ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

『〆切逃走作家奇譚』2

〈一〉

 宗教については大学時代に散々学んだ。哲学が専攻だったものだからどうしても宗教についても学ぶ必要があったからだ。哲学は宗教的であり、宗教は哲学的である。どこからどこまでが哲学で、どこからどこまでが宗教であるという線引きにはその実あまり意味がない。しかし同時にこれまで「神」なるものを信じたことはなく、ましてや神として崇められた経験などない。せいぜい美少女イラストを描くイラストレーターを「神絵師」と崇めたことがある程度だ。

にもかかわらず、今僕の目の前には僕の方を向いて膝をつき、目を閉じて合掌しながら何かを唱えている人物が一〇人ほどいるのだ。この状況は一体なんだ。困惑し通しのまま立ち尽くしていると礼拝の時間が終わったのか、信者たちは顔を上げる。

「お待ちしておりました。ぜひこちらへ!」

嬉々とした表情で奥に通されると、文学賞の受賞式くらいでしか見られないようなご馳走が並んでいる。いよいよ意味がわからない。私は知らぬ間に何かを受賞したのだろうか。

今私がいる場所は、普段編集者から逃げるために確保しているシェルターで、滋賀県の名峰・武奈ヶ岳の山奥だ。普段から筋トレにジョギングにサイクリングにと体を鍛えている私は簡単にたどり着けるが、出版社の編集者諸君の中でここまでやってきたのはサイトウさんの前任者のみである。この広い山の中でたった一人の作家を見つけ出すには体力だけでなく、私という人間がどのような場所に隠れ家を作るかまで想像できなければならない。そんな編集者はまずいない。

にもかかわらず、なぜかシェルターにつくと謎の信者集団がいて、ご馳走やら祭壇まで作っていたのだ。自慢ではないが私は信者ができるほどの作品を書いてきたわけではないし、彼らも私が作家であることも知らないようだった。〆切から逃げてるんですよ、と言ったら、我らはいつの世も流浪の民でした、と返されてしまった。いよいよわけがわからない。一応バックパックにはノートPCを積み込んでいるが、この状況では落ち着いて原稿を書くというわけにはいかないだろう。許せ、サイトウさん。

信者は全員で九人。どの信者も茶色のチノパンを履いて、薄汚れたTシャツを着ている。ヒゲをモジャモジャに生やした大男や子供、頼もしい体格の女性など年齢性別はバラバラだが、概して体が大きい。いったいこんな山奥でどうしてこんな人たちが私のような貧乏作家を待っていたのか、崇拝していたのか皆目見当がつかない。しかし彼が食べさせてくれるご馳走は美味しく、葉野菜はなかったが木の実や肉をメインとした山の中で食べるには絶品の数々だった。何の果物かはわからないが果実酒も飲ませてくれたので、酒に弱い私はすぐにその状況に慣れてしまった。

とにもかくにも今日はサイトウさんから逃げおおせた祝勝会だ。何も考えずに食べて飲むべし。私がリラックスしたのを感じたのか、最初は緊張の面持ちを崩さなかった信者たちも木の幹と蜘蛛の糸を紡績したという弦でできたギターを使って歌い始めた。力強い、山の底から響くような歌声だった。

酔いが少し冷めた頃になって、私は聞いてみることにした。人里ならまだしも、こんな山奥の、しかも隠れ家であるはずの場所に、私の信者がいるというのは謎めきすぎている。

「みなさんはどこからいらしたんですか」

この質問に女性の信者はあからさまにハッとする。まるでこの世の終わりかのように悲しそうな表情だ。夫らしきひげもじゃの信者が彼女の背中をさすってなだめている。
「北の谷の、村からです」
口を開いたのは一番の年長者である、六〇歳前後の男だ。
「北の谷の村というと、登山口のある朽木村ですか。確か蛇谷ヶ峰を超えて武奈ヶ岳に至るコースのある」
「はい、その朽木村です」
男は脂汗を額に滲ませながら答える。短く切り揃えた硬そうな頭髪をガシガシ掻く。
「わ、わたしたちは、罪を、おかしてしまったのです!」
耐えきれなくなったもう一人の女性信者が叫ぶ。大人たちの全身に緊張が走る。子供達は退屈したのかシェルターの隅で取っ組み合いのじゃれあいを始めた。
「つ、罪……」

何だかものすごく踏み込んではいけない話題に踏み込んだ気がして、心臓がバクバク鳴り響く。いくら鍛えているからといって、揃いも揃って大男ばかりの信者たちが襲いかかってくれば、私などはプチリと潰されてしまうだろう。ここは自分が敵ではないことを示さねばならない。
「罪というのは、ですね……」
叫んでしまった女性を苦々しい目で見ながら、最年長者が話しはじめようとする。おそらくこれを聞けば、もうここから帰れないだろう。締め切りに急かされるのはたまったものではないが、原稿を渡した時のサイトウさんのほっとした顔が見れなくなるのは嫌だ。

「どうして、みなさんは私を崇めたのですか」

発言を遮り、罪の話題を信仰の話題に切り替える。シェルター内の空気が少しだけ緩むのがわかった。
「正直申しますと、どなた様でも構わなかったのです。我々の罪を許してくれるのであれば」
最年長者の男は私が気分を害するとでも思ったのだろう。上目遣いでこちらを伺いながら、そう答えた。しかしなぜ気分を害するのか。理由があって信仰されるのであればこちらにもそれに答える義務感が生まれる。期待されれば答えたくなるのが人の心というものだ。その意味で期待というのは罪である。相手の人生を奪い、自分の期待に沿わせようとする自由への大罪だ。その束縛から自由になるには、大きな勇気が必要になる。多くの人はその勇気を持てずに他人の期待に人生を奪われていく。

私は文筆家として生きているので、意識すればそういう他人の期待に極力触れずにいられる。しかしやはり期待されているとわかっていてそれを無視できるほど胆力は強くない。だからこそ、彼らが「誰でもよかった」と言ったのを聞いて、心底ほっとした。「あなたでなければダメだ」などと言われようものなら、一目散に逃げ出しているところだった。
「それはなんとも気楽で良いですね。じゃあ、その罪、許しましょう」
「しかし……」
「何の罪かもわからないのに許すなんて、ですか。しかしそもそも罪なんてものはありませんよ」
「罪なんてものはない、というのはどういうことですか」

ずっと奥で眉間にしわを寄せて状況を見守っていた三〇代くらいの男が身を乗り出して聞いてくる。
「いやだって罪かどうかというのは誰かが決めるものではなく、自分で決めるものでしょう。誰かが決めることもできるが、結局のところ自分が罪だと思わなければ罪は罪ではない。なら結局自分の行為が罪かどうかを決めるしかない。だから私にはみなさんの罪がどんなものであろうと何もできません。みなさんが許してほしいというのであれば許します。あとはみなさんの問題です」

我ながらわけのわからない論法だと思いながら、彼らの罪をめぐる問題に巻き込まれないように必死にまくしたてる。とにかく彼らの問題に私の責任はない。ならば逃げるだけだ。逃げられるものからはとにかく逃げる。それが私の信条だ。信者たちは今聞いた言葉をそれぞれ理解しようとしているのか、うつむいたまま何も話さなくなってしまった。シェルターの中でじゃれあう子供達と、森の虫の声だけが響いている。夜がどんどん更けていく。