ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

【年末年始のふりかえり】ほとんど仕事せず、うずくまってた。

12月末ごろから、1月の初旬ごろまで、おそろしく落ち込んでいた。忘年会や新年会には顔を出していたが、それ以外は基本的に家の中にいるか、外に出てもあまり活動的ではなかった。筋トレやストレッチは続けていたが、それを頑張るくらいがやっとで、仕事はほとんど最低限しかしていなかった。今月の収入はかなり低そうだ……。

こういう時はほとんどわけのわからないところまで落ち込む。「こんな具合じゃライターとして食い続けていくなんて無理だ。だからといってバイトとか正社員とかもっと無理だ。これはもう死ぬしかない」とグルグルと考え続けてしまう。

確かに食い続けていくのが難しい根拠もあるし、一般的な仕事で食っていくのも確かに難しいので、なまじ理屈が通っているのでどんどん落ち込んでいく。しかし本来はそこまで落ち込むような致命的な要素ではないのも確かだ。にもかかわらず延々と落ちていくのは、抑うつ状態の時の僕の思考の癖である。



年末年始を通じて色んな人に言われた言葉も、この癖を加速させた。僕は普段ほとんど人に会わないが、年末年始にもなると僕の今の仕事や生活のあり方に文句や疑問をぶつけたくなる人とも会うことになる。すでに年末年始に入る頃には落ち込み始めているので、元気な時なら「うるせえよ」とスルーできることも「その通りかもしれない」とか本気で受け止めて悩んでしまう。

僕は今の自分のあり方を「なんとかできそうなこと」を選びつつ形成しているので、これを否定されてしまうと「どうにもなりそうもないこと」しか世の中には残らなくなる。調子が良ければこの危ういあり方も「仕方ないじゃろ」と開き直っていられるが、元気がない時はツンと突かれてしまうとたちまちバランスを崩してしまう。


そんなこんなで落ち込みに落ち込んだある日、ふと思い立って自分のブログの記事をいくつか読み返してみた。その時に行き着いたのが、「【九月のふりかえり】ほとんど仕事せず、うずくまってた。」http://hitoribu.blog.fc2.com/blog-entry-63.htmlのエントリーだった。他にもいくつか励みになる文章はあったけれど、この記事を読んだ時に「あ、なんだ、季節性のうつなんじゃないか」と納得したのだ。9月は夏が秋に変わる月、今年の12月から1月は秋から冬に変わる時期だった。そこに人と会うイベントが重なって、余計に調子を悪くしたのだろう。

こうやって考えることができた途端、少しだけ頭が軽くなった。全てが解決したわけではないけれど、「じゃあ浮き上がるまで待つしかないな。待てばきっと浮き上がるな」と開き直れた。これはすなわち間違った理屈の迷路から脱出できたことを意味する。あとは浮き上がるまでの道をのんびり歩くだけ。それなら多少しんどくてもなんとかなる。本当に辛いのはどこに向かっているかも、どこまで歩けば終わるのかもわからない時だ。グルグル回ることをやめられれば、いつかはどこかに着く。



今回の経験で、ブログを週一で書くという習慣は続けた方がいいなと思った。うつ病には「認知療法」という治療法があるけれど、これも一つの認知療法なるのではないだろうか。読書や創作は進んでないけれど、これだけは続けていきたい。

『〆切逃走作家奇譚』2

〈一〉

 宗教については大学時代に散々学んだ。哲学が専攻だったものだからどうしても宗教についても学ぶ必要があったからだ。哲学は宗教的であり、宗教は哲学的である。どこからどこまでが哲学で、どこからどこまでが宗教であるという線引きにはその実あまり意味がない。しかし同時にこれまで「神」なるものを信じたことはなく、ましてや神として崇められた経験などない。せいぜい美少女イラストを描くイラストレーターを「神絵師」と崇めたことがある程度だ。

にもかかわらず、今僕の目の前には僕の方を向いて膝をつき、目を閉じて合掌しながら何かを唱えている人物が一〇人ほどいるのだ。この状況は一体なんだ。困惑し通しのまま立ち尽くしていると礼拝の時間が終わったのか、信者たちは顔を上げる。

「お待ちしておりました。ぜひこちらへ!」

嬉々とした表情で奥に通されると、文学賞の受賞式くらいでしか見られないようなご馳走が並んでいる。いよいよ意味がわからない。私は知らぬ間に何かを受賞したのだろうか。

今私がいる場所は、普段編集者から逃げるために確保しているシェルターで、滋賀県の名峰・武奈ヶ岳の山奥だ。普段から筋トレにジョギングにサイクリングにと体を鍛えている私は簡単にたどり着けるが、出版社の編集者諸君の中でここまでやってきたのはサイトウさんの前任者のみである。この広い山の中でたった一人の作家を見つけ出すには体力だけでなく、私という人間がどのような場所に隠れ家を作るかまで想像できなければならない。そんな編集者はまずいない。

にもかかわらず、なぜかシェルターにつくと謎の信者集団がいて、ご馳走やら祭壇まで作っていたのだ。自慢ではないが私は信者ができるほどの作品を書いてきたわけではないし、彼らも私が作家であることも知らないようだった。〆切から逃げてるんですよ、と言ったら、我らはいつの世も流浪の民でした、と返されてしまった。いよいよわけがわからない。一応バックパックにはノートPCを積み込んでいるが、この状況では落ち着いて原稿を書くというわけにはいかないだろう。許せ、サイトウさん。

信者は全員で九人。どの信者も茶色のチノパンを履いて、薄汚れたTシャツを着ている。ヒゲをモジャモジャに生やした大男や子供、頼もしい体格の女性など年齢性別はバラバラだが、概して体が大きい。いったいこんな山奥でどうしてこんな人たちが私のような貧乏作家を待っていたのか、崇拝していたのか皆目見当がつかない。しかし彼が食べさせてくれるご馳走は美味しく、葉野菜はなかったが木の実や肉をメインとした山の中で食べるには絶品の数々だった。何の果物かはわからないが果実酒も飲ませてくれたので、酒に弱い私はすぐにその状況に慣れてしまった。

とにもかくにも今日はサイトウさんから逃げおおせた祝勝会だ。何も考えずに食べて飲むべし。私がリラックスしたのを感じたのか、最初は緊張の面持ちを崩さなかった信者たちも木の幹と蜘蛛の糸を紡績したという弦でできたギターを使って歌い始めた。力強い、山の底から響くような歌声だった。

酔いが少し冷めた頃になって、私は聞いてみることにした。人里ならまだしも、こんな山奥の、しかも隠れ家であるはずの場所に、私の信者がいるというのは謎めきすぎている。

「みなさんはどこからいらしたんですか」

この質問に女性の信者はあからさまにハッとする。まるでこの世の終わりかのように悲しそうな表情だ。夫らしきひげもじゃの信者が彼女の背中をさすってなだめている。
「北の谷の、村からです」
口を開いたのは一番の年長者である、六〇歳前後の男だ。
「北の谷の村というと、登山口のある朽木村ですか。確か蛇谷ヶ峰を超えて武奈ヶ岳に至るコースのある」
「はい、その朽木村です」
男は脂汗を額に滲ませながら答える。短く切り揃えた硬そうな頭髪をガシガシ掻く。
「わ、わたしたちは、罪を、おかしてしまったのです!」
耐えきれなくなったもう一人の女性信者が叫ぶ。大人たちの全身に緊張が走る。子供達は退屈したのかシェルターの隅で取っ組み合いのじゃれあいを始めた。
「つ、罪……」

何だかものすごく踏み込んではいけない話題に踏み込んだ気がして、心臓がバクバク鳴り響く。いくら鍛えているからといって、揃いも揃って大男ばかりの信者たちが襲いかかってくれば、私などはプチリと潰されてしまうだろう。ここは自分が敵ではないことを示さねばならない。
「罪というのは、ですね……」
叫んでしまった女性を苦々しい目で見ながら、最年長者が話しはじめようとする。おそらくこれを聞けば、もうここから帰れないだろう。締め切りに急かされるのはたまったものではないが、原稿を渡した時のサイトウさんのほっとした顔が見れなくなるのは嫌だ。

「どうして、みなさんは私を崇めたのですか」

発言を遮り、罪の話題を信仰の話題に切り替える。シェルター内の空気が少しだけ緩むのがわかった。
「正直申しますと、どなた様でも構わなかったのです。我々の罪を許してくれるのであれば」
最年長者の男は私が気分を害するとでも思ったのだろう。上目遣いでこちらを伺いながら、そう答えた。しかしなぜ気分を害するのか。理由があって信仰されるのであればこちらにもそれに答える義務感が生まれる。期待されれば答えたくなるのが人の心というものだ。その意味で期待というのは罪である。相手の人生を奪い、自分の期待に沿わせようとする自由への大罪だ。その束縛から自由になるには、大きな勇気が必要になる。多くの人はその勇気を持てずに他人の期待に人生を奪われていく。

私は文筆家として生きているので、意識すればそういう他人の期待に極力触れずにいられる。しかしやはり期待されているとわかっていてそれを無視できるほど胆力は強くない。だからこそ、彼らが「誰でもよかった」と言ったのを聞いて、心底ほっとした。「あなたでなければダメだ」などと言われようものなら、一目散に逃げ出しているところだった。
「それはなんとも気楽で良いですね。じゃあ、その罪、許しましょう」
「しかし……」
「何の罪かもわからないのに許すなんて、ですか。しかしそもそも罪なんてものはありませんよ」
「罪なんてものはない、というのはどういうことですか」

ずっと奥で眉間にしわを寄せて状況を見守っていた三〇代くらいの男が身を乗り出して聞いてくる。
「いやだって罪かどうかというのは誰かが決めるものではなく、自分で決めるものでしょう。誰かが決めることもできるが、結局のところ自分が罪だと思わなければ罪は罪ではない。なら結局自分の行為が罪かどうかを決めるしかない。だから私にはみなさんの罪がどんなものであろうと何もできません。みなさんが許してほしいというのであれば許します。あとはみなさんの問題です」

我ながらわけのわからない論法だと思いながら、彼らの罪をめぐる問題に巻き込まれないように必死にまくしたてる。とにかく彼らの問題に私の責任はない。ならば逃げるだけだ。逃げられるものからはとにかく逃げる。それが私の信条だ。信者たちは今聞いた言葉をそれぞれ理解しようとしているのか、うつむいたまま何も話さなくなってしまった。シェルターの中でじゃれあう子供達と、森の虫の声だけが響いている。夜がどんどん更けていく。

脳科学者・茂木健一郎さん「自分は変わることができるというプライド」を読んで。


先日、脳科学者・茂木健一郎さんのブログエントリーがFacebookのタイムラインで流れてきた。「自分は変わることができるというプライド」http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8315268.htmlというエントリーだ。今日はこれについての感想文を書こうと思う。

短い文章なので読んでもらった方が確かだが、要約するとすれば最後の2文がその代わりとなるだろう。

自分は変わることができるというプライドを持つことは、心の若々しさを保つことでもある。今のままの自分でいい、何も変わらなくていいという間違ったプライドは、精神を老いさせる結果になる。


僕は今月の前半ほとんど寝込んでいて、一人で山にも行かず、自転車も漕がず、仕事もせずに過ごしていた。このエントリーを読んだ時はちょうど体調的には底にいて、「自分は変わることなんてできない、今の自分を肯定することでしか生きられない」と悲しみと憤りがないまぜになったような気持ちになった。確かに茂木さんの言うことはわかるし、「今の自分でいいんだ」と意固地になっている状態が不健康なこともわかる。でも僕はとにかく「変わることが怖い」のだ。そう思った。

体調の底を抜け出し、少しずつ活動的になった今でもこの考えはあまり変わっていない。もう少し正確に表現するのであれば、「劇的な変化には心と体がついていかないからしんどい」というように考えている。

例えば僕は週に4〜6日は何かしらのトレーニングに打ち込んでいる。それは筋トレの場合もあるし、20kg近い荷物を背負った山登りだったり、100kmのサイクリングだったりするが、どれも「自分の限界と向き合う時間」という意味ではトレーニングだ。トレーニングを繰り返すということは、常に変化し続けるということでもある。「前回の筋トレよりも今回は良い筋トレにしよう、次回はこんな風にやってみよう」といったように、何をするにも前・今・次の順に進化していけるように工夫しなければ楽しくなっていかないからだ。楽しくなっていかなければ続かないので、必然的にPDCAを繰り返すようになる。

トレーニングだけではない。僕は日常の中にも色々とPDCAを組み込んで、できるだけ自分が「生きていること」に飽きないように工夫している。週に一度の頭のオイルパックをしてみたり、歯ブラシと歯磨き粉をやめて電動歯ブラシだけにしてみたり、ヘルシーオイルを使ってみたり、最近生活を劇的に変えたストレッチもそのうちの1つだ。自分の生活に新しいものを組み込むと、少しだけ日常が刺激的になる。オイルパック導入後、僕の頭の匂いはほとんど無臭になったし、電動歯ブラシの導入で口臭も随分マシになった。ヘルシーオイルの効果は今のところ観察中だが、ストレッチは睡眠の質を劇的に改善してくれている。どれについても「もっとエスカレートしたらどうなるんだろう」とワクワクでいっぱいだ。

ただ、以前のエントリー「しょうもないことこそが人生だ。」http://hitoribu.blog.fc2.com/blog-entry-75.htmlでも書いたように、僕が毎日営々としていることはたいてい「しょうもないこと」だ。うちの祖父の言葉を借りれば「屁の突っ張りにもならない」

世の中にはもっとドラマチックに、ドラスティックに、ダイナミックに人生を変えられるモノ・コトで溢れているのだろう。しかし僕にはそうしたことに挑戦する気概、「自分は変わることができるというプライド」がない。正確には「自分はちょこっとずつだけなら変わることができるプライド」程度しかない。別に変わりたくない、変わらないんじゃないんだけど、「ドラマチックに、ドラスティックに、ダイナミックに」変わるのは怖いんだよねえ……という感じか。


こういう考え方は「心の若々しさ」が足りないのかもしれないし、もしかすると「間違ったプライド」なのかもしれない。でも「正しい」とか「間違ってる」とか、「べき」とか「べからざるべき」とか、なんかこう、強い言葉を聞くと「ふええ……こわいよぉ」となってしまう。

もちろん何かしらの前提が存在するのであればこれらの言葉は確かに有効だ。1+1の答えを2と書くのは算数のテストでは「正しい」し、そうする「べき」だろう。しかし「心が若くあるべき」「プライドは正しくあるべき」というのは、算数のテストの1+1とは違う(1+1だって算数のテストという文脈から外れればエジソンに「どうして1+1=2なの?」とかいって疑問視されることだってある)。


だから僕は「ちょこっとずつ変わればいいや」という消極的な「変わることができるプライド」を持って、このまま生きていきたいなあ、と思います。(尻すぼみ)

『〆切逃走作家奇譚』1

〈プロローグ〉
 
 ドンドンドン!ドンドンドン!

「いい加減にしてくださいよ、サカキさん!」
百回ほどインターホンを鳴らしたあと、五十回以上ドアノブをがちゃがちゃとした挙句、しびれを切らした編集担当のサイトウさんは怒鳴った。彼女は私よりも十歳も年下の普段は可愛らしい女性なのだが、こうなるともはや年季の入った取立屋とそう変わらない。いやはや何が彼女をこうしてしまったのか。きっと締め切りが悪いのだ。

ドンドンドン!ドンドンドン!

耳をつんざくようなドアを叩く音の中、私は気配を悟られないように冷蔵庫を開けた。といっても冷蔵庫に電源は入っておらず、もはや即席麺を入れておく棚と化している。百円以下の麺しか入っていないようなものを選び、静かに冷蔵庫の扉を閉める。ガスコンロは玄関を入ってすぐのところにあるため、今使うのは危険だ。かといって電気ケトルを使えばサイトウさんに電気メーターを見られてしまう。私は緊急用のガスボンベとキャンプ用のバーナーを持ち出し、それを使って室内でお湯を沸かす。一歩間違えれば酸欠で死んでしまうが、すき間風吹きすさぶ私の部屋では何の問題もないだろう。

ドンドンドン!ドンドンドン!

抜き足差し足で即席麺作りに勤しんでいる間も、ドアを叩く音は止まない。あの可憐なサイトウさんをこれほどまでに怒らせる締め切りは、全く罪な存在である。ラーメンの蓋を開け、程よく固めに仕上がった麺を音を立てないように静かにすする。うーむ、自分のせいで焦っている美人編集者を扉の前で怒らせておきながら食べる即席麺は、この上なく美味い。

ドンドンドン!ドン!ガコ!ガチャ!ガコ!ガコ!

「サカキさん、出てこないとここからガス流し込みますよ!いいんですか!」
見ると郵便桶から細いチューブが伸びているではないか。しゅー……と小さい空気音も聞こえる。彼女は私を殺す気だ!しかしこの程度で驚くサカキではない。サイトウさんの前任者に比べればこんな殺人行為など可愛いものだ。クローゼットから六〇リットルのバックパックを取り出し、部屋履きをタフなスニーカーに履き替える。バックパックの側面に備え付けているロープをベランダの欄干にくくりつけると、私はさながらアメコミヒーローのように地上へと滑り降りていった。一週間も身を隠せばサイトウさんも諦めてくれるだろう。そして落ち着いた頃に次の依頼を持ってきてくれるに違いない。
「さらばだ、サイトウさん!」
私は彼女の悔しい顔が見たくて玄関が見える側に回り、彼女に聞こえるように叫んでから、高笑いしつつ走り去る。

「どうやったら痩せられるか?」の答え。

先日キャリアサプリというメディアに「筋トレは最強の自己啓発だ!人生を変える筋トレの5つの価値」という文章を書いた。おおよそ3年くらいになる僕のトレーニング経験から筋トレの持つ価値についてつらつらと綴ったのだが、ここではもう少し卑近な話をしようと思う。

ダイエットやトレーニングやらはもはや日本(というか先進国)では「誰もが挑戦したことがあって、そしてほとんどが挫折していること」である。

そう言い切れるくらい、こと日本に関してはダイエットブームが続いている。書店に行けば年がら年中「ダイエット本」なるものが新しく出版され、夏がせまると毎年のように雑誌では「夏までに痩せる!」とか「夏までに細マッチョになる!」とかいった特集が組まれる(こういう雑誌が出る時期にダイエットやトレーニングを始めても、大した効果は得られないのだが)。

ただこういう本や雑誌を買う人はたいてい買っただけで満足するか、長くて1ヶ月くらいで挫折する。結果痩せないし、かっこいいカラダも手に入らない。挙げ句の果てに「やったけどダメだった。自分はそういう体質なんだよ」とか開き直ったりもする。そうして来年も同じことを繰り返してみたりもする。



こんな具合なので、僕に「どうやったら痩せられるか?」「どうやったら筋肉がつくか?」という質問をしてくれる人も多い。友人や家族のほか、梅田や難波に買い物に行った時にお店の店員さんに聞かれることもある。オタクは得てして自分の好きな分野に聞かれると頼まれてもいないところまでベラベラとしゃべるものである。もちろん僕もその他聞に漏れず、聞かれた時は自分のダイエット法や筋トレ方法について延々と喋る(迷惑千万である)。


この時に必ず言う言葉がある。それは「続かなければどんなに効果があっても意味がない」だ。

確かに糖質制限ダイエットは初期の頃はとんでもないスピードで痩せるし、大枚はたいてライザップに通えば筋肉はつくのかもしれない。しかし僕の知見では糖質制限ダイエットは正しくやるのが難しく、そのうえやっぱり「辛い」。さらに糖質制限は筋肉をつけたい人にとっては完全な害でしかない。

またライザップに通った人でもリバウンドしている人は少なくないようだし(ちゃんと調べてない)、そもそもマンツーマンでマネジメントしないと痩せたり、筋肉がつけられないのなら、契約期間が終われば怠けてしまって当たり前だ。効果があっても、その方法がライフスタイルを丸ごと変えてしまうようなものでない限り、まるで意味がない。

もちろん「この夏だけマッチョで過ごせればいい!」というのであれば話は別だ。普通「痩せたい」というときは、「痩せた後、その体型をキープしたい」という意味のはず。その意味では「続かなければ意味がない」のである。




問題は「どうすれば続けられるのか?」だろう。継続するということは、誰でも、どんなことでも難しい。人間の脳は慣れ親しんだことにあまり刺激されず、刺激されなければ「楽しい!」とも思いにくくなっていくからだ。そうやって目新しいものには神経を使わず、新しい見慣れないものに注意を払うのは、人間の動物的な生存本能なので、「続かない」のはある意味しかたない。ただしかたないといったところで痩せられないし、筋肉もつかない。

この問題の解決方法を、僕はたった1つだと思っている。それは「痩せる」「筋肉をつける」という大コンセプトはそのままに、とにかく色んな方法を試しまくることである。

世の中に溢れているダイエット法のほとんどは、たいてい痩せる。白米を玄米に変えても多少は痩せるし、一食置き換えダイエットをしても痩せるだろう。ジョギングやウォーキングも痩せるし、ファスティングとかパレオとかも絶対痩せる。要は摂取カロリーよりも消費カロリーが上回れば痩せるのだ。

だから例えば12種類のダイエット法を集めるなり、考えるなりして、1ヶ月ごとにダイエット法をローテーションしていくのである。毎月違うことにチャレンジできるので、飽きずに1年中ダイエットし続けられることになる。きちんと調べてやっていけば、1年後には自分の体重を自由自在に増減できるようになっているはずだ。

実際僕は2016年7月に62kgになった体重を、筋肉増量のために10月いっぱいまでに69kgまで増やし、そこから減量期に入って12月で66kgまで減らした。ちなみに多くのトレーニー(筋トレをしている人)はこれができる。



筋トレも同じだ。例えば大胸筋を鍛えるトレーニングにも、実にいろいろな種類がある。僕が知っているだけでも、ダンベルフライ(フラット、インクライン、ディクライン)、ダンベルベンチプレス(フラット、インクライン、ディクライン)、バーベルベンチプレス(フラット、インクライン、ディクライン)、プルオーバー、プッシュアップ(腕立て伏せ)がある。ジムを利用するならもっと色々な種類があるだろう。だから、ダンベルフライに飽きたらダンベルベンチプレスをして、それに飽きたら……とどんどん変えていけばいいのだ。

僕の場合、胸の筋トレだけでもこの半年間で3回くらいメニュー構成を変えている。胸だけでなく、肩も背中も足も腕も、全部それくらいの頻度でメニューを変えている。確かにトレーニングの効果は落ちるのかもしれないが、飽きてつまらなくなってしまっては何の意味もないからだ。




つまるところ「どうやったら痩せられるのか?」を考えるより、「どうやったら続けられるか?」を考える方が意味がある。効果が10あるものを1回やるよりも、0.1効果のあるものを101回やる方が効果の総量は大きい。そして102回、103回と続けていけば、比べる意味がないほどの差が生まれていくだろう。それこそが本当の意味で「痩せる」「筋肉をつける」ことにつながっていくのだ。

「どうしても痩せられない」という人は、まず「自分はどうやったら続けられるのか」を考えてみよう。