ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

『岸田アパート物語』4号室

「どうした」
「草さん、飯食った?」
「いや、まだだが」
「里美ちゃんが、カレー作りすぎたから岸田で食べませんか、やって」
「頂こう」
「おっけー、米持って来てくれる」
「うむ、構わん。何合あればいい?」
「六合ぐらいいると思う」
「炊飯器はよいか」
「それは大丈夫。郷田のんと俺のんで済ませる」
「わかった」

私は米をもって岸田へと向かった。


 今日は香織嬢が研究室の都合で来ておらず、今日のメンバーは郷田と私と森野、そしてカレーをもって来てくれた里美ちゃんとその噂をききつけたバーバラである。
「バーバラは、本当に鼻が利く」
「カレーのにおいに引き寄せられた、みたいな言い方はやめてください」
「意図したとおりに伝わって嬉しいぞ」
「もう、草さん!」
バーバラは美味しいものを食べるのが大好きである。岸田の男どもは私を含め皆、美味い物を作ることができるのでバーバラはよく食事をしに来ている。
「バーバラ、痩せるとかほざいていたのはいつのことだったかのう」
「……じ、十月ぐらいかな」
「で、今何月だ」
「じ、十二月、かな」
「しかも、もうじき下旬だな」
「何が言いたいんですか……」
「皆まで言わずとも、君にはわかるはずだ」
「きーっ」
奇声をあげてバーバラは目の前にあった缶ビールをあおった。郷田が買ってきたものである。
「わー、バーバラ、それ俺のん!」
哀しそうな声を郷田があげた。
「す、すいません」
素直なところが彼女の持ち味でもある。しかしそれにしても彼女が肥えたという事実から目を背けることはできない。私が休み明け彼女に会ったのは十月の半ばだった。その時私が開口一番に言い放ったのは、
「バーバラ、肥ったな!」
であった。それほどだったのである。この話をすると、主に女性陣からの非難がごうごうと音を立てて吹き荒れるのだが、何もこれは私の主観的判断などではない。あのゆるさと仏並の慈悲深さで高名な卓ですらも、彼女の目に見える肥えっぷりには言及せざるを得なかったのである。しかも、それをポジティブにとらえるのならまだしも、痩せたい痩せたいと口癖のようにいう割に、飲みに行くのもやめず、食う量も減らさず、間食もやめないのだからダイエット戦士の風上になどおけない。
バーバラを風上になど置いたら、ダイエット戦士にもとから吹き付ける風だけでなく、彼女から発生する臆病風に吹かれて、勇敢だったはずの戦士までくじけてしまうことになる。日本人がアメリカ人のようになってはかなわない。断固彼女を戦士の隊列に加えるわけにはいかないのである。


 耳にタコができるほどに繰り返した説教をバーバラにしていると、森野宅から里美ちゃんと森野が出てきた。森野は食器を手にし、里美ちゃんは大きな鍋を抱えている。あの中にカレーが入っているのだろう。
「ご飯ですよー」
と母親のような言い方で森野が言う。それを合図に私たちは各自お茶を出したり、コップを出したり、ご飯をよそったりと自ら進んで役割を果たした。これが岸田の暗黙のルールである。働かざる者、食うべからずを徹底しているのだ。皆が皆この調子で何か仕事をするために、何もしていない人間あるいは何もしたくない人間は居づらくなってもうこなくなるか、または手伝うようになる。そうして誰もが役割をもっているがゆえに、誰も誰かに気を遣って委縮してしまうというようなことはしない。それが市民権となり、先輩も後輩も男も女も関係のない、フラットでフランクな人間関係が成立しているのである。
 食べる準備が整い、私たちは席に着いた。号令はメインディッシュを作った人間がかける習わしである。ゆえに、この日は里美ちゃんがその任を負う。
「手を合わせて……頂きます」
「いただきます」
日頃一人暮らしをしていて一人で飯を食っていると、こうして食卓を複数人で囲って食事をするということが妙に嬉しくなるものである。加えてこの岸田という空間は先ほど書いたような人間関係があるため、より一層胸がほっこりするのである。まるで魂だけで銭湯に来たような、そんな感覚なのだ。私たちは物理的な距離よりも、精神的な距離の方が近い。
「里美ちゃん、これめっちゃうまいやん」
「何杯でも飯いけるわ」
と郷田と森野が言うと、里美ちゃんは嬉しそうにはにかんだ。その顔を見て、私は少し前の事を思い出した。あの朝、橋の上で叫んでいた里美ちゃんである。なるほど、そういうことかと、遅ればせながら、私は一人首肯した。

 


一二月二六日.

 夢を見た。
 私は一人で何もない場所にいる。正確には何かがあるような気はするが、何も見えない。そこは自分の手すら見えない漆黒の闇である。
「おうい」
私は誰へともなく呼びかけた。予想通り誰も答えはしなかったが、一つの収穫があった。音の反響の具合からそれほど広くない場所であることが分かったのだ。やや安心した私は、その空間をとにかく歩きまわってみることにした。とはいえ一寸先は闇である。私は這いつくばって進むことにする。
 にしても、ここはどういう場所なのだろう。何のためにあって、誰が作った空間なのだろう。そのようなことを漠然と思索していると、私の鼻先に何か布のようなものが突き付けられた。いや私が何ものかに突っ込んだのである。
「誰だ」


そう問うたものの、相手が人間であるかもわからなかった。なにしろ何も見えないのである。清水寺の胎内めぐりのような、あやめもわかぬ暗闇なのだ。その何かは私の問いかけには答えず、身動きもせず、私の目の前に立ちはだかっている。私はその何かを識別することも、コミュニケーションをとることもあきらめ、先に進むことにした。それからしばらくホフク前進していたが、四度ほど何かにぶつかった。そのたびに、
「誰だ」
と問いかけてみたが、どれに関しても何の情報も得られなかった。私はいい加減暗闇が嫌になって、仰向けになって寝ころんでしまった。


 これぐらいの闇になると、目を閉じても開いていても得られる情報量は何一つ変わらない。私は目を閉じる。いつもは変わるはずの眼界が何も変わらず泰然としていることに、私は奇妙な不安を覚える。私の瞼が壊れてしまったのではないかとそわそわする。それに耐えきれなくなって目を開くが、それでも眼界には何の変化もない。暗闇だから当たり前なのだが、この違和感に私はさらにそわそわするのである。
その焦燥感に駆られて何度も目を開いたり閉じたりしていると、今自分が目を開けているのか閉じているのか分からなくなってしまう。私は少し気が違いそうになったので、自分の指先で瞼に触れて、ようやく自分が目を閉じていることを認識した。人間の根源はやはり視覚などではなく触覚にあるのだ、と悟った。


 一人そんなことを考えて、ふむふむ、などと呟いていると唐突に私を呼ぶものがあった。
「草さん、こんなとこで何してんの。はやく。こっちだよ」
「香織嬢ですか。貴女こそこんなとこで何をしてるのです」
「草さんを迎えに来たんだよ。いつまでもひとりでグズグズしているから」
「まいったな。待たせてしまっていましたか」
「そうだよ。みんな待ちくたびれてるよ」
「しかし、私には香織嬢の居場所が分かりません。香織嬢は私のいるところが分かるのですか」
私がそう言うと、はっしと私の手をつかむ者がいる。しかしそれは香織嬢の手ではない。
「誰だ」
「俺や俺や」
「郷田か。お前も私を迎えに来てくれたのか」
「そやで。ほんまに待つっちゅうんは疲れるな」
「無自覚だった。すまない。」
暗闇の中で私はお辞儀をした。誰にも見えないだろう。
「ええからはよいこうや」
「森野まで。ありがとう」
うん、と小さな声で返事をして、森野は先にすたすた行ってしまったようである。
「では行こう」
しかしどこに。私は言ってしまってからそう思った。他の皆は行き先を知っているようだったが、私には皆目見当もつかない。
「大丈夫。私たちが連れてってあげるから」
と香織嬢が郷田の持っていない手をつかんでくれた。香織嬢のその言葉をきっかけに、私の体は宙に浮いた。郷田と香織嬢は私よりも上に浮いている。そのままふわふわとしばらく浮遊していると、
「ここや」
と郷田が言った。その瞬間、視界が一気に明るくなって私は目を閉じた。


 次に目を開けたのは、いつものベッドの上である。私はしばらく茫然としていた。夢を見ると疲れる。ただでさえ凝り性の私の肩がもっと凝る。布団の外の冷気に気付いて、むうう、と一人唸りながらさっき見た夢について考えていた。夢診断だったかなんだったか、そんなメルヘンチックなタイトルの本が何十年前かに大流行して、その名残が今の私たちの時代にも残っている。その本は夢を精緻に分析することで自らの深層心理に分け入り、
「あなたは実は性行為をしたいだけなのです」
という紋切り型の診断を下す、なんともタイトルのメルヘン性からは程遠い無粋な内容だったが、精緻にさえしなければ夢について考えることはなんだかドキドキして楽しいものである。
 ぼんやりと思ったのは、あの時私は香織嬢の場所が分からないと言ったが、実際は自分の居所さえつかめていなかった。いったいあの場所は私にとって何だったのか。それに加えて、あの何度かぶつかった「何か」は何だったのだろう。手触りは布のようだったり、石のようだったり、革のようだったりしたが、結局どれも何なのかは分からなかった。考えても無駄なのかもしれない。私の知性はそんなことよりも飯にしようと私に命じた。思い立ったが吉日。


 思い立つと言えば、文通の話である。思い立った私はあの日岸田から帰るとさっそく原稿用紙を押し入れの奥底から引っ張り出し、何の変哲もないボールペンを手にとって、さらさらと自分の簡単なプロフィールをしたためた。相手が女性(だと思われる)なので、自分が男性であることを強調し、それでもよければ文通がしたいという旨を書いておいた。紳士的であること極まりない。
私が男性であることを強調したのは、なにも私の体中の穴という穴から噴き出しかねないほど満々と体内にたたえられた紳士性のためだけではない。私の筆跡は、如何に荒々しく書こうともいつも決まって、
「なんだか女の子の字みたい」
と言われてしまうのである。だからして、この部分に留意しておかないと、相手がてっきり女性だと思っていた、なんてことになりかねない。それでは適度に浮ついた文面のやり取りなど端から生じえないのである。


 書き終えた私は、もう夜も深い丑三つ時に、寒い寒いと呟きながら駐輪場に降りていき、段ボール箱に貼ってある相手の書面を丁寧にはがし、そのあとに自分のものを貼り付けた。胸が高揚する瞬間である。私は相手の便箋を丁寧に折りたたみ、机の一番上の棚にそっとしまった。この一連の行為が妙に粋なものに感じられて、鼻唄をうたった。このまま静かに眠りつくことができればこの日はまさに吉日であったのだが、いかんせん物事はうまくいかない。私のこの思い立ったが故の吉日感を存分に阻害した者がいたのである。私の生活圏でたびたび出没する、「勝手にミュージックコンサート開催人間」だ。
「そうさ、俺こそV・I・P! ちぇけらー」
と叫びながら、彼は深夜の道を自転車で駆け抜けていった。このような人間はこの町では特に珍しい存在ではない。このあいだは一人で「ゆずぽん」という二人組のミュージシャンのメドレーを歌っていた人間もいたし、「タマブクロ」の歌をご丁寧にパートわけまでしてちょっとこっちが聴き入るぐらいの歌唱力で歌いあげるカップルもいた。なので普段は特に気にかけはしないのだが、この日は少し顔をしかめざるを得なかった。奴の住所さえ分かれば、郵便桶に生卵を入るだけ詰め込んでやるだろう。そうすれば奴は開けた途端に卵が転げ落ちて地面で割れ、
「ああどうしよう、掃除が面倒だ。畜生なにやつだ! おーまいがっと」
と言わざるを得ないだろう。しかし我がジェントルメンな本性が愚かな彼を許してやれよと語りかけてきたので、寛大な私はやつを許してやることにした。


 手紙の返事が来たのは、私がそのような慈悲を示した二日後であった。その手紙から私の記念すべき文通相手第一号は、予想通り女性であることが分かった。彼女は私と同じ読書の趣味を持ち、とくに小説を好んで読むそうである。とりわけ太宰治の著した「斜陽」や「女生徒」などは何度も何度も読み返したらしい。私も太宰をよく読むので、素直に嬉しかった。
 私の読書の趣味はなかなか周囲の人間と合うことがない。私が流行りものに飛びつくことを良しとしないために、いわゆる読書好き人間たちの好むような大衆的なものについての知識がなく、全くもって本についての会話が盛り上がらないのである。小説であれば太宰治をはじめ永井荷風川端康成などの近代文学を好んで読むし、そのほかの好物といえば文芸書なので益々人と話が合わない。
「ああいうの、難しくてよくわかんない」
の一言でそういったジャンルの書物を忌避する向きもあるが、それでよく読書好きを自称できたものだと私は思う。私は本が好きだが、読書好きなどと安易に自称できない。我が尊敬する学問人の方々に比してみれば、私などはミジンコの糞以下のようなものなのだ。
 それに「難しくてよくわからない」という言葉も気に食わない。はじめは理解ができずとも、何か意味があるはずだとじっくり腰を据えて、無い頭を振りしぼって考えるのも読書である。ベッドで寝転がりながらするばかりが読書では断じてない。そのようなファストフードのような読書を私はあまりしない。だから話も合わない。しかし、文通の彼女は小説の趣味に関しては私と合うようである。
 「斜陽」で一番好きな台詞が同じなのには感動すら覚えた。主人公の女性が妻子持ちの作家の所へ押し掛けて行ったときに、作家が彼女に言った台詞である。
「しくじった、惚れちゃった」
あの文脈であの人物にあの台詞を言わしめた太宰はやはり天才のうちの一人だろう。その点に関しても彼女の手紙は言及しており、いやはやこれは良き読書友達を得たのではあるまいかと胸が躍った。その手紙の返事には、彼女の手紙を読んで覚えた感動や読書の趣味が合いそうな気がするという事を書き、最後に永井荷風などはいかがですか、という文を書き添えた。手紙を貼り付ける前から待ち遠しいほど、次の返事が楽しみだった。


 私が二枚目の手紙を貼り付けてから、さらに二日が過ぎた。昨日も駐輪場に行ったときに確認したが、まだ返信は来ていなかった。前回も二日後に貼り付けてあったので、今日あたり返事があるかなと楽しみである。思い立って作った朝飯をもぐもぐとやりながらほくそ笑んでいた。
 今日は岸田の忘年会である。岸田によく出入りする人間を集め、総勢十名を超える大人数で酒池肉林の飲み会を繰り広げるのだ。なにせ今夜は千沙がオーストラリアから帰ってくる。生半可な飲み会にはなるまい。
何だか丸っこい哺乳類のような容貌を持つ千沙は、人類史上類を見ぬ前代未聞空前絶後人跡未踏の変態である。奇妙な猫か何だかわからない生命体を紙の上に生み出し、それを趣味だと言ってTシャツにまでしてしまったのもこの女である。一枚千円で学園祭で売りに出したところ、こんなの売れてたまるかという岸田の面々の大方の予想をあっさり裏切り、ある時期大学構内での「岸田Tシャツ」遭遇率が100%になったほど売れに売れ、用意してあった二百枚が全てなくなってしまった。
しかもその売り上げ二十万円也を全て酒と肉に使い三日間の大宴会を岸田で開かせた。その飲み会は昼夜問わず続いたのだが、途中からみたこともない人間も乱入し、それについて誰ひとり何も言わずに酒を注ぎ、飯をよそい、ともに笑った。そんな中でも最も呑み、喰っていた人間は言うまでもなく千沙であった。彼女は百グラム千円もする牛肉を惜しげもなく醤油で焼き、焼いたそばから菜箸でさらっていったし、そうかと思えば岸田のリーサルウェポンとまで乱入者に言わしめた九十六度の酒を冷凍庫から取り出し、瓶ごとあおるという奇行に出た。それを一気に半分ほど飲んだ後、
「おっまえも、のっめー」
と満面の笑みで岸田の人間、乱入者問わずその口に瓶を押し付け、酒を流し込んだ。大抵の人間はその時点で再起不能となり、とりあえずトイレに駆け込んだものだ。私は人生であんなに必死の形相で人間が便器を取り合うのを見たことがない。
「で、でちまう! でちまうんだよぉぉぉ」
と泣き叫びながら便器をあきらめて外の排水溝に脱兎のごとく走っていく者も数え切れないほどいた。それを見ながら悪魔のような高笑いをしていたのは千沙である。私は途中から寝たふりをしながら一部始終を観察していたが、三日目の夜になって千沙は、私の狸寝入りを見破ったのか、あるいは見破ってはいないがそんなの関係ねぇと思ったのかは定かではないが、
「おうい、こっいつぅー」
と叫びながら私にボディープレスをぶちかまし、起き上がって抗議をしようとした私の口にリーサルウェポンを投入した。私はあまりの素早さに直撃を免れず、見事に酒の海に沈んだ。恐るべき変態である。


 そんな千沙が帰ってくる今年の忘年会は、大荒れに荒れるのは容易に予想できる。どこかのげじげじ眉毛の似非天気予報士でも的中させるだろう。参加人数もいつもより多い。大量の酒と肉を用意する必要がある。しかも今日は香織嬢までやってくる。岸田の二大酒乱が一堂に会するとあっては戦慄すら感じるではないか。
 私は朝食を終えた後、早速今夜の飲み会の買い出しに出かけることにした。千沙はとんでもない変態ではあるが、岸田の面々の例に漏れず、菩薩もびっくりの優しい心を持っている。私は友人としてその帰還を素直に喜んでいるのである。その気持ちを表すために、今日はとびっきりの料理を作ってやろうと前々からメニューを考えてきた。そのうちのいくつかは時間がかかるものもあるので、準備は早めに始める必要があった。それに、例の段ボール箱のことも気にかかる。
私は素早く支度を済ませて、寒風吹きすさぶ戸外に出た。三センチほど浮足立った足取りで駐輪場へと降りた私は、段ボール箱に貼り付けてある彼女の便箋を見つけた。私はもう二センチほど浮足立って箱のそばに駆け寄った。ピリピリと丁寧に剥がしとった後、買い出しを終えてから読むか今読むかと一瞬間逡巡したが、欲望にはあらがえず、私は彼女の美しい筆跡を追った。


 彼女と私の読書の趣味は、相当に合致するらしい。彼女の手紙には、荷風が未読であったのでさっそく『つゆのあとさき』を購入して読み始めたところ、あっという間に読んでしまったこと、ヒロイン君江の悲哀をはじめとする登場人物の心情にいたく感動し、途中何度も涙を流してしまったこと、それらを美しい表現で書きあげた荷風の才能についても書かれていた。
私は一人寒風に吹かれながらも、胸の奥を熱くしていた。自分の好きな作品をこんなにも深く考察してくれたのが嬉しく、しかもその考察が私が考えていたものよりもさらに掘り下げてあり、ああそこまで読めるかという発見すらあったことが、さらに私を喜ばせた。しかし、私に歓喜の声をあげさせたのはそれだけではなかった。その手紙の最後の一文に、私は電気で撃たれたような感覚を覚えたのである。
九鬼周造先生の『いきの構造』などはいかがでしょうか」
こんな言い方をすると妙かもしれないが、自分と同世代でしかも女性に、『いきの構造』を勧められるとは思いもしなかったのである。私はこの本に一度挑戦していたが、途中で挫折していた。これを機にもう一度読んでみようと思った。そして私のように彼女にも発見すらある考察を示したいと思った。学問的野心に燃え、かつちょっぴり甘い気持ちに胸がほっこりとなった私は、鼻歌交じりで自転車を走らせながらスーパーへと向かった。

 


一二月二七日.

 私はいつもと違う寝具の様子に違和感を覚えて目が覚める。まぶたの向こう側には本来あるべき天井と左側から差し込むやわらかな朝日はない。あるのは大きいだけでその能力を生かされていない箪笥と、右側に眠る毛むくじゃらの大男である。
むくりと体を起こすと、そこかしこにアルコールを濃厚にまとった人体が転がっており、机の上には空の瓶が無数にある。転がっている骸をざっと数えてみたが、何体か足りない。残りは森野の家だろう。私はぐわんぐわんと大海の上の船上かと思う程揺れる視界をなんとか抑え込んで、自らの家に帰還すべく立ち上がった。今になれば事が済むまで寝ていればよかったと思うばかりである。何倍にも広がった私の視界に飛び込んできたのは、玄関の辺りにまき散らされた吐瀉物であったのだ。


 少し時を巻き戻せば、それは前夜のことである。私が種々様々な料理を運びこみ、郷田・森野両氏の自慢の手料理の準備も整ったところで、岸田の大忘年会が開始された。始めのうちこそ皆仲良く歓談していたのだが、食と酒がすすむにつれて各々の欲望が少しずつあらわになり始める。当然その先頭を突っ走ったのは千沙であった。
彼女は開始一時間ほどで大人しくしていることにもはや飽いていた。手当たり次第に肉を喰らい、コップに注ぐのももどかしいと言わんばかりにウィスキーを瓶ごとあおった。それが彼女のうちなる炎への油と化し、その炎が江戸の町を火の海とした明暦の大火さながらに岸田の面々に延焼していったことはもはや言を俟たぬ。被害者が加害者になり、また被害者を増やすという愛憎満ち溢れた酒乱劇がそこに繰り広げられた。

始めの被害者は香織嬢である。どうしてまたそんな酒癖の悪い人にはじめに呑ませるのだと言わずにおられない、何とも絶妙な人選である。岸田二大酒乱は、千沙の半年の留学という休戦期間を経て此処に再び相まみえたのだ。相まみえて共倒れになってくれれば何の問題もなかったのだが、そういうわけにはいかないのがこの二匹の悪魔である。
誰に頼まれもしないのに二人で友情イッキのコールをかけ始め、コップになみなみ注いだウィスキーを飲み干すと、それがまるで此処にいる人間すべてをアルコールの海に沈める協定の締結でもあったかのように、二匹はそれぞれ手分けして私たちを襲い始めた。

千沙は真っ先にこの私を餌食にせんと牙をむいたが、
「私が潰れると、せっかく家に用意したミートソースドリアが食えぬぞ!」
と必死に説得したところ、食いものにつられたかあの化け物、その矛先を弘毅に向けた。許せ弘毅、とは別にこれっぽっちも思っていない。
「弘毅はね、飲むもんねー」
という千沙の強制的に同意を求める言葉に、この従順で貧弱な小動物のごとき弘毅が逆らえるはずもなく、
「飲みます!」
ときわめて爽やかに宣言して、彼女の差し出した杯を一息に空にした。彼は勇敢だった。しかしながら、一杯やそこらでこの怪獣の猛攻がやむはずもなく、
「ぬはあっ」
という苦しげな声を吐きながら弘毅が机に置いた空のコップへ、一瞬の間隙もなくまたなみなみと日本酒が注がれる。
「良い飲みっぷりだ、ほら飲め飲めー」
弘毅は、ほんの少しだけ逡巡するそぶりを見せたが、それは本当に一瞬のことであった。彼の瞳からはその日の飲み会を正常な精神状況で過ごすという希望は消え失せ、何か悟ったようにすら見えた。
「うおーい」
という高らかな叫び声とともに、彼は盃に口をつけ、その底を天上へと向けた。弘毅陥落の報せである。私は自らの料理の腕が、千沙という邪知暴虐なる軍国主義国家の眼鏡にかなったことを心からいるかどうかわからない神に感謝した。


 早くも陥落した弘毅の向かい側では、今まさに香織嬢の餌食になろうとする里美ちゃんがいた。可愛い女の子はいち早く食べてしまいたくなる彼女である。
「ねえ、里美ちゃんも飲もう」
酒を飲まされる、という恐怖さえなければどんな男も代わってあげたくなるような艶美な声とほほ笑みであったが、無論この状況では代わりたいなどと言う弩級の阿呆は此処にはいない。見て見ぬふりを決め込むほかないのである。そんな情けない男どもになど端から期待などはしていないのか、里美ちゃんは香織嬢の誘い(あるいは脅迫)に敢然と立ち向かう。
「いえ、もう飲んでいますから」
しかもとびきりの笑顔である。彼女は此処岸田によみがえったジャンヌ=ダルクであろうか。
「もっと飲もう、って言っているのよ」
もはや単なるチンピラでしかないが、それでも何とか彼女の美貌がチンピラになることを食い止め、色気(酒気も)むんむんのお姉さんがうら若き少女をかどわかそうとしているようにぎりぎり見えなくもない、と言えなくもない状況であるような気がしないでもない。
「いえ結構です」
それでも少女は決然とした態度で立ち向かった。しかし、どんなに勇敢な戦士とはいえ、時には敵の恐ろしい暴力のためにその膝を屈するものである。けなげな少女がその台詞を言い終わる前に、極悪非道の酒乱怪獣はその口に日本酒の瓶をぶち込んだのである。一歩間違えれば殺人になりかねない所業をそつなくやってのけるのは、酒乱怪獣の面目躍如というところか、なんて冷静に言っている場合ではない。こんなところでそんな面目を躍如されても何一つめでたくないので、それを見ていた私と森野は香織嬢を両脇から止めにかかる。


「なにするんだあ」
暴れる香織嬢を抑えつつ、私と森野は里美ちゃんを気遣った。
「大丈夫か、里美ちゃん!」
しかし、彼女は答えない。
「はなせえ」
だというのに酒乱怪獣は大暴れである。もし私と森野が手を離せば、怪獣は里美ちゃんにとどめを刺しにかかるだろう。それだけは何としても防がねばならぬ。そこで、私は一世一代の大決心をした。


「香織嬢!」
「なんだ、草人!」
「私が、お相手いたしましょう!」

『岸田アパート物語』3号室

「にしても、森野の料理はほんとに美味しいわね」
そう言ったのは香織嬢である。
「どうして彼女ができないんだろう」


 これは岸田定番の話題である。森野は顔よし、スタイルよし、頭もよければ性格もいい、料理も美味いしスポーツもできる。服に気を使わないところが玉にキズだが、本当に素晴らしい玉にとっては、多少の傷などはむしろその価値を高めるのである。しかし、ここまでのスペックを誇るというのに、彼には恋人がいなかった。
「求愛されたりはするのにな」
「あんなんはもう、迷惑以外の何もんでもないわ」
これだけの男である。なにも女性がほったらかしにしていたわけではない。飲み会の席から無理やり連れ出され、店の外の草むらで手篭めにされかけたこともあれば、ぬぼーと大学構内を歩いていると突然接吻されたこともあるという。

あるいは家に帰ると使い古した愛用のトートバックにラブレターが入っていたということもあった。それは恭しく私が朗読の役を仰せつかり、完全に酒の肴にしてしまった。なにも私がモテない腹いせをしたいわけでもなく、その女の子に恨みがあったわけでもない。言い出すのはいつも森野なのである。
「一人で読むんは恥ずかしいから、みんなで読もう」
そんなシャイな彼であったが、生涯自分から女性に惚れたことがないらしい。曰く、
「一人の方が楽やん。」
もはや仙界の住人かと思う程の煩悩の払いぶりである。近頃「草食系男子」というのが流行っているが、岸田では森野の事を「水呑み男子」と呼んでいる。彼は草さえも食べぬ男なのだ。


 この話題はいつも香織嬢が、
「いつかいい人が見つかるはず」
という無責任極まりない御託宣を与えて終幕となる。この日もいつ戻りの結末を迎え、そのあと彼女は炬燵に肩まで入って眠り始めた。それを見た郷田も、もはや卓の毒牙おそるるに足らずと踏んだのか、香織嬢の横で居眠りを始めた。そのあたりで今日の会はお開きにしようということになり、みなが帰り支度を始めたころ、私の袖を引くものがある。何奴かと、酔いと眠気で垂れに垂れた眼を向けると、里美ちゃんである。
「どうした」
「今日は、まだ帰りたくありません」
小さな声である。なんだか少し艶っぽい台詞のように思えるが、相手が里美ちゃんではまったくもって艶消しである。確かに彼女は美しい。しかし同時に奇行を繰り返す魔女である。何と引き換えに契約を迫られるかわかったものではない。
「もうすこし、飲むか」
「はい、のぞむところです」
そりゃそうだ、君の望みに私が応えたのだ、と言いたかったがぐっとこらえた。弘毅がバーバラを送り、卓は次の日が早いというので帰宅することになった。里美ちゃんが残るというのを受けて弘毅が少なからず名残惜しそうな顔をしていたが、弘毅が里美ちゃんを見る視線を徹底して彼女が回避するために、弘毅は意気消沈してあきらめた。ふられたばかりだというのに、なかなかの立ち直りの早さである。ましてや相手はかつて恋した女性、もはや煩悩の塊ではあるまいか。こうなるとなんでも洗い流せる便利の有能さも考えものだ。


 片付けられるものは片付けた後、私と森野を相手に里美ちゃんは飲みに飲んだ。深夜は三時になった頃に私が、
「そろそろ眠い」
というと、
「草さんも、まだまだですね」
とはっきりした発音で言うものだから、私も躍起になって応戦していると、四時になる頃に森野がおもむろに立ち上がって自室に戻っていった。それでも里美ちゃんは飲むのをやめず、学生生活とは何ぞやということについて、私達は一晩中侃々諤々の議論を戦わせたあげく、朝を迎えるにいたった。それに気付いたのは外が薄蒼くなってきたからである。里美ちゃんはそれを見て、言った。
「草さん、おはようございます」
「うむ、おはよう」
これ以上早い「おはよう」はあるまい。
「朝日でも見に行きましょうか」
「そうだな、せっかくの朝だからな」


そして私達は朝日を見に行った。岸田からスーパーのある通りに出て、道沿いに東に向かう。交差点をかまわず直進し、道なりに行けば大きな川がある。そこの橋に我々は立った。その頃には春でもないのに、やうやうなり行く山ぎはが美しい情景を私達に見せてくれていた。千年以上も昔にここに人が住んでいたのかは知らないが、そのような時代にもこの情景はあったのかと思うと、柄にもなく胸が昂揚する。冷たい師走の空気を、鼻の穴から吸い込んでいると、醗酵した揚句に腐敗してしまった私の脳髄も少しは冴えるかと思う。それほどに清澄な空気である。
 その時隣の彼女が橋の欄干に手をかけた。一瞬飛び降りるのではないかとあわてたが、彼女がそのあとに口にしたことの方にもっとあわてた。
「私は! 森野さんが好きだ!」
と叫んだのである。何処にも歪む所のない真っ直ぐな、その時間の空気と同じに清澄な、胸に響く声であった。私が茫然としている間、彼女はずっと同じことを叫んでいた。しばらくして、冬の空気に喉が渇いたのだろう、彼女はむせて叫ぶのをやめた。ケホケホとひとしきりむせた後、彼女はあの素敵な笑顔を顔面にたたえながら、少し涙ぐんだ目で私を見た。顔が寒さのせいか真っ赤である。私は私のすべてを彼女に見抜かれているような気がした。なぜだかは分からない。しかしこのままではだめだ、と思った。そしてその結果、私も叫んだのである。
「私は! 佳菜子さんが好きだ!」
それに呼応して、また里美ちゃんも叫ぶ。
「私は! 森野さんが好きだ!」
馬鹿で間抜けの大学四年と、奇行癖はあるが素敵にまっすぐな大学二年の男女が、朝の橋の上で、朝日を浴びながら何やら叫んでいる光景はなんとも奇妙であったろう。しかし私達はとにかく一生懸命であった。朝日がどんどん上がってくる。私は叫んでいるうちに、ひょっとすると私の叫び声が太陽をぐんぐん空へ引き上げているのではないか、と思うようになっていた。里美ちゃんもそうであったと願いたい。私達は結局太陽がすっかり姿を現すまで叫び続けていた。


 一晩中飲み続けた挙句に延々と叫び続けたせいで、私達は疲れ果てていた。当然喉も枯れている。声帯が荒れているのが分かる。しかし、私達は岸田までの帰り道、とてもすがすがしい気持ちで歩くことができた。その道中私は彼女の恋を影ながら応援することを宣言し、彼女も私の恋を影ながら応援すると宣言してくれた。なんだかいけそうな気がする、と何の根拠もなく、しかも何がいけるのかも判然としなかったが、そう思った。
 岸田に帰ると森野が出てきて、
「おかえり」
と言ったので、私達は声をそろえて、
「ただいま!」
と返事した。
「仲のええのは、ええことや」
と満足そうに彼は言ったあと、味噌汁の火ぃ止めな、と言ってキッチンの方へ戻っていった。見ると、里美ちゃんはなんだかすがすがしい笑顔である。私達はハイタッチをして、各々帰宅した。


 ところで、橋から岸田への道中聞いたところによると、里美ちゃんの、
「ジャガイモ食べたいです」
は彼女にとって別段突発的な発言ではなかったそうである。その証拠にその日彼女が張り付けていた絵を見ると、ジャガイモに手足が生えた奇怪なものばかりであった。
「描いているうちに食べたくなったのです」
とは、言うまでもなく、彼女の言である。

 


一二月二〇日.


 ジャガイモパーティーから二週間ほどした師匠の駆け足の息も切れそうな頃、私のアパートの駐輪場に突如謎の紙片が出現した。出現と言ってもそれはごくごくつつましやかで、私がこのアパートに入居した頃からある段ボールの内側に貼り付けてあったのである。見つけた瞬間は何かの伝票かと思ったが、その紙の真新しさがその仮説を却下する決定打となった。当然私は気になった。何が気になったのかと言えば、もちろんそこに何が書かれてあるかである。


 私は、以前タツヤで借りた『メカは意外と泳ぐのが遅い』というスパイものの映画で見た「スパイ募集」の張り紙を想起した。その広告は一平方センチにも満たないもので、それを発見できたからにはスパイの素質があるはずだ、というなんとなく正しそうなロジックで主人公がスパイとして雇われる……といった映画である。
私は自分がスパイとして訓練され、街の家々の屋根をヒョヒョイと渡っていくのを想像してワクワクしてきた。小学校の卒業文集の「将来の夢」欄の所に野球選手やサッカー選手、花屋さんやお嫁さんを同級生が記しているところに、何の奇も衒わずに「スパイ」と書いた少年が私であった、というわけではない。とはいえ大学も卒業間近というこの時期に、そんなワンダフルな出来事が舞い込むというのなら、それに飛び込むのもやぶさかではない。刺激に満ち溢れる人生こそ最良の人生であるとするなら、このチャンスをものにせずしていかにして最良の人生など送れようものか。私は思いきって段ボールの内側を覗きこんで、その文面を読んだ。そこにはこのように書かれていた。

これを見つけ、そして読んで頂いた方へ。

わたくしは、この近くの大学に通う学生でございます。毎日大学に行き、色々の先生方のご高説を賜る日々はなんとも甘美な至福の時間であります。このような時間を与えてくださっている両親には、いくら感謝してもしきれないでしょう。しかしながらその反面、この生活は単調であることもまた確か。わたくしのなかの刺激を求めるもう一人の自分が、もはやこのようなのんべんだらりとした生活には飽いたぞと、わたくしを責め立てるのでございます。
 わたくしは勤勉さの足りない部分があるのかもしれません。すなわち、このもう一人のわたくしの抗議を受け入れることにしてしまったのであります。その結果がこのお手紙。これをお読みになった何処の何方ともわからぬお人と、この段ボール箱の内側を通して文の交換をしてみたい、わたくしはこう考えております。お願いにございます。このわたくしの奇妙な遊戯にお付き合いくださいまし。


好奇心旺盛なわたしより

 
読み終わった私は、なんだか妙な心持になっていた。厄介なものを読んでしまったぞという思いと、スパイ生活とはまた一味もふた味も違う秘密な遊戯への興味である。何だかこう書くとまるで乱歩の奇天烈世界のようにも思えるが、何のことはない、単なる文通である。そう考えれば何とも健全な娯楽ではなかろうか、そうに違いない。
 私はこの手紙の主に返事を書くことにした。とはいっても、博覧強記、服を着た字引と誰かしらに言わしめた私とはいえど、その場ですぐに文章を起こすのは困難を極めた。なにしろ相手は顔も形もなにも知らない、下手をすればただの変質者である。そのような人間相手の手紙はおいそれと書けるものではない。私はひとまず、飯を食うことにした。そして図書館で読書に耽る予定を、食堂で手紙の文面を考える予定に変更した。


 今日は土曜日である。休みの日の食堂は適度な静けさを保っており、このような考え事するにはなかなかもってこいの場所と言える。逆にこういう時に図書館などに行くと、何も思いつけないで苛立ちのみ胸に抱いてすごすごと帰宅することになる。図書館は静かすぎるのだ。なにも女学生が戯れるのを見たいがためでは断じてない。そう、断じて。
 私はごくオーソドックスなメニューをトレイに載せてレジに向かった。レジ台にトレイを置いて、かばんの中から財布を取り出していると、草さんだ、と何者かが私を呼んだ。
「草さんも、食堂来るんだねえ」
そこにいたのは真中であった。彼女は岸田に出入りする人間の一人である。郷田と同じ三年次編入組であり、あと一週間もすればオーストラリアから帰ってくる岸田一の怪人、千沙と同じオランゲハイツの住人である。森野同様相当に出来た人物で、千沙の奇想天外な狼藉も笑って許し、階下に住む摩訶不思議な後輩の面倒も嫌な顔一つせず見てやる素晴らしい女性である。笑顔が素敵なことも特筆に値するだろう。
「どういう意味だ」
「だって、草さん、人多い場所嫌いでしょ」
「人を対人恐怖症みたいに言うものではない」
「違うの?」
「……」
私は答えられぬままレジを通過した。確かに私は人混みが大嫌いである。生まれは日本でも随一の大都市であり、育ちも同じであるから、人の多さには慣れていてしかるべきだと思われがちであるが、とんでもない。それどころか頭を掻きむしりたくなるほどに人混みが苦手なのである。


 一年の夏ごろであったろうか、半年ぶりほどに帰省した時のことである。高速バスを降りて駅に向かおうとしたところ、とてつもない人の波がうねうねと駅前の道をなめていた。その日が休日であったせいもあろうが、そのような人の量は私の故郷ではまったくもって物珍しいことではない。しかし半年近くもその現象から遠ざかり地方大学の学生町に生きていた私にとって、これはもはやシェルショック並の衝撃である。精神崩壊の危機と言えよう。
 とはいえ、そこはやはりこの私、そう簡単には頭を垂れることはせぬ。しばらくは唇をかみしめて駅までの道のりをボストンバック片手に歩いていた。ある交差点に差し掛かった時に、運悪く私の進行方向がちょうど赤になってしまった。この街でこの季節に赤信号に捕まるというのは、片田舎から出てきた人間にとってはもはや生き地獄である。無論その時の私にとってもそこは見渡す限り熱帯林のジャングルのように思われた。
 信号待ちの列に並んでいると、当然次から次へと私の後ろにも列ができる。それが整然と並んでおれば私にも耐えられたろう。しかしこの街の人間たちは、世界一住民の歩行速度が速いと言われるほどにみなせっかちである。それゆえに、とにかく後ろからものすごい力で押されるのである。最前列の人を単なる赤い肉塊にしたくなければ、前の人はぐっと堪える必要がある。
しかし、ただでさえヒートアイランド現象やらなんやらで気温が異常に上がっているというのに、人口密度の極めて高い状態でそのような物理的接触や圧迫を受ければ、もはや耐えられないほどの汗が出る。そのような人間が自分だけではないのだからたまったものではない。
暑い臭い狭いの三拍子が、何も愉快なことなどありはしないのに盛大にパンパンパンと荒れ狂う(私の耳にはその三拍子が確かに聞こえた)。私の耳元で延々とパンパンパンが聞こえるものだから、妙に私も楽しくなってしまって、私はその場で踊り始めた。そしてそのまま倒れたのである。奇妙な踊りを見ず知らずの群衆の面前で披露した挙句に卒倒した私は、以来夏の帰省は決してすまいと心に誓った。その誓いは厳密に守られている。


 そんな話はさておき、文通である。白米を咀嚼しながらそのことを考えていた。なにしろはじめてのことだ。それを考えるだけでなんとなく胸が高揚する。それにしても、あの文章をあんなところに書いた人間とはいかなる人物であろうか。流麗な筆跡と上品な言葉づかいから、十中八九女性であることは間違いない。というよりそうであることを切に願う。
 生まれて初めての文通の相手が、あんなに美麗な字を書く男だなどとは、断じて言わせるものか。怪人二十面相のような奇妙奇天烈摩訶不思議な人物が、私と言う稀代の知性を抹殺するべく仕組んだ巧妙な罠か、という考えが一瞬だけ脳裏によぎったが、そうそうに自分の価値を客観的判断の俎上に載せた結果、そこまでの人物ではないと断定した。不服申し立ては敢えてすまい。
 ではどのような女性かという事だが、その文面を信じる限り彼女は大学生である。そしてその文字から察するに相当の知性をもった女性であるに違いない。もはや間違いない。ただ、一面ではあのような不特定の人物に対して文通を図ろうとするほどのエキセントリックな側面も垣間見える。そこで私の人物データファイルの中で物凄い速度で浮上してきたのは、佳菜子さんである。
「まさか……」
と思わず口にしていた。しかしそんな都合のいいことはあるまい。それまで何の音沙汰もなかった彼女から、こちらが再度心を寄せた時期になってまた連絡を取ろうとしてくるなどということは考えにくい。しかもあの妙な方法でだ。


 第一、私と連絡を取ろうと思えば携帯電話の番号もアドレスも私は変えていないのだから、それで連絡が取れる。もし乙女特有の潔さで(女だって年をとれば未練がましくもなるだろう。後がない、ということは人を愚かにするのである)私の連絡先を削除していたにせよ、私の家の場所も知っている筈で、当然学校ででも会うことがかなわないわけではない。私の図書館通いも彼女は十分知っている。これらのことから、彼女がわざわざ奇妙な手段を用いて、このような唐突な時期に私にコンタクトをとる可能性は皆無に等しいことが分かる。何者かが彼女をたぶらかしてでもいない限り。
 私は自分で自分の分析力に嫌悪した。あわよくば彼女と連絡を取り合っているという淡い喜びに浸っていたかった。しかし、私の知性が邪魔をした。この悲劇的知性! しかも同じ理由で、私が容姿や内面を知っている女性が、この文通の相手である可能性も灰燼に帰した。もはや私の眼前には茫漠たる闇がひろがっているだけである。眼を凝らしても何も見えず、あるのはあの段ボール箱に書きつけられた怪文のみ……。
「むう……」
チキン南蛮という名前からしてどうやら遠く海の向こうからやってきたらしい食べ物をかじりながら、私は呻いた。自分が今とても恐ろしい道に足を踏み入れようとしているのではなかろうか、という不安に襲われる。それこそ新手の出会い系サイトか何かで、私のような目ざとい人間をターゲットにしてあのような手法をとっているでは、とすら思われてきた。


 はじめの文章に私が返信を書いたあくる朝、私は胸をドキドキソワソワさせながら駐輪場への階段を降りた。するとそこにはすでに彼女からの返信があるではないか。返信にはより詳しい彼女のプロフィールがあった。私の文章から有り余るほどの誠実さを感じ取った彼女が、「貴方なら大丈夫」と教えてくれたのであった。
 その彼女の思いにこたえるべく、私も自分の趣味や好きなものなどについて書き、彼女の美しい筆跡をさりげなく賞賛した。そうして何度か文通が続いたある日、彼女からこんな文章が送られてきた。

わたくしがあやまってぶつけてしまった車が暴力団員の方のもので、弁償を要求されています。現金で三百万円支払うか、わたくしのカラダで払えと要求されています……。わたくし、そのような大金用意できませんし、カラダで払おうかと思っています。そんなわたくしとでも、また文通してくださいますか?

私は暴虐邪知のこの暴力団員に怒り狂う。そして書きつける。

私には一年生の時からこつこつためた貯金がちょうど二百万円ほどございます。是非あなたのお役にたてていただければと思います。ぜひご口座を教えてください!

その次の返信には神のような私の慈悲に感涙をむせぶ感謝の言葉が並べられ、その下に慎ましやかに彼女の口座番号が書かれている。私はそれを見た足で銀行へと走り、直ちに振り込んだ。その旨を段ボール箱に貼り付け、そろそろ感極まった彼女からの「直接お会いしとうございます」を心待ちにして、翌朝駐輪場へと駆け下りるが、そこに彼女からの返信はない。そのあくる朝も、その次の朝も、一週間たっても音沙汰は蚊の鳴くほどもない。私はだまされたのである。


 なんてことになるのではないかと、私は一人この万巻の知の詰まった頭部をかきむしった。気持ちの整理をするためにひとまずキャベツを食べたが、なかなか動悸がおさまらない。勢い余って口の中でプラスチックの箸がミシっと音を立てたので、ますます無駄に鼓動が速くなってしまった。繊細なハートの持ち主はこれだからつらい。


 散々と様々な可能性に思いを巡らした揚句に、私はとりあえずカネかモノを要求されるまではこの秘密の遊戯を愉しんでもよい、但し深みにははまるべからずと自分を納得させて、文通を始めることにした。始めの手紙である。軽いプロフィールと趣味などについて書き、返信が来ずとも落ち込むでないと自分に言い聞かせながら、段ボールにわが人生初の文通のための手紙を貼り付けた。


 ひと仕事終えた気になって自室に戻ると、はかったように携帯電話が私を呼んだ。
「へいへいへい」
とその呼び声に返事をしながら液晶画面を見ると、森野である。

『岸田アパート物語』2号室

 私が貴重品の移転作業をしながら、昔の甘酸っぱい思い出に鼻先をツンとさせていると、香織嬢がスーパーから帰ってきた。
「お、いいにおいだ」
クンクンと、その端正な鼻先で森野の料理のにおいをかぐと、香織嬢は満足げに郷田の部屋に戻っていった。両手には凄まじい量のアルコールがぶら下がっていることが容易に観察できた。何とも嫌な予感のする光景である。
「おい、郷田、今日は何かしら嫌な予感がする」
「草さん、もうあきらめや」
がっはっは、と豪放に笑う野蛮人を横目に、私は最後の貴重品を運び終えて一息をつく。時刻は午後五時過ぎである。物悲しいほどに淡い夕日が、目の奥の腺に沁み渡るようである。まったくもってこの季節は心に悪い。むやみやたらといろいろなことを思い出させるのは、下衆のすることである。このゲス夕日め。私はなし崩し的に、佳菜子さんとの事を思い出さずにはいられなかった。


「もう一緒にいられるのは、困るのです」
私は確かにそう言った。今では到底信じえない発言だが、それはもはや消しようのない事実である。
 佳菜子さんは、付き合いが長くなるにしたがって、あろうことか私などという人間を崇拝するにいたった。彼女は私のすべてを肯定し、讃美し、許した。始めのうちは、素直なままの感受性を満々とその身にたたえていた私であったから、彼女のその態度を大変ありがたく思った。私の高慢な自尊心がこれ以上ないほどに満たされたのである。
しかし、私の傲岸不遜な自我は、つねにそこに無いものを欲した。彼女が私を肯定するがゆえに、私はその現状に甘んじて、自らを過酷な状況に置くようなことをしなくなっていた。そのことを私は非常な怠慢であるように感じ、その原因が彼女との関係にあるのだと断定したのである。今思えば、そのような状況でも自らを練磨することもできたのだろうが、あの頃の私には到底そこまで思いが及ばなかった。

「貴女といると、私が、駄目になってしまうのです」
私はその時憤然としていた。すべてが彼女との関係が原因であると思い込んでいた故である。身勝手極まりない言動としか言いようがない。弁明のしようもない。すべてを受け入れてくれていた彼女に対して、なんという酷い事を言ったものだろう。思い出すだけで頭を掻きむしりたくなる。
 彼女は、泣いていた。老若男女問わず抱きしめたくなるその女性を、その時の私は冷淡な眼で見ていた。ひとしきり上品なすすり泣きをしたあと、彼女はふっと私の方に向き直った。決心した眼であった。彼女は私をまっすぐに見つめ、しかし震えた声で、
「わかりました、お別れ、ですね……」
と言った。私は、彼女のこの言葉を聞いた途端、はっと我に返る。お別れ、と、ですね、の少しの間隙が、私を無知蒙昧傍若無人の催眠から解放したのだった。しかし私にとって、もはやそれは手遅れでしかなかった。彼女のあの瞳を目の当たりにして、
「今の話をなかったことにしてはくれまいか」
などと無様なことは言えはしない。なによりそのような惨めな私を、彼女がまたあの輝きに満ちた目で尊敬してくれるはずなどありはしないと、そう思った。彼女のその言葉に静かに私がうなずいたのを合図に、私達は別れた。思えばそこは、はじめに彼女が私に声を掛けてくれた図書館の出口の前であった。


「草さん」
家の前でいつのまにか泣き崩れるに至った私の横に、森野が立っていた。
「す、すまない」
自分の醜態を私が必死に隠そうとすると、森野は何も言わずに私の肩に手を置いて、郷田宅に引き入れてくれた。そのせいで、私は余計に無様なことになってしまうのだった。
 しかし、郷田宅に入ると、一瞬にしてそれまでの感興は吹き飛んだ。もうすでに机の上には森野の絶品料理が所狭しと並び立ち、料理の隙間を埋めるように五〇〇ml缶の発泡酒が傲然と立ちはだかっている。そして、そのうちの何本かは既に空である。
「弘毅の野郎、おっせえなあ」
空にした張本人は、香織嬢である。
「香織嬢、もうそんなに飲んだのですか」
「お、おい、草さん、あかん」
私の少し呆れたような指摘に、郷田が忠告を施したのだったが、それは既に遅かった。
「ああ? おい、草人、なんか言ったかあ?」
草人(くさひと)というのは私の本名である。香織嬢は酩酊すると、必ずと言っていいほど私をこう呼ぶ。そして、それは諸々の意味で、もはや手遅れであることを示している。
「いえ、何も言っていません」
「いや、言ったね。おお、言ったね」
目が据わっておられる。
「おい、こら、飲めやー!」
と言って、自分の手に持った発泡酒を差し出す。
「いや、でも、まだ弘毅が来ていませんので」
そういいながら横目で、郷田と森野に助けを求めるが、期待はずれと言おうか期待通りと言おうか、郷田はパソコンでメールチェックをするふりをしているし、森野は食器の準備をしようとしているのだが、どこにあるんだっけな、というしぐさをしている。もはや腹をくくるほかない。
「あたしの酒が、飲めない……飲めないんだあ……そっかあ」
「いえ、滅相もない、飲ませて頂きます」
そう言って、私が香織嬢の方へ歩み寄ろうとするときに、私にとっては運よく、そして彼にとっては運悪く、弘毅が駐輪場に馳せ参じた。香織嬢、もとい酒乱女の興味もそちらに移ったようである。おお、来た来た、と小さな声で満足げに呟いている。そうとも知らずに、弘毅が入ってくる。
「おじゃまします……」
あからさまに元気がない。無理はない、想い人に出撃前迎撃をきっちり決められた直後である。しかし、そのような瑣末な背景など、今の香織嬢の前では風前のマッチ棒である。
「おう、弘毅い、おせえよ」
そう言うなり彼女は立ち上がり、弘毅の口に先刻の缶の注ぎ口を押しつけた。あ、あば、という声にならない声を漏らしたが、なんの甲斐もなく、ほとんど中身が入っていたらしい五〇〇ml缶は見事に空になった。
「なんてことするんですか、香織さん」
と言いたかったのだろうが、可哀そうに、もともとアルコール分解酵素が脆弱な弘毅の舌は、もはやその主のいうことを聞いていなかった。しかし、そんな恋の敗残者の意向など歯牙にもかけず、その胸倉を引き摺って、香織嬢は無理矢理席に着かせた。
「よし、みんな、乾杯だあ」
という女王の掛け声とともに、今まで知らぬふりをしていた郷田・森野の両氏も缶をもち、アルコールを身に浸したのであった。


 その後のことはもはや多くは語るまい。弘毅の話を聞きたいという香織嬢の願望は果たされず、弘毅の苦い恋はまたしても便器に流された。それだけである。

 

一二月四日.


「ジャガイモが、食べたいです」
そう一言、彼女は言った。彼女とはかつて弘毅が恋した、奇妙な絵を描く美少女である。その名を里美ちゃんといった。


 それは、ある日いつものように郷田の所属する学生団体の面々を集めて飲み会をしていた時である。例のごとく奇奇怪怪の儀式を淡々とこなしていた彼女が、ふとそうつぶやいた。その日は別段ジャガイモ料理が出たわけではないし、あるいは全世界的にジャガイモの生産量が急減したせいでジャガイモの価格が目をむくほど高騰していたわけでもない。あるいは我々がジャガイモについて侃々諤々の議論をしていたわけでもなかった。
かくしてその場を大きな疑問符が包み込む。あまりにもピタリとその場の空気が止まってしまったので、この状況いかにせん、と居合わせた者たちが思考をフルスピードで回転させていた。とはいっても全員が全員、酒にとっぷり浸っている。そのためいくら思考をフル回転させようとも、そのスピードは初期のマック並であったことは注記しておきたい。その証拠に我々が導き出した答えは
「じゃあ、ジャガイモパーティーをしよう」
という滑稽至極なものだった。なんと里美ちゃんの突発的な要望をすっぽり鵜呑みにしてしまったのだ。そこに追い打ちをかけるように酔いに酔った郷田が、
「ほんなら、ジャガイモしか食ったらあかんってことにしようや」
などという意味不明の提案する。さらにそれをその場にいた者たちは思案するまもなく承認した。血迷っていたとしかいうほかあるまい。なぜなら常日頃から頭脳明晰沈着冷静で高名な私ですらが、諸手を挙げてジャガイモンリーパーティーに賛同したからである。もはやだれがその決定に冷静な判断能力を発揮できたろう、誰もできはしなかった。だから、誰を責めることはできない。


 その結果が今の私である。買い出し担当を自ら任じたらしく(らしく、の意味は推して測るべし)、しぶしぶ野菜の安いスーパーにはるばる自転車で一〇分かけて出かけてきたのだ。
「そもそも、何人来るかもわからぬのにどうやって買い出ししろというのか」
とため息交じりに不平を言いながら、私はただジャガイモだけをかごに入れ、カートでレジまで運んでいた。
(さて、どのレジに行こうか)
と視線を上げたと同時に、私は心臓がパチンッとはじけてしまうかと思った。その視線の先には佳菜子さんがいたのである。彼女はあの頃よりも髪を短くしており、肩より少し長かった美しい黒髪は、耳より少し長い程度にまで切り落とされている。若葉色のワンピースを素晴らしく着こなした彼女は、レジ横のキシリトール入りガムを買おうか買うまいかと考え込んでいた。


 佳菜子さんは、いつもそうだった。私に何か食事を拵えてくれるといって買い物に行くのだが、いつもレジ横の商品を欲しくもないのに買ってきてしまうのである。
「なんだか、買ってくれよーって、彼が言っているような気がするのです」
と言い訳するのも、いつものことだった。そして、あの頃と同じように、かごの中身が次々とレジを通っていくのをちらちらと気にしながら、その中身があと一つになると、ギュッと目をつぶったのち決心したような眼になって、キシリトール入りのガムを買い物かごに加えた。
 その一部始終を見終わってから、自分がこんなところで立ち往生していることの危険性に気付き、あわてて私は棚の影に隠れた。何がどのように危険なのかは判然としないが、人間は時にそういった理屈を超えた原理で動くものである。したがって根拠があいまいであろうと、その行動が正当化されないとは限らない。
 店内をうろついて、万が一彼女とぶつかりでもしたらコトなので、私はその影から彼女の一挙手一投足を観察し、自分の存在が彼女に露呈しないように厳重な注意を払った。その甲斐あってか、佳菜子さんは私との予期せぬ遭遇に見舞われることなく店の外に出た。ほっとした私は、ようやく安心してレジ袋三つ分のジャガイモを購入することに成功したのである。


 ジャガイモだけを食うというと、おのずとその料理の種類は減ってしまう。フライドポテト、ポテトチップス、マッシュポテト、私が今すぐに思いつくジャガイモだけの料理などこれぐらいしかない。まことに無茶な思いつきであるといえよう。それにこんな量のジャガイモを食べたら壮絶な量のでんぷん質を摂取することになる。ひょっとすると、この阿呆なパーティーが終わったころに私達の体にヨウ素液を垂らせば、肌が青紫色になるのではあるまいか。私の手にずっしりとぶら下がっている芋は、それほどの量なのである。
「おい郷田、買ってきたぞ」
大きな音を立てて、私がジャガイモを郷田宅の床に置いた。
「お、おお! さすが草さん、徹底した量やな」
「当然だ、私は中途半端という言葉がこの世で一番嫌いなのだ」
もし、中途半端なことをするならば、徹底的に中途半端にするつもりである。それでこそ私である。
「森野!」
郷田がその寝床に仰臥したまま森野を呼んだ。無論、隣の家にいる森野である。
「はーい!」
岸田の壁の薄さをもってのみ実現できるコミュニケーションであろう。プライベートもくそもあったものではない。ここではそのような概念は成立させようと思っても、土台を作るそばからこの郷田という男がその巨躯を駆使した体当たりで根こそぎ崩壊させにかかるだろう。
「おお草さん、買ったなあ」
郷田に呼ばれて、森野がこちらの部屋にやってきた。
「買ったのはいいが、問題はここから先だぞ」
「大丈夫、名案があるんや」
親指を立てて森野が断言した。この男にこれほどまでに言わしめる名案とはさも何ぞや、となんだかわくわくするほど安心感のある宣言であった。
「よし、なら任せる」
「はいよ」
そう気持ちのいい返事をして、森野はジャガイモを抱えて自室に運んで行った。頼もしいことこの上ない背中である。


 よっこいしょ、と立ち上がった郷田が、
「ほんなら、俺らは酒を買いに行くか」
「そうだな。しかしジャガイモにあう酒とは何ぞや」
「ビールやったら、なんでも合うやろ」
「ビールは強し」
ぶらりぶらりと歩きながら、スーパーに向かっていると、郷田がそのスチールウールを思わせるもじゃもじゃ頭を掻きながら、
「最近、どんなこと考えてんの」
と言った。
「急にどうした」
「ええから、ええから」
「むう、そうだな……卒業論文はひと段落ついた。最近は休憩がてら、哲学の勉強を再開させた」
「哲学が休憩とは、さすが草さんやなあ」
がっはっは、と豪快に郷田が笑う。
「あの学問は深みにはまりさえしなければ、楽な学問だ。同時に、深みにはまらなければ、何一つ新しいものは得られない学問でもある。だから休憩なのだ」
「なるほどなあ、深みになあ」
と、この男には珍しい煮えきらない返答だ。こういう時のこの男は何か別に聞きたいことか、言いたいことがある。
 スーパーに着いても郷田が何も言わないので、発泡酒の六本入りのケースを入れているときに、私から問うことにした。
「なんだ、なにか言いたいことでもあるのか」
「え? なんでわかったん」
「貴様のような野蛮人の考えていることぐらい、わからないでどうする」
少しの沈黙のあと、彼は言った。
「むう。最近の草さん、またあのコのこと考えとるやろ」
この男、見かけによらず感情の機微にめざといからかなわない。
「別段、そんなことはない」
「なんでそんな見栄張るんや。なあ、おもいだしとるんやろ」
と少し考え込んで、私は言い逃れをすることにした。
「記憶を呼び戻すのは人間の自然な営為である。確かに私は人間離れした知性の持ち主ではあるが、残念ながらいまだ一人の人間にすぎない。しからば少し昔のことを思い出したところで珍しいことではない」
「別に、悩んでるってことやないんやな」
「当然だ。私がそんな昔のことを引きずるような男に見えるか」
その質問の返答はなかった。われわれの買い物かごがレジを通る順番になったからである。


 実際私は佳菜子さんのことは引きずってなどいなかった。しかしそれは今日ジャガイモを買うまでのことである。あの頃と同じようにレジ前で悩む彼女を見て、自分が幸せだったころの事を思い出した。ガムを買う時に見せた決心の眼が、最後に二人が視線を交わし合った時のことを思い出させた。ジャガイモを買って店を出る頃には、抑え込んでいた諸々の過去が意識の上に怒涛のように流れ込み、油断をすれば慟哭してしまいかねぬほどの精神状況に追い込まれていた。
 しかしなんとか岸田に到着するまでには持ち直し、平静を保っていたのだ。そう考えていたにもかかわらず、この心優しい野蛮人に本心を見破られてしまった。正直、気が動転していた。幸い問い詰められることはなかったために、醜態をさらすことは免れたものの、郷田にはすべてが了解できたことだろう。それがとてつもなく恥ずかしく、しかしなぜか嬉しくもあった。人間は矛盾する生き物なのである。
「帰ったぞー」
私は複雑な心情を振り払うかのように大声で帰宅を告げた。そのまま酒を郷田宅に置き、森野宅へと入る。その途端ジャガイモのやわらかい薫りが鼻を撫ぜた。


 さすがに岸田の料理長である。あまりの美味しさに舌が弛緩しきってしまうようなものが今、あの厨房で練成されているに違いあるまい。
「おかえり。草さん、俺天才かも知らんわ」
「天才は私一人で十分だ」
「何を言うとんねん。ええからこっち」
と、私の冗談をマタドールのように鮮やかにかわし、彼は手招きした。
「調味料とか牛乳とか、粉末、液体のもんは加えたけど、それでもジャガイモだけでこんなにいろんなもんできるんやな。俺も自分で感動やわ」
そこには、私が想起した料理のほかに、じゃがバター、ポテトグラタン、こふきいも、コロッケなど、めくるめくポテトのエデンが発現している。
「しかたない、天才の座はお前に譲ろう」
フハハハハ、となんだか素敵な笑い声をあげて、森野は調理器具の片づけをし始めた。それを見て、私はすかさず森野の手からスポンジを取り上げた。
「私がやる。何から何までやらせては申し訳ない」
「お、そうか。ほな頼むわ」
うむ、と威厳に満ちた返事をして、私は洗い物を請け負った。
「よっしゃ、そしたら俺はゲームでもしてよ」
そう言って、彼は素敵な地上デジタル放送対応のテレビの前に、どっかと座る。私の家にはテレビデオと言われる過去の遺物のようなブラウン管テレビジョンしかないし、郷田の家に至ってはテレビがない。それに比べて、森野のそれは液晶画面である。番組表がテレビ画面上で見られた時には私と郷田は歓声を上げた。文明の進歩は偉大である。
「最近は何のゲームをしているんだ?」
洗い物をしながら問いかけた。
「今はな、『さいごの一歩』をやっとる。格ゲー。」
「週刊誌で連載している漫画のゲーム版か」
「そうそう。なかなかマニアックやねんで」


この森野という男、スポーツマンにもかかわらず、基本的に部活以外はテレビを見ているかゲームをしているかという、無類のインドア派である。昼食はたいてい近くの野山で済ますという郷田とは対極にあると言えるだろう。
 彼のテレビの趣味は、バラエティを中心としてその周りをスポーツ番組とアイドル番組が取り巻いている。ここでは彼のゲームの趣味について少しく話すことにしよう。「なかなかマニアック」と先ほど彼が口にしたが、彼がここまで言うとは、もはや常人には想像だにできぬほどのマニア性であると言える。それほどまでに彼のゲームの指向はマニアックである。
 かつてインターネットショッピングサイト「アマゾネス」で私が誤って購入したいわゆる「くそゲー」があった。私はせっかく買ったのだし、一応やってみようと考え、はじめは自分の家で一人でやってみた。しかしながら、開始二時間にしてくじけそうになってしまう。バグのせいなのかどうかは知らないが、最後までクリアしないとセーブできないという天上天下唯我独尊システムに憎々しげに従って、その二時間の努力を水泡に帰せしめ、森野家において再チャレンジを試みたのである。しかし森野の協力のもと、数時間ねばったのだが結局私は堪えられなかった。あんなにストーリーが進まないのは苦痛にもほどがある。
「もう、駄目だ」
と私があきらめて、コントローラを投げだす頃に、郷田が山から帰ってきた。
「どうした、草さん」
文字通りの山男は、私が事情を話してやると、
「俺がやったる」
と意気込んだ。
「お前には無理だ、やめておけ」
というのだが、思いのほかプライドの高いこの野人は、それでますます火がついて意気込む。
「ええから、ええから」
私が初めの時点で郷田を止めたのは、何も彼よりも私が劣っていることが露呈するのを恐れたためでも、彼を過小評価しているためでもない。彼は本当にこういった根気のいるゲームには向いていないのだ。『みんなのゴーフル』(みんなでゴーフルという洋菓子を作るゲーム。無論、対戦ゲームである)というような、全年齢対応式のものぐらいがやっとなのである。『デブ メイ クライ』というメガヒットしたアクションゲームでさえ、彼の根気が切れる前にエンディングを用意することはできなかった。そんな彼が、そのくそゲーができるとは到底思えなかったのである。案の定、彼は開始二〇分でゲームオーバーになり、コントローラを投げた。
「こんなゲーム、つまらん」
と若干不機嫌になって、それ以降は森野家にある『さいごの一歩』の単行本を読み始めた。
 ここで登場するのが森野である。彼は人が「つまらない」といってあきらめたゲームをクリアすることを至上の喜びとする男で、彼の家にあるゲームのうち、「みんなの」シリーズ以外はすべてくそゲーであるといってよい。彼は「オラ、ワクワクすっぞ」と言い出しかねない様子でコントローラを握った。彼のそこからの偉業は、もはや筆舌に尽くしがたい。尽くしがたいので、書くのはやめておこう。


 そんな彼のいう「なかなかマニアック」である。さぞかし頭を悩ますほどのクソ具合なのだろう。
「かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ」
と私は怨霊を払うように唱え、食器洗いに集中することにした。
 それから一時間ほどして、香織さん、弘毅、里美ちゃんが来て、それに加えて一年生のバーバラと卓がやってきた。総勢八名のジャガイモパーティーの幕開けである。森野の作ったものは全てが全て絶品ぞろいであった。実家では食べたことのないジャガイモオンリー料理であったにもかかわらず、みな口をそろえて、
「お母さんの味がする」
と呟いた。私などは心臓までが弛緩して、危うく心不全になるほどほっとした。森野は相変わらず適当に作ったと言っていたが、いつかその秘密を暴いてやりたい。適当に作ってこの味が出ては、プロの料理人は商売あがったりだろう。


 この日来ていた一年生のバーバラは、その名前にもかかわらず正真正銘の日本人である。しかし、何を血迷ったのか、いやむしろ冷静だった方がまずいかもしれぬが、彼女の両親は名字との語呂がいいからという理由でこの名をつけたらしい。確かに語呂はいい。しかし私はその挿話を聞いた瞬間、バーバラの両親に名前とは語呂ばかりが重要ではないということをこんこんと聴かせる必要があるだろうと判断した。しかし幸いにも彼らはバーバラの二年後に妹が生まれた時には、そのことに気付いていたようである。妹の名は妙子という。
 もう一人の卓は、絶妙の緩さで岸田の女子たちをメロメロにしている「素敵な男の子」である。香織嬢などは卓が何かするたびに、
「可愛い! 卓、可愛いよ!」
を連呼するし、酔っぱらっているときにはあわや接吻なるかという程近距離で可愛がっている。それを郷田はあまり面白く思っておらぬらしく、卓が来ると香織嬢を自分の隣から極力移動させぬようにして、卓の毒牙に(本当は主客が逆なのだが、郷田にはこう見えるらしい)香織嬢がかからぬように画策している。しかしながら、当の卓は女性にはあまり興味がないらしく、香織嬢の大人の女の魅力にも屈せずに、
「こ、困りますよお」
とちっとも嬉しそうでない顔で言っている。私が同じ状況で同じことを口にすればどうしたってニヤけてしまう。強靭な精神の持ち主であると、心から讃えざるを得ない。


 里美ちゃんはと言えば、珍しく儀式をせずに黙々と森野の料理を食べている。
「里美ちゃんは、そんなにジャガイモが好きなのか」
「はい、ジャガイモ食べると胸がほくほくします」
「しかしジャガイモだけというのはどうなんだ」
「その点に関しては私も同感です」
と、彼女は笑顔で言い放った。普通の後輩が言うと郷田に対する爆弾発言である。しかし彼女の笑顔は、周囲の男を一瞬にして懐柔する。郷田は彼女を「そんなに可愛くない」と言い張るが、たとえ山男といえども運動部である森野も含めた四人の男手を相手に怒り狂うわけにもいくまい。いくら郷田が腹を立てても、彼女の笑顔の前では無力である。

それに彼女の発言は至極真っ当だ。他の食材も解禁していれば、もっと多くのそして美味いジャガイモ料理が食えたに違いない。酔った勢いとは言え、許しがたい独断と言えるだろう。むう、とうなりながら、郷田は酒をあおった。

『岸田アパート物語』1号室

一一月三〇日.

 宙に舞ったのは皿だけではない。無論、そのうえに載っていた出し巻き卵も一回転ひねりを加えて見事頭部から着地した。憎らしいことにプラスチック製の皿は、さも私を嘲笑するかのようにふてぶてしくアスファルトに横たわっている。この予期せぬ転倒について、私には何ら責任などないというのに。私は冷静に、しかし素早く、少し形の崩れた出し巻き卵と憤然とする皿を拾い上げ、元の状態に戻し、岸田アパートへと向かった。


 岸田アパートというのは、私が住んでいるアパートから徒歩三〇秒ほどにある奇妙な構造のアパートである。もともとが一戸建ての所を各部屋を不自然に分割して賃貸にしているものだから、取ってつけたように洗面所や風呂があり、急ごしらえのその壁は恐ろしいほど薄い。そのためか家賃は驚くほど安く、それなりに広い部屋でも三万円未満となっている。
すべての部屋を学生が借りており、そのうちの二部屋に私の友人が住んでいる。私も彼ら同様学生で、このアパートの住人ではないが、ほとんど住人同然のように出入りしている。今日はその岸田アパートで、「一品持寄りお食事会」が開催される。そこに私は自慢の出し巻き卵を持参していった。

「おうい、やってるかあ」
と、飲み屋の親爺に向かってするような挨拶が、ここ岸田アパートの中の私だけの習わしである。お邪魔します、などと他人行儀な挨拶をしていては、ここではいつまでたっても他人のままだ(と思っている)。
「お、草(そう)さん」
と、私の愛称を口にしたのが、この家の主、郷田である。この男、三年次編入で入学してきた変わり種で、前に通っていた京都の大学ではろくすっぽ講義にも出ず、恋と酒と金に溺れる毎日だったという。彼は大変野性味あふれる男で、髪は不自然なほどの天然パーマ、そして長髪のもじゃもじゃ頭、たわしのような髭をそのがっしりとした顎にたたえ、その巨躯を大きく揺らしながら「がっはっは」と笑う。
 

 その野性味の秘訣を問うと、こんな話をしてくれたことがあった。すなわち、大学一年の時に好きな子に振られて泣き叫び、一か月も近くの山にひきこもったかと思うと、そこからがすごかった(と本人が言った)。鴨川沿いに並ぶカップルたちを見ては対岸から水切りを装って石を投げ、クリスマスに京都駅に聳え立つツリーを斧で薙ぎ倒し、大学構内でいちゃつく学生を見ようものなら、どんなに甘く愛し合って周りが見えなくなった恋人たちであろうと恥じらわずにはいられないほど冷やかした。私はその話を聞いて、
「ほほう」
と顎を撫でて称賛の意を表したが、腹の中では(こいつ阿呆だな)と断定した。しかもただの阿呆ではない、正真正銘の阿呆の判を押した。太鼓判である。しかし、このような男にも、その野性味あふれる風貌のほかに、素晴らしい美点があった。それはとにかく性格が鷹揚であることだ。私が恋に破れてやけ酒を飲む時も、バイト先の上司にむかついて愚痴を吐く時も、友人だと思っていた連中に裏切られたと私が喚く時も、いつもこの男は、
「そやな、そら辛いなあ」
と笑顔で酒を注いでくれたのである。私はありがたくて、しかしそんな自分が情けなくて、どうして泣いているのかは判然としないまま、とにかく声を挙げて泣いていた。そんな私をも、この男は優しさに満ちた目と頬笑みで包み込んでくれた。そんなこんなで私はこの男を慕い、こうして出汁巻き卵を持って来ている。

「今日の出汁巻き卵の出来は、上々である」
「おお、そうか。まあ、草さんの出し巻き卵は、いつだって美味い」
「当然だ」
がっはっは、と郷田が笑っていると、
「うぃーっす」
と玄関からもう一人男が入ってきた。郷田の隣に住む、森野である。この男は、私と郷田よりも二つ下の学年だが、その完成した人柄と郷田のフランクな性格から、私達にも友人に話すように言葉を使う。坊主に近い短髪のスポーツマンだが郷田のような野生味はない。インドア趣味に吹けることが多いうえに色が白く、夏場に長時間外にいようものなら真っ赤になってしまう程だ。焼けるとネイティヴアメリカンのようになってしまう私からすればむしろうらやましい限りである。
顔立ちも線の細いという形容詞がぴったりの容貌だが、運動部に所属しているためか、体は筋肉でそこかしこが異様なまでに隆起している。脱いだらすごいとはこのことかと、はじめてみたときには得心したものだ。
先ほど「完成した人柄」と言った。その所以はこの男、何しろ全く人の悪口を言わない。どうしても我慢できない時もあるようだが、それを言ってしまったあとは決まって、
「おれも、まだまだや」
と一人台所で呟いている。なんともストア主義の若者である。あまりにも成熟しているので、つい私が相談事までしてしまう始末だ。しかも必ずと言っていいほどその事柄はうまくいく。彼にはまったくもって頭が上がらない。


「香織嬢は、今日は来られんのか?」
香織嬢とは郷田の恋人である。この男、こちらの大学に入るや否や、あっという間に恋人を作ってしまった。それ以来、ツリーを切り倒そうとは思わなくなったそうだ。
 香織嬢は、とても優しい。それは何も、郷田や我々にだけではない。動物や地球にも優しい。見知らぬ人間にも優しい。とにかく愛に満ち溢れた女性なのだ。荒みに荒んだ挙句流す涙も失った私の心は、今まで何度も彼女の慈愛に救われてきた。彼女の笑顔は私のオアシスである。
「むう、七時には来るっていうてたんやけどなあ」
「何や、バイトか?」
「いや、今日はなんかの集まりやいうてた」
「なんかて、なんや」
「知らん」
そんな会話を郷田と森野がしていると、外の駐輪場に単車の停まる音がした。ドゥルルルルル。
「おお、香織や」
香織嬢は単車に乗る。しかも「ナナハン」である。「ナナハン」という言葉の意味を私はよく知らない。しかし、とにかくデカイ単車の事を指すことだけは心得ている。そして、香織嬢はこのナナハンに颯爽とまたがる。その姿は中世の戦乙女(ヴァルキュリア)のように雄々しい。腰まである長い黒髪。彫刻を思わせる鼻梁や鋭利な顎のライン、そして知性を満々とその目じりにたたえる一重の瞳が、文句なしに美しい。彼女は郷田のような野蛮人にはもったいないほど、魅力的な女性なのだ。
「どんな天変地異が起きれば、お前のような野蛮人とあんな女性が付き合えるのか。未だに腑に落ちん。これは由々しき問題である」
「そら、お前、俺が男前やからや」
郷田はそう言って「がっはっは」と笑う。この正真正銘の阿呆の口にスリッパを突っ込んでやろうかと思うほど憎らしい笑いだったが、紳士的な私はそこで自らの奥底に湧き上がる憎しみを、怜悧な理性で持って抑え込んだ。流石私である。


 野蛮な憎しみという感情を、散り散りに引き裂いて排水溝に流したあと、私はおもむろに出汁巻き卵を水道で洗い始める。無論、付着している砂利を落とすためだ。バイクを停めて玄関から入ってきた香織嬢が、この私の行為に疑義を呈した。
「あれ、草さん、なにしてるの」
「出汁巻き卵の仕上げです」
「仕上げ?」 
「そうです。私は油を多くひかないと、きれいな形にできないのですが、実際は油は少ない方がうまいのです。だからこうして仕上げに油を洗い流して……」
「草さん、まさか落したんとちゃうやろな」
と、森野が口をはさむ。そのはさまれた口は、私の胸に突き刺さった。
「……なぜわかる」
「だって、いっつもそんなんしてへんやん」
「あら草さん、嘘つきなの?」
ああ、香織嬢にも私のウソがばれてしまった。
「まあ、洗ったら食えるやろ。草さんの出汁巻き卵、美味いし」
と郷田。
「そやな」
「嘘なんかつかなくても、洗えば大丈夫」
森野、香織嬢、両氏も賛同の様子である。この寛容さこそが岸田アパートの面々である。
「すみませんでした」
私は頭を掻いて、素直に謝った。

 


「弘毅、どうやらふられたらしいで」
「え、なんで?」
「なんでって言われても……」
「まあ、あれじゃあねえ」
森野の作った絶品の肉じゃがをつつきながらそんな会話になった。弘毅(こうき)というのは岸田アパートによく出入りする男である。学生団体での活動に精を出す二年生で、なんとも澄んだ眼の持ち主だ。彼の魅力はそのまぶし過ぎるぐらいの笑顔である。そして、その笑顔を振りまきながら、何のためらいもなく世界を幸せにしたいんですと言えてしまう純粋さも備えている。
 しかし彼には大きな欠点があった。極端に女に惚れやすいのだ。一年生の時、弘毅は彼の笑顔よりもまぶしい笑顔をもった女の子に、わかりやすく惚れてしまった。そこまではまだ良かったが、誰もがなぜと思わざるを得ないほど、突拍子もないタイミングで告白し、衝突実験の車のようにへしゃげてしまったのだ。


 確かにその女の子は見目麗しいという形容詞がぴったりな容姿をしていた。しかしながら、そのわかりやすく美しい外見とは対称的に、恐ろしく複雑怪奇な性格の持ち主でもあった。
 郷田の後輩たちも含む岸田に集まった飲み会の席で、皆が大いに酒池肉林を享楽しているなか、彼女はただ一人小さな紙片に奇妙な絵を黙々と描き、淡々と壁に貼っていく。あるいは黙々とケトルでお湯を沸かし、そのお湯を飲み続ける。もしくは郷田の愛読書である中原中也の詩集から「汚れちまつた悲しみに」を探し出し、小さな声で朗読をしてほくそ笑む。
そのような様子だから、彼女はさぞ飲み会がつまらないのだろうと思っていた。しかし飲み会を開くたびに毎回欠かさず参加し、そのたびに酒池肉林の中、同じように奇妙な儀式を繰り返しているので、どうやら彼女は彼女なりに愉しんでいるのだろうと、私たちは了解していた。
 彼女を口説き落とすのはよほど女性慣れした男でなければ無理だろう。弘毅のような純粋漢には荷が重すぎた。箸にも棒にもかからぬままにフラれてしまって当然だったのだ。


 とはいえ弘毅に非がなかったわけではない。彼のアプローチの仕方がとにかくまずかった。君はすごいね、美しいねとあまりにもストレートな言葉で、しかも何の文脈もなく口説き始めるものだから、恋愛技術に造詣のない私で彼の口説き下手具合に唖然としてしまった。そんな彼に対しての、彼女の対応がまたすさまじかった。
「気持ち悪いです」
の一言である。それは弘毅の精神が切り裂かれるなどという程度を超えて、一瞬にして灰燼に帰したかと思われるような神々しさすら感じる一言であった。


 その場で慰めるわけにもいかなかった我々は思い思いの気持ちの整理を行った。私は九六度の酒をストレートのままマグカップ一杯分あおり「ウォシュレット!」と叫びながら奇怪な踊りをはじめ、郷田は奇声を発してアパートの裏の草むらに駆けていった。森野は猛然と筋トレを始めてプロテイン代わりにウィスキーを流し込み、香織嬢はデスボイスで叫びながら狂ったように首を上下に振り、飲酒運転などどこ吹く風で単車にまたがってど走り去っていった。それほどの破壊力だったのである。
 そのような奇行が飛び交う中でも、彼女は相も変わらず奇妙な絵を描いていた。ツワモノとしか言えまい。さて弘毅はどうしたか。意識朦朧としていた私の記憶が正しければ、彼は一〇分ほど呆然と絵を描く彼女を見つめたあと、何の前触れもなくこう言った。
「君が好きなんだ。付き合ってくれ」
弘毅が言い終わるか終わらないうちに返事が来る。
「結構です」
結構です。イヤですでもなく、ごめんなさいでもなく、結構です。この他人行儀な距離感は一人の不毛な恋にもがく青年を完膚なきまでに叩きのめす。すなわち弘毅は手元にあった無謀なほどのアルコールを摂取したのち、意味不明の言葉を発しながらトイレにかけこみ、便器を抱いて眠った。きっと彼の悲しみは、全て便器が洗い流したことだろう。
 しかし何でもかんでも便器に洗い流してもらうのも考えものかもしれない。弘毅はその半年後、岸田に来てこうのたもうた。
「僕、好きな人できちゃいました」
その時の彼は、ただでさえ赤い顔がさらに赤くなっており、私は、
「よかったではないか。ほら飲むぞ!」
と彼の恋を讃えながら、その人参のような顔と学ばない彼の理性を笑っていたものである。酒を飲んで朝鮮人参のようになっていく彼に根掘り葉掘り聞いていると、どうやら今度は比較的普通の女性に惚れたようであった。


 ところが、彼は同じことを繰り返してしまう。そう、脈絡のない褒め言葉の乱発だ。曰く、君は立派だね、可愛いね。便器は彼の苦い思い出から学んだものすら流してしまったのだと思われる。その結果、彼は告白する前に撃墜されるという、屈辱以外の何ものでもない結果を突き付けられてしまったそうだ。
「あれをやってうまくいくのなんて、よっぽどの男前よね」
「そやなあ、まさに俺のような男やな」
「黙れ、この阿呆め」
「弘毅は純情すぎなんやって」
「ちょっと話聞きたいわよね。今から呼べる?」
「ああ、呼ぼか」
そう言って森野が電話を取り出した。すると、今すぐ向かう、という返事であった。それを受けて、
「よしっ」
と言って香織嬢が近くのスーパーに酒を買いに行った。私と郷田はふと目を合わせ、静かにうなずき、おもむろに部屋を片付け始める。めったに自分からは酒の買い出しなど請け負わない香織嬢が、率先して買い出しに出た。こういう時の香織嬢は飲む。そして暴れる。その準備をしているのである。以前に一度、酔っぱらった香織嬢が突如マイケル・ジャクソンのダンスを踊り始め、
「ポウッ」
という叫び声と同時に、マイケルのハットさながらまだ中身の入っているグラスを投げたことがあった。その先に森野の新品同然のパソコンがあったため、エライことになったのである。自棄を起こした森野は猛然と郷田に飛びついて接吻した。それを見た香織嬢は自分の犯した過ちなど意に介せず、
「私もー」
と叫んで、郷田に接吻を試みた。そのまま目に余る様相を呈しかねない流れだったので、私は決死のフライングクロスチョップを香織嬢にぶちかまし、彼女が将来羞恥の念に駆られて「死んでしまいたい!」とならぬようにしたのである。次の日、
「なんだかわき腹が痛いのよねえ」
と呟く香織嬢の横で、いやな汗をかいた(が、私は自らの偉業にたいしての誇りは失わなかった)。それから香織嬢の酒乱が予測されるときは、貴重品をまとめて森野の家に移すことにしているのである。


「ほんま、弘毅の惚れやすいのも考えものやな」
我々がせっせと貴重品を運び入れる間に、自室の台所で酒の肴を拵えている森野が言った。この森野の肴は彼の肉じゃが同様絶品である。彼自身はおおざっぱに作っていると言い張るが、どう考えても何か巧妙な仕掛けがあるに相違ない。なぜなら彼の作るそれは、「おふくろの味」だからである。脳内の諸々の麻薬が一気に解放され、体中が弛緩する、あのなんとも懐かしくやさしい味。彼の作る料理の虜になって岸田に通う者も少なくない。それほどの懐柔力である、失恋後の弘毅などその聖母のごとき優しさの前に、突っ伏して嗚咽するほかあるまい。その情景を想像して、想像の中の弘毅からもらい泣きしそうになっていた私の背中を、郷田がバシッと叩いてこう言った。
「まあ草さんもよう似たもんや。がっはっは」
と、心優しい豪傑は、どストレートに私の傷口を切り開いた。
「え、そうなん? 俺その話知らんわ」
「そらそうや、森野と草さんがまともに仲良うなったん、最近やからなあ」
「そんな前の話なんや」
本当に涙が出そうである。
「も、もう、よかろう。今日は弘毅のための会なのだから」
「せやな、その話はまた今度や。」
「気になるなあ、それ」


 私はちょうど一年半前、すなわち三年の春、ある女性に恋をした。便宜上、佳菜子(かなこ)さんとしておこう。彼女はもはや人間ではないのではあるまいかと思うほどの愛らしい笑顔の持ち主だった。私などは彼女が人間ではなく天使なのだと確信していたほどだ。肩より少し長い黒髪、華奢なように見えてわりあいしっかりした骨格、天上の楽隊が喉に常駐しているに違いない美しい声。どれをとってもそこらに転がる路傍の石とは桁違いの女性であった。なぜそのような女性に私が謁見できたのか。それは私にもわからない。わからないが、客観的事象を述べるとすれば、彼女から私に話しかけてきたのである。なにも、
「あまりじろじろ見ないでください、気味が悪い」
といった、あの昔日の弘毅の想い人のような爆弾を投下してきたわけではない。彼女がそんなことをするはずもない。


 私はよく大学の図書館にこもることがあった。時には江戸期後半において、なぜ本居宣長ようなナショナリストが日本に発現し、その潮流が大きくなるにつれて「明治維新」などという大転換にまで発展していったのか、その背景や如何にということが気になって、延々とメジャー・マイナーかかわらずその時期の日本史の文献を読み漁っていた。また或る時は、一九世紀イギリスと二〇世紀初頭の日本の状況に見られるあからさまな符号に驚き、その類の本を貪り読んでいた時期もあった。ちょうど私が昆虫が本気で人類を滅ぼしにかかった場合に、いったい人類は何日間耐えられるのかを試算しようとしている時期と、佳菜子さんが資格の勉強をしている時期と重なったのが、ちょうど一年半前だった。
 その日は、朝から試算のための参考文献を読み始めたところ、あまりの蟻の強さに驚嘆して夢中になってしまった。昼食抜きで活字世界に狂乱していると、知らぬ間に日が暮れていた。そのことに気付いた途端猛烈に空腹をおぼえた私は、おもむろに立ち上がり、財布を尻のポケットにねじ込んで、階下へつながるエレベーターに乗り込んだ。今日の食堂の特別メニューは何であろうと、よだれを口内にたんまりとたたえながら図書館の出口に向かっていると、そこで私は何者かに呼び止められた。声の主は佳菜子さんである。
「あ、あの……」
思えばあの控え目な態度も、私を魅了したのである。
「何でしょう」
と、必死に冷静さを装ってはいたが、内心は凄まじい内的葛藤の嵐が吹き荒れていた。ひょっとして自分でも知らぬ間にこの美しい女性の持ち物を盗んでいたのだろうか、いやそんなはずはない、私はずっと本を読んでいたのだからそれはない。もしや蟻の仕業か?いやひょっとするとこの女性が蟻なのか?ついに彼らの侵略戦争の火蓋が切って落とされたというのか?などと意味不明の自問自答のくり返しが、渦を巻いていた。しかし、彼女の口から発せられた言葉は、私の全く予期せぬものであった。
「今から、お食事、ですか?」
「は、はあ、まあ」
「ご一緒しても、よろしいですか?」
「え、ええ、かまいませんが……」
このとき、「ええ」の部分が裏返った。
「ありがとうございます」
彼女はあの天使の頬笑みを私に向けた。と同時に口内に満々とたたえられていた唾液の大海が、干上がっていくのを私は感じた。
 彼女は食事の席でよく話した。そのおかげでどうして彼女が自分に話しかけたのかもぼんやりと理解できた。なぜぼんやりなのかと言うと、別段彼女がその説明を怠ったからでも、彼女の説明能力に不足があったわけでもない。ただ私の思考が停止していたのが原因である。久しぶりにメニューに登場した大好物の「マグロシャキシャキとろろ丼」という、まぐろと長芋の丼ぶりを購入したのにもかかわらず、ほとんど味などわからなかった。
「私は、あなたに興味があるのです」
と、顔を真っ赤にして(その愛らしさは人参弘毅とは雲泥の差であったことは言うまでもない)彼女はそう言った。
「お付き合いして頂きませんか」
ああなんだか見かけによらずにエキセントリックな言動をする女性だなあ、と思った。そういえば、やはり人は見た目で判断するべきではないぞ、と思ったことも覚えている。私はそのような電撃的な申し出に対して、
「はあ」
という煮えきらない返事をした。しかしながら彼女の脳髄は、このなんとも滑稽な返答を自分なりに素敵に解釈し、そのおかげで、めでたく私には恋人ができたのである。


 私は彼女と様々な場所に行った。彼女はいつも私が行きたい所を聞いてくれ、そして私の答え通りの所について来てくれた。それは大抵が書店か図書館であったが、時にそれは居酒屋になった。書店に行くと彼女は始終私のあとを追いかけた。私が何か本を手に取ると、
「どうしてそれに興味をもったのですか」
と尋ねてきたものである。それに対して私が、これを読めばダニの真の強さが理解できるのですなどと説明すると、彼女はその美しい眼をキラキラとさせて、いつもこう言った。
「なるほど、素敵です」
そのたびに私は、耳の後ろがくすぐったいような感覚に魅惑されて、思わず頭を掻いてしまうのだった。今思えば、彼女とともにいた時間が、私がこの世に生を許されているうちで最も幸せな時間だったのかもしれない。そう思うと、今でも私は馬鹿な事をしたと猛省し、河川敷の土手を夕日に向かって走りながら叫びたくなる。


 二人の関係を終わらせたのは、何を隠そう、私だったのである。

2017年は「本を作るお手伝い」をさせてもらえるようになった年。

2017年が終わる。今年もなんとか生き延びた。何があったかとか、何を思ったかとかは忘れている部分も多いのだけれど、少なくとも仕事においては躍進の年だったと言えると思う。

 

「こたつライター」、こたつを出る

僕は基本的にいわゆる「こたつライター」だ。こたつライターというのは、こたつに入りながらにして原稿を書いてしまうライターを指す。

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これは何も「それがすごい」という話ではない。早い話が「まともな取材なしで原稿書いちゃう奴ら」という、取材ライターからの蔑称である。

しかしかつて「最高品質のこたつ記事を書く」という名誉なんだか不名誉なんだかわからない評価をされたことのある僕から言わせてもらえば、質の高いこたつ記事を書くのは、質の低い取材記事よりも大変だ。

専門家や経験者に「一次情報」がもらえる取材記事の方が、よほどラクに書ける。こたつライターもバカにはできないと、いやバカにして欲しくないと思う。

 

しかし今年、僕はたまにこたつから出るようになった。つまり面識のない人のところに取材に行って話を聞いたり、電話やスカイプ、メールで取材をして仕事をするようになったのだ。

その端緒になったのは、僕の趣味である筋トレがもとになった「スクワットアドバイザーが語る!現代人にとっての「最強のスクワット」とは?」という記事だった。いまやグーグル検索で「スクワットアドバイザー」と入れると、取材対象者ご本人の公式HPよりも上位表示される記事になっている。実際渾身の1本だけあって、今読んでも「健康のためのスクワットならこれで十分」という良記事に仕上がっていると思う。

しかしこの記事のあと、もう1本友人に取材をした記事を書いたが、そのあとは力尽きてしまってしばらく取材をする気力が湧いてこなかった。途中電話取材や、知り合いへの取材をしてみたが、「やっぱり取材記事はタフだな……割りに合わない」という感覚があった。こう考えるには色々な要因があったのだけど、ここでは伏せておこう。

とにもかくにも、「少し早いかも」と思ったのだった。

 

ブックライティングという仕事とその魅力

ところが転機が訪れる。秋頃にある出版社から「ブックライターやってみません?」という話をもらったのだ。

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「チャンスを掴むことはしないけど、受け入れるくらいはする」が信条の僕は、特に深く考えず「やってみます」と返事をした。連絡をくれた編集者の方は、僕がライターを始めたての頃に書いた2冊の本の存在を知り、「この人ならなんとかやってくれるかも」という目算を立てたらしい。

いやはや何がどこにつながるかなんてわからないものだと思う。つながるだろうと思っていたことがつながらないこともザラにあるし。

 

この話が秋からこの年末にかけて実際に進行しているのだが、やっぱりちゃんとした出版社ってすごいんだなと思わされっぱなしだ。

 

「行き当たりばったり」じゃない

企画がしっかり練られているから、取材途中で「実は書くべきネタがありませんでした」みたいな事態にならない。行き当たりばったりの多いウェブとは大きな違いだ。もちろん行き当たりばったりライティングも疾走感があって楽しいが、「書くべきネタがない可能性」を考えるとあまり時間と労力が割けない。

対して「ちゃんと掘ればネタが出る」とわかっていれば、時間と労力を安心して割ける。この違いは大きい。「真っ当な記事を書ける」というのは、ライターとして誇らしいことだからだ。

 

取材の経験値を積ませてもらえる

出版社の名前と担当編集者の力を借りながら取材をさせてもらえる。これまでに計3回、2人の取材対象者に取材に行ったが、どの取材でも担当編集者が同行してくれるうえ、取材時に話が行き詰まったら助け舟を出してくれる。この安心感は凄まじい。

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ウェブメディアの中には「取材してくれるのはいいが、うちの名前は出してくれるな」というめちゃくちゃを言うところもある。「この話をどこで使うかはわからないのですが、お話を聞かせてください」と言って、誰が話をしてくれるというのか。バカか。この点において「○○出版社」のご威光を拝借できるのはありがたい。

また僕は全く取材に慣れていないし、大抵の場合取材される側も取材され慣れていない。最悪の場合は取材があさっての方向に向かって流れていってしまう危険さえある。そこで編集者が助け舟を出してくれれば、ものすごく助かるのだ。決して受け身で取材に行っているわけではないが、どこか企業のOJTを受けているようでもある。

取材は質も大事だが、場数はもっと大事だと思う。その意味で場数を踏ませてもらえるのは、今後のライター人生に大きなメリットがあるだろう。

 

いろいろ報酬がすごい

物理的・精神的な報酬がすごい。物理的=金銭的な報酬に関しては、売れっ子のブックライターとかに比べれば雀の涙みたいなものなのだろうが、こたつライターとしてコツコツ毎月の収入を確保してきた僕としては、「この労働時間でこんなにもらえるのか」と驚かざるを得ない。

もちろんそのぶん取材の技術や労力が求められるし、文章のクオリティについてもウェブとは比べものにならないくらいこだわりを求められる。

 

ただ、ここまで書いてきたように、ブックライティングや取材のできる取材の最大の魅力は「真っ当な記事が書ける」という点にある。

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真っ当な記事を書くのは楽しい。誰にも後ろめたいことがないから、迷いなく書ける。楽しく書けば、文章に熱が乗る。熱が乗ればさらに楽しくなるし、取材対象者も「じゃあこうしてみようよ」みたいにノってくる。 こういう文章の書き方は、本当に幸せだと思う。

もちろんウェブライティングでも、こうした幸せな仕事はある。ドーラの仕事なんかはその最たるものだろう。ネットクリエイターを紹介すると、ときたま本人とかそのファンの方がその記事を読んでくれて感謝してくれたりもする。

 

 

このときの幸福感ったらない。例えるなら、大好きな恋人のことを考えて選んで贈ったプレゼントで、恋人が大喜びしてくれた時と同じくらい、「報われたな」という幸福感がある。

こういう精神的な報酬は、誰かをこけおろす記事や不当に貶めるような記事、あるいは後ろめたさのある記事を書いていたら得られないだろう。大半が一次情報で構成されるブックライティングは、このような精神的報酬の面でも、かなりのメリットがある。

 

来年は頑張るぞ

要約すれば「ブックライティングはいいぞ」ってことだ。ただ、まだ1冊分の仕事も終えていないので、今後ブックライターとしての仕事が続いていくかはこれからの出来次第ということになる。

まさにチャンス、正念場だ。来年は体づくりや登山、サイクリングを楽しみながらも、1月1日からしっかりと仕事にも打ち込んいきたい。