ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

「自分に期待しない」の希望論

自分に期待していると、「その期待が裏切られたら」と不安になってしまう。自分の期待を裏切るのは自分しかいないから、誰のせいにもできない。逃げ道がないというのは、「逃げる」を信条とする僕からすれば恐ろしい事態だ。だから僕は「自分に期待しない」ことにした。正確には、自分への期待が行動を制限するレベルで過度にならないように注意することにした。

これは一見消極的だが、僕にとってはかなり希望に満ち溢れた考え方だ。というのもこの考え方は「加点方式」だからだ。「できる自分」から「できない自分」に向かう減点方式とは違い、「できない自分」が前提なので何ができてもポジティブになる。この考え方が身につけば、もっと生活の幅も仕事の幅も広がる気がする。

以下ではこの考え方に至った経緯や、展望をメモしていきたい。


1月はかなり体調が悪く、なかなか仕事にとりかかれない日が続いた。この時僕は「自分ならできるはずだ」と思い続けていた。「これまでできてきたんだから、できるはずだ」と。しかし頭は膨張したように重く、思考も全くまとまらない。ストレッチだ筋トレだと体を動かしてみるが、どうにもならない。「自分ならできる」という期待は見事に裏切られ続けた。

この状況の突破口を開いたのが「おいおい、お前、自分に期待しすぎとちゃうか?」という内なる声だった。つい3年前の僕はほとんど寝たきりで、自分で自分を「穀潰し」などと蔑み、毎日死んだように生きていたのである。その頃の僕は「自分に期待しすぎていない」時期で、楽しいという感情さえごく稀にしか抱けなかった。

それが今では毎日の基本が「楽しい」になり、年収は事務員時代はもちろん、ブックオフ時代も上回るようになった。1年目より2年目、2年目より3年目の方が楽しさも収入も増えている。

しかしだからといって3年前の自分がすっかりいなくなったわけではない。それはこの1年でも何度も実感してきたはずだった。にもかかわらずその事実を忘れ、「仕事をサクサクこなせて、評価もされている自分」にすり替えようとしていたのだ。だからこの自分像と今の自分との乖離に苦しむのである。

この苦しみを取り除き、もっと安定して「楽しい」でいるためには、常に自分の実像をとらえ続けている必要がある。お調子者の僕はすぐに「神経の細い自分」を「仕事をサクサクこなせて、評価もされている自分」にすり替え、ヒーローになりたがる。これを戒め、堅実に「自分に期待しない」で生きる必要がある、というわけだ。



この考え方が「希望」だといったのは、僕が今月から取材記事を本格的に書き始めたことが関係している。僕は自分に期待しないことで、この大きな大きなステップを踏み出すことができた。「どうせできないんだから、やってみればいいんじゃない?できなくても、仕方ないよね」という、投げやりな前進ができたのだ。本当は「絶対できる!できるできるできる!やってやるう!」くらいアツい姿勢の方が格好いい気もするけど、まあ、仕方ない。

僕は良い意味でも悪い意味でも「優等生」なので、とかく失敗が怖い。取材対象に依頼をかける前から「失礼があったらどうしよう」「二度とこいつとはあいたくないとか思われたらどうしよう」と気に病み、依頼をかけるのが怖くなってしまうほどである。優等生のままだとこの不安のタネを一つ一つ潰していって、それがなくなるまで行動できない。しかし学生時代と違い、今の僕にはそれを全滅させる気力がないので、結果行動せずにうやむやにしてしまうのだ。

しかしライターとして次のステップに進むためには、僕の場合「取材」が必要不可欠だ。取材記事が書ければ単価も上がるし、書く記事のクオリティも跳ね上がる。当然書いていて楽しくなる。楽しくてやりがいのある仕事で、今よりたくさんの報酬が手に入れば、人生のクオリティはもっと上がるだろう。

さらに「生き残る」という意味でも「取材」はなくてはならない技術だ。ネットで情報収集をするだけのコタツ記事は、ウェブメディアが淘汰されていけば近い将来不要になってくるだろうが、取材記事だけはなくならない。いくらインターネットや検索エンジンが発達しても、「特殊な情報を持っている人」と「その情報を欲しいと思う人」をダイナミックにつなげるのは人間の技だからだ。「取材」はその中でもかなり強力な武器である。だから「書く」ことしかできない僕にとって、生き残るという意味で取材は必要なのだ。だから行動しなければならない。

これを阻害していたのが「自分への(過度な)期待」だった。そしてこの障害物を排除してくれたのが、「自分に期待しない」という考え方だったのだ。



この文章を書いているのは2/4だが、この記事を公開する2/20の前日2/19にはすでに取材のスケジュールが入っている。今から緊張で吐きそうだが、自分に期待しない姿勢で、僕らしい取材ができていることを祈っている(弱気)