りないんだと思う。

 

どうしても思考が内向きになって、広がっていかない。もちろん内的思考も大切なのだけど、そればっかりだと発見が少なくなって、情報量が少なくなる。外に出なきゃ……。

 

四月は月末に初めてのソロ以外の一泊登山の予定がある。できればそれプラス、一泊くらいは山に入りたいなあ。

「巨乳が正義」というイデオロギー 〜『巨乳の誕生』で面白かったところまとめてみた〜 その3

敗戦とおっぱい

戦前の日本において性表現は禁止されていた。「欲しがりません、勝つまでは」の精神を説いているところに、エロが入り込む余地はない。当然水面下ではたんまり性的なものはあったはずだが、表立ってやれば「憲兵さんこっちです!」となった。そんな時代にはもちろん「巨乳」の「き」の字もない。

 

きっかけは敗戦にあった。GHQの占領下に置かれた日本には、アメリカから大量の「エロ」が輸入される。色気ムンムン、性の匂いしかしないようないわゆる「肉体女優」ブームが起きる。ジェーン・ラッセルやマリリン・モンローといったグラマラスなボディラインを持つ女性たちの写真や映像に、日本人男性は熱狂する。
こんななかで日本人初の巨乳アイドル「川口裕子(愛称:おっぱい小僧)」が登場。巨乳をウリにしたストリップが盛んになり、1950年代~60年代には「ストリップのおっぱい全盛期」を迎える。1956年にはブラジャーやコルセットなどの西洋の下着が日本でもブームとなり、ブラジャー発明によって巨乳が受容され始めた西洋と同じ道を歩んでいく。

 

ここで指摘しておきたいのは、日本の最初の「巨乳(ここでは別段おっぱいにフォーカスが当てられたわけではないが)」ブームが、またしても西洋からの文化の流入で起きているという点だ。当時の日本は「アメリカに習え」「アメリカを追い越せ」という意識のもと、病的なくらいにアメリカを追っていた。なかには「日本製のものはみんな嫌いだ」とかいう日本人もいたそうだ。
そんななかで男性たちは「西洋の女」に憧れた。そこには「西洋の女って日本の女とは違うよな」という気持ちもあったろうが、「西洋の女だからいい。日本の女だからダメ」という認識も多分にあったはずだ。だとすればこのとき、エロの概念は「西洋への追随」というイデオロギーに絡め取られている。

 

日本人が「グラマーな体型」に目覚めたのは、敗戦から生まれたイデオロギーがきっかけだったのである。

 

戦争とおっぱい、ウーマンリブ×ツイッギーとおっぱい

西洋で巨乳の下地を準備したのはブラジャーだった。その前の「下着」の主流といえばコルセットだったが、この旧式の下着が新式の下着であるブラジャーに取って代わられたのには理由がある。それが「戦争」だ。

 

現代の形に近いブラジャーの特許が取得されたのが1914年。これは第一次世界大戦と全くの同時期である。コルセットという大幅に女性の身体機能を制限する下着は、国中の男たちが戦争に駆り出されて自ら労働せざるを得なかった女性たちには邪魔以外の何物でもなかった。結果彼女たちはコルセットを脱ぎ捨て、ブラジャーへと移行したのだ。つまり西洋とて「巨乳」と「イデオロギー」はセットなのであった。

 

戦争の際の「女性進出」は巨乳へとつながったが、ウーマンリブは少し違った。はじめて「ウーマンリブ」という運動が起きたのは1960年代後半である。この運動は以降に続くフェニミニズム運動の先駆けとされている。「働く女性」たちは自分たちが女性であること=男性にとっての性的な消費物であることを拒否した結果、ブラジャーを「女性を拘束するもの」「女性性の象徴」とみなし、脱ぎ去った。
その後に何を身につけたか?何も身につけなかった。こうして始まったのが「ノーブラ運動」だ。しかしノーブラになると胸の大きな女性には都合が悪い。結果ウーマンリブの価値観では胸の小さな、女性的でない女性が良しとされるようになる。

 

ウーマンリブと同時期に世界的な大ブームを巻き起こすのが、「ツイッギー」という一人の女性モデルだ。もはやガリガリといってもいいくらい脂肪をそぎ落とし、乳房に関してもほとんどフラットなモデルだった。彼女がまとったのは、そんな女性的でない女性にふさわしいイヴ・サンローランのパンツルック。
そのマスキュリンなルックは世界を熱狂させ、女性たちはツイッギーのボディラインを目指しこぞってダイエットを始めた。貧乳の「復権」である。おっぱいは「ウーマンリブ」というイデオロギーに色濃く影響を受け、その行く末はツイッギーというスーパーモデルによって決定づけられている。

 

とはいえこのあとまた世界は「大きなおっぱい」に夢中になっていくわけだが、その現象の委細についてはここでは省略しておこう。

 

おっぱいと自己同一性の物語

「私が私である」とあなたがいうとき、それは何を根拠に言っているのだろうか。近代哲学の始祖ルネ・デカルトは「我思うゆえに我あり」と言い放った。これは「世界中の全てを疑うことはできるが、世界中の全てを疑っているこの自分だけは確かに存在する」ということだ。しかしその疑念さえ、自分自身のものでないとしたら?

 

私たちが「自分は巨乳が好きだ」と言うとき、その趣味は何重にも重なるイデオロギーによって編まれたテキストにすぎないかもしれない。極めてプライベートな「巨乳好き」という自己同一性でさえ、疑うことができる。では私たちはなぜ私たちなのか。その答えをデカルトは用意できない。

私たちは理想のおっぱいを探しながら、同時に「自分とは何か」という深遠な問いの答えも探し続けなければならないのである(?)

「巨乳が正義」というイデオロギー 〜『巨乳の誕生』で面白かったところまとめてみた〜 その2

OPPAI CHRONICLE

現代の男性たちにとって「巨乳」は「エロい」と思っていいものだし、それを「好き」だと言ってもいいものなわけだが、時代を思い切りさかのぼって「おっぱい」を見てみると、そこには驚くべき「常識」がある。部分的にではあるが(おっぱいの歴史は深く、長い)、おっぱいに関する「常識」のエッセンスを見てもらうために紹介しておこう。

 

まず先史時代では貧乳がモテたという。いまだ理性よりも本能の方が尊ばれた時代だから、産み育てるために大して役に立たない大きなおっぱいに価値は見出されなかったのだろう。栄養状態的にも胸が大きく育つ余裕があったとも思えない。またローマのコロッセオを舞台にした映画などでもわかるように「肉体美」は男性に求められるものだった。たくましい肉体は、強さこそが正義だった時代には「男のステータス」になる。

 

「貧乳=正義」の時代は中世になっても続いている。中世ヨーロッパといえば1639年~1651年にかけて起きた「清教徒革命」の影響を色濃く受けている。清教徒ピューリタンプロテスタントは敬虔だ。食べ物や資源の乏しいイギリスを中心に盛り上がった教派なので、食べ物も資源も豊富で気候も良いイタリア半島を中心とするカトリックよりもストイックになる。
このプロテスタントが強い存在感を持った中世ヨーロッパにおいては「性的なもの=悪」である。おっぱいは「悪魔の器官」で、胸の谷間は「悪魔の隠れ家」とさえ考えられた(プロテスタント必死だな、おい)。
結果「おっぱいの大きな女性より、小さな女性の方が良いよね」という結論になる。これは当時の男性からしても「おっぱいはエロいもの」だったということで、「だからおっぱいはダメ」という理屈である。「エッチすぎるからダメ」とはまるで、現代の萌えアニメ好きのヲタクのようではないか。

 

「巨乳=良いもの」という認識が一般化したのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてである。この時代にブラジャーが発明され、大きな胸でも垂れずに美しい形を保てるようになった。こうして初めて男性たちは「お、おっきなおっぱいも良いかもしれぬなあ」と思い始めたのである。ブラジャーが完全に世の中に浸透するまでは、世の男性はみんな「脚線美」つまり脚フェチが主流だった。50年代~60年代にはアメリカで『プレイボーイ』が創刊され、爆発的に「巨乳」が流行する。

 

イデオロギーとおっぱい

簡単におっぱいの歴史を振り返るだけでも、いかにおっぱいへの認識が変遷してきたのかがわかる。しかし多分一番すけべであろうプロテスタントの「性的なもの=悪」という言説からも見て取れるように、おっぱいへの認識にはイデオロギー(政治思想、社会思想)がつきものである。以下では【文明開化と日本の「裸」】【敗戦とおっぱい】【戦争とおっぱい、ウーマンリブ×ツイッギーとおっぱい】の3つのパートに分けて、イデオロギーとおっぱいの関係を見ていくとしよう。

 

文明開化と「日本の裸」

おっぱいに限らず、江戸時代以前の日本では「裸=エロいもの」という認識さえなかった。これは江戸期のエロ画像・エロ漫画にあたる春画にみてとれる。春画で性の対象として描かれるのはもっぱら性器であり、おっぱいはほとんど描写されていないのである。
2014年に出版された『江戸の性語辞典』という本によれば、「性器」を表現する単語が種々様々あるのにたいし、「おっぱい」に関しては「乳」の一語のみだという。どんだけ興味ねえんだよといいたくなるくらい、江戸人はおっぱいに興味がない。美人の条件としても「つかめばきへる傾城の乳」といわれるくらい、ど貧乳が尊ばれたとされている。

 

なぜ性器という直接的なシンボルに到達するまで、江戸人はエロを感じなかったのか。それは彼らにとって「異性が裸でいること」が日常だったからだ。彼らは毎日のように共同浴場へ行き、混浴風呂を楽しんだ。そんな彼らにとっては「男と女の体は基本同じで、ついてるものが違うだけ」という認識だったと考えられる。だからその「ついてるもの」に性的な関心が向かったのだろう。
当時の日本を訪れた外国人が「うわマジ!?混浴!?エロすぎなんですけどぉ!」と鼻息荒くしているのに対し、「え、アレがエロいとか、お前ら頭のなかピンクすぎん……?」とドン引きしたという話も残っている。

 

ではなぜ今の日本が「ポニーテールは男子生徒の劣情を煽るから禁止」(出典:http://getnews.jp/archives/1855778/gate)とか言い出すまでに性癖をこじらせるようになったのだろうか。これとは多分あまり関係ないが、とかく「裸=エロいもの」という認識が生まれたのは、文明開化以降の「西洋を真似よう」という動きの中である。
1883年(明治16年)より1887年(明治20年)のいわゆる「鹿鳴館時代」、日本は西洋文化を積極的に(無批判にともいう)取り入れ、自国の様々な文化を規制・修正した。その中には江戸歌舞伎も入っていて、この頃有識者によって結成された「演劇改良会」により、江戸期の想像力豊かな歌舞伎は「外国に見せられる文化ではない」とされ、今に続く「伝統芸能・歌舞伎」へと矯正されてしまっている。
歌舞伎でさえこんな調子だから、裸でそこらへんをぶらついたり、男女が一緒に風呂に入ったりするような行為も禁止されてしまう(裸体禁止、混浴禁止)。ここでそれまでの日本人にとっての「エロ」が急変するのである。

 

みなさんにも経験があるかもしれない。小学校低学年くらいまでは体育の授業の着替えは男女合同だったのに、高学年くらいになると別々の部屋で着替えさせられる。それまでは一緒に着替えるのが当たり前だったので覗こうともおもわず、恥ずかしいとも思わなかったのに、いざ別々に分けられると「覗いてみたい」「ちょっと見えた!エロい!」と思ったり、「見られるのは恥ずかしい」「ちょっと男子ィ!」となったりする。
これと同じ現象が当時の日本でも起きた。そう、裸体禁止・混浴禁止と言われると、それがものすごく「イケないこと」に思えてきて、興奮してしまうようになったのである。

 

つまるところ、文明開化は日本人の「エロ」まで開化したのであった。

「巨乳が正義」というイデオロギー 〜『巨乳の誕生』で面白かったところまとめてみた〜 その1

先日『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』というとんでもないタイトルの本を読んだ。しかもタイトルはとんでもないが、内容はめちゃくちゃ真面目で、非常に興味深い内容が数多く見られた。

 

人によってはこの記事に対して「セクハラだ」「書いたやつ死ね」とか思う人もいるだろう。しかし僕は大真面目である。本書は、「性癖」という極めてプライベートなものにまでイデオロギー(社会思想、政治思想)が入り込んでいることを証明してくれた。その恐ろしさと面白さをぜひここで共有したい。

 

ということで今日から3日間に分けて、本書の面白かった内容を僕の私見をプラスしつつ紹介していきたい。「猥褻文書」だと思う人は読まぬがよい。

 

 

序文

 

2018年現在、私たち男性にとって巨乳の存在は文字通りあまりにも大きい。エロマンガ、エロアニメ、アダルトビデオ、グラビア、少年漫画、女性が性的に表現される場において、男性は常に巨乳に一定の地位を与えている。

ここでこの「巨乳が正義」という「常識」が、比較的新しい時代の産物だと言ったら驚くだろうか。あまつさえ「巨乳」という単語が一般に認知されたのが、ほんの30年前だと言ったら、驚くだろうか。

しかしそれは事実である。現在は「爆乳」「奇乳」などといったジャンルまで生まれる「巨乳」だが、かつては「デカパイ」「ボイン」と呼ばれた時代があり、なんと「Dカップ」と呼ばれた時代もあった(現代の雑誌などで「巨乳」と呼ばれるのはGカップ以上)。そしてそれ以前の日本人は「大きなおっぱい」に関心などなく、「柳腰」に代表されるか細い女性が男性たちを熱狂させていた。これは欧米とて同じだった。

 

また「巨乳」の台頭には多分にイデオロギー(社会思想)的な側面がある。現代の私たちはあたかも「巨乳が大好きなのは普遍的な男性の性癖である(「男の子っておっぱい好きだよね」)と考えがちだが、実はそこには大きな時代のうねりと場合によっては政治的な影響も含まれている。

すなわち本書『巨乳の誕生』は、性癖という極めてプライベートな部分でも、私たちが同時代テクストに絡め取られていることを示唆しているのである。以下では大きく3つのトピックに分けて、私見を交えながら本書の面白かった部分をまとめていく。

 

巨乳は良い。

柔らかそうだし、ボディラインも曲線が強調されて美しい。

しかしその美学は、本当に「自分のもの」なのだろうか。

あなたは本当に巨乳を愛しているのだろうか、愛せているのだろうか。

イデオロギーに絡め取られているだけではないのだろうか。

私たちは今、改めて「大きなおっぱい」への愛を、確かめなくてはならない。

 

本稿がそのきっかけとなるなら、これ以上の幸せはない(ある)。

 

「巨乳好き=マニア」の時代

今でこそ「大きなおっぱいが好きだ」というと「俺も」「俺も」と盛り上がる時代だが、80年代の日本では「え、お前巨乳好きなの?ヤバァ……」みたいな空気だったという。それには色々な要因があるだろうが、そのうちの一つが「胸のでかい女はバカで感度が悪い」というとんでもない言説が挙げられる。

この発端となったのは、Erwin Otto Strassmann(1895~1972)という産婦人科だった。ドイツ出身でアメリカのヒューストンに居を移した彼は、1964年の8月31日に「大きなおっぱいと、頭の悪さには相関関係がある」とのたもうたのだ。この辺り、18世紀スイスで生まれた「見た目で犯罪者かどうか科学的に証明できる」として欧米でセンセーショナルを巻き起こし、明治期の日本にさえ影響を持った観相学や、ダーウィンの進化論を捻じ曲げて「優秀な人種だけが残るべきで、劣等種は淘汰されるべき」とした優生学(これも日本で大流行した。福沢諭吉の『学問のすゝめ』にもその影響がある)の香りがする。

 

Strassmannがこの説を提唱してから4年後、日本の『週刊サンケイ』は9月18日号で「バストの大きな女性は頭が悪い」というタイトルの記事を載せた。この言説は週刊誌に止まらず、当時最強のメディアだったテレビにも流れ込み、世の中を席巻していく。この勢いを後押ししたのは、なんと国家資格を持っている正規の医師だったというから驚きだ。『巨乳の誕生』では日本テレビ読売テレビ(当時は「よみうりテレビ」表記)の交互制作で1965年11月8日から1990年3月30日まで約24年半に亘って放送されていた深夜番組『11PM』に出演していた、大阪赤十字病院の木崎国嘉博士の以下の発言を引用している。

 

グラマーは、よく笑い、よく泣き、よく食べる、感情が強いのね。だから理論的に考えることがキライ。政治や算数のことはダメ。いっぽうのスレンダー型は理論的で、内政的で(原文ママ、内向的?)、頭のひらめきがある。(中略)バストが86だと知能指数は130、91だと100、102のバストだと80の指数、という説がある。はっきりいえばオッパイがでかいのは、バカだというのね。

(『平凡パンチ』1967年4月3日号)

 

 

今こんなことを言ったら炎上ではすまないし、「う、うわあ……」って感じだが、当時の世の中には受け入れられてしまった。「感度」に関してはおそらく「頭が悪い」からの派生イメージだろう(筆者が本書から読み逃しているかもしれない)。平成元年生まれの筆者でもマンガや大人が言っているのを聞いたことがあるくらいだから、よほど息の長い似非科学だと言える。

ただこれは私見だが、おそらく男性の「胸の大きな女の人が自分の言う通りになるような人だったらいいなあ。感度が悪くて、性に貪欲だったらいいなあ」という妄想がこの言説の流行を加速させたのではないだろうか。

当たり前だが胸の大きな女性にも才女はたくさんいて、50年代ハリウッドを代表する巨乳女優ジェーン・マンスフィールド知能指数は163、5ヶ国語を操る女性だったそうだ。しかし彼女はそんな知性をおくびにも出さず、「世間=男性」が求める「可愛いおバカなグラマー」を演じていた。一番おバカなのは自分たちの妄想に合わせて現実を捻じ曲げてしまう男性たちだった。

 

ここで冒頭の話に戻ろう。なぜかつての日本で「俺、巨乳大好き!」と宣言すると「え、お前巨乳好きなの?ヤバァ……」になったのか。それはつまり「頭が悪くて、エロい女が好き!」と宣言することだったからである。別に人の趣味をとやかくいうつもりはないが、かといってわざわざ宣言することでもない。

例えば筆者の世代では「アニメの女の子が好き」とかいうと得てして「え、お前ヤバァ……つらあ……」みたいなリアクションをされる。それをわかっているから筆者もむやみに「アニメの女の子が好き!」とは宣言しない。この状況にも言いたいことはたくさんあるが、いつの時代も周囲の目をはばかる趣味というものはある。80年代日本における「巨乳」がそれだったわけだ。

 

80年代に原宿にあった「日本初の巨乳アダルトビデオ専門店 ヴイ・レックス原宿」は全国から巨乳ファンが押し寄せるほどの人気だったそうだが、この話だけでもいかに巨乳好きがその性癖のはけ口を探していたかがうかがい知れる。「巨乳好き=マニア、変態」とされる時代は、実在したのである。