ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

追想 僕はあの日真っ白になって、今日「高知」を卒業した。

だいぶ前、12月頭に書いた文章なのだけれど、ブログに出すのを躊躇っていた。でも「あの日」も過ぎてしまったことだし、全文を載せようと、ふと思った。やや嫌悪感を感じる人もいるかもしれないが、気にしないことにする。

2012年の2月、確かあれは18日だった。僕の人生はその日、大きく変わる。

「他人への信頼」というものはこの日、一度全て崩れ去る。何もかもが偽物に思え、誰もかれもが嘘をつき、僕を笑っているのだと思った。神奈川県川崎駅前にあるマンションの一室に僕はいて、キッチンで薬の封を開けていた。頭の中は今思えばゾッとするくらい静かで、ただ「もう終わりでいいや」と考えていた。医者から指示されていた1度の分量の80倍。僕がその時飲んだ睡眠導入剤の量だ。

もう限界だった。慣れない都会での暮らし、麻痺する手足の感覚、まとまらない思考、恋人への不信と別れ……仕事はとても楽しかったし、職場には本当に恵まれていたと思う。温かくて、家族のような場所だなあと、当時も今も思っていた。

しかし、ほぼ一年をかけて擦切れる寸前になっていた僕の心は、この日、「親友」だと思っていた人間に「裏切られた」と感じたせいで、すっかり破綻してしまったのだ。

ただ淡々と薬を口に運び終わると、ほっと安心したのを覚えている。「これでもういいんだ。辛い想いなんて、もうしなくていいんだ」そう胸をなでおろして、ベッドに横になる。ほろほろと流れる涙がシーツに染み込んでいくのを感じながら、目を閉じた。

結論から言えば僕はこの時死ねなかった。ほんの6時間かそこらで目が覚めてしまったのだ。(後日薬剤師資格を持つ親友に、「今時死ねるほどの薬は処方されてない」と聞かされた)

携帯を見ると会社からの電話が何本も入っていた。「死ねんかったんか。そうか。まだ生きてんのか」ただ、そう思ったのを今も生々しく覚えている。すぐに電話をかけ直し、痺れている手足を無理に動かしながら、会社に向かった。

僕はこの時、1度人生をなかったことにしようとした。目を閉じてから開くまでの数時間。この数時間に僕の中の色々なものが真っ白になって、濾過されて、シンプルになったのかもしれない。色んなことが「もうダメ」になっていく。同時に色んなことが「一から」になっていく。そんな感じだった。

その「色んなこと」が何なのかは当時の僕には全然わからなかったし、当分の間僕は迷走を続けることになる。とにかく、大きく変わった、その感覚だけあったのだ。

そこからの4年ほどで、先日「僕がうつ病になって学んだ10のこと」で書いたようなことを身につけていくわけだが、本当にそれまでの自分とはまるで違う生き方になったと思う。やっぱり僕の人生はあの日を境に大きく変わった。

どうして僕が2012年2月18日のことを書こうと思ったのかというと、この間の11/26〜12/3、高知に滞在してきたからだ。

この4年間、七転八倒する僕をいつでも受け入れてくれた親愛なる後輩がいる。彼はわけあって高知県朝倉にまだいて、そこにお邪魔してきたのだ。この一週間はとても有意義で、とても楽しかった。彼には感謝してもしきれない。

一週間滞在していたと言っても、一週間丸ごと仕事をしないでいられるほどまだ僕は偉くはないので、期間中ほぼ毎日大学の図書館にこもり、パソコンで仕事をしていた。周りにはもちろん学生がたくさんいて、一日千秋の如く変わりばえのしない光景が図書館及びキャンパスにはひろがっている。

僕は大学時代もかなりの時間を図書館で過ごしていた。本ばかり読んでいたからだ。そんなわけだから、パソコンで仕事をしていても、ふと自分が学生だった頃の感じが戻ってくる。書棚の前に立つ学生が、当時の自分の学友に見える時もある。するとズキリと痛む大学時代の思い出が蘇るのだ。懐かしくもあり、幸せでもあり、同時に思い出したくもない、あの頃のことが、生々しく。

僕は高知が好きである。食べ物は安くて美味いし、風景は素敵だし、人も良い。中でも朝倉には強い思い入れがあって、道を歩くだけで悲喜こもごもの感情が湧き上がる。しかし今回高知に行ってみて、僕もようやく高知を卒業できたのかもしれないと感じた。それがこのエントリーを書こうと思った理由なのだ。

2012年2月18日の僕にとって、高知は最重要キーワードだった。高知を抜きにしては自分の人生は成立しないと思っていたし、そこから数年間もそう考えていた。ところが今回来てみると「そうでもないかも」と感じたのだ。

高知が、というよりは親愛なる後輩をはじめとする、愛すべき人たちが、好きなのであって、それが高知である必要はないのかもしれない。そんな風に思った。もし彼らに会えるのなら、それが高知でなくてもよい。そう考えられるようになっていたのだ。僕にとって高知は、もう帰るところではなくなっていた。

あの日、目を閉じてから次に目を覚ますまでの数時間のうちに、濾過された色んなこと。きっとそこには「高知」も入っていたのかもしれない。僕は今回高知にやってくるまで、「あの日以前の高知」をずっと追い続けてきた気がする。もうそこにはない「高知」という幻を、僕はずっと見ようとしてきたのかもしれない。ようやくそのことに気づけて、「高知」を卒業できた。

ありがとう高知、さようなら高知、そして、これからもよろしく高知。また来るよ。