ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

山は「そぎ落とす」場所

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21日の土曜日。大阪河内長野市岩湧山(標高約897.7m)に登ってきた。頂上には一面のススキの原が広がっている、とても美しい山である。

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アクセスも比較的良く、今回はメジャーな紀見峠駅から滝畑ダムへ向かうルートを選んだ。同行者は「いつもの」幼馴染。2人で登るのは9月の須磨アルプス以来である。ぺっちゃくっちゃと喋りながら、青い空の広がるなかをゆっくりとしたペースで登った。

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山というのは基本的には何もない。草木が生い茂り、きれいな空気があり、山によっては清澄な川が流れている。動物たちの息遣いも聞こえ、この季節なら踏みしめる落葉の音がある。しかし、都会のレジャー施設のような派手派手しさもなければ、スペクタクルというのは少なくとも低山では皆無だ。食事も僕のような素人では現地調達は難しく、電波が通じていない山も多い。つまり、基本的に色々なモノ・コトが「ない」場所なのだ。

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すると僕たちは食事や着替えなどを始め、「必要なもの」をザックに詰めて山に登ることになる。これを何度も繰り返していると、日頃どれだけ自分が「さして必要のないモノ」を持ち歩いたり、所有したりしているのかがわかる。モノだけでなく、コトについても同じことが言えるだろう。街の中で住んでいるときは気になる「人の目」や「人の意見」、踏ん切りのつかないあれこれの悩み……色々なコトが「さして必要のないコト」だということが明らかになるのだ。

「自分はこれまでなんと無駄なことに時間を費やしていたのか」と笑えてしまうほど、僕たちは街の中で「無駄」を積み重ねている。

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僕はそういったモノ・コトを山ですっきりと削ぎ落としてくる。ゴミは持ち帰るけれど、無駄は捨ててくる。だから山から下りるといつもスッキリした気持ちになって帰ってくるのだ。山はいまや、何かと無駄なコトを抱えがちな僕にとって、なくてはならない生活の一部になっている。

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