ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

ちょっと未来の自分に伝えたいこと。

9月は季節の変わり目だ。秋が来て山の季節になるのは喜ばしいが、やはり季節の変わり目は辛い。「季節性うつ」という言葉があるくらい、季節の変わり目になると気分が落ち込み、体がだるくなり、何もかもがうまくいかなくなる。ここ最近の天候不順は、僕をこっぴどく打ちのめしてくれた。

 

しかも今回はそれに追い打ちをかけるように、悪いことが重なった。

七月に10kmマラソンを完走して味をしめた僕は、7〜8月にかけて走り込みまくった。その結果8月の半ば頃には、中学生の頃に派手に痛めた右膝裏十字靭帯の古傷が開き、日常生活にも支障が出るようになってしまう。

 

走るのは一旦やめて、ジョギングの計画は見直したものの、僕の病的とも言える運動欲求は止まらない。筋トレを1時間たっぷりやった後に、兄のお下がりのエアロバイクを1時間漕ぎ、2〜3kmならと軽いジョギングをやる。

それでもが痛むので、エアロバイクを1時間半に増やしたところ、今度はエアロバイクの座面でお尻の筋肉を痛める。

エアロバイクもできないとなれば、HIITと呼ばれる高強度有酸素運動に力を入れ、挙句慣れないディップスという種目で手首を痛めてしまった。

手首は仕事道具でもあるので、さすがに無理はできない。泣く泣く手で重りを扱い種目を全てストップし、脚と腹だけのトレーニングに切り替えざるを得なかった。これが9月頭のことだ。

 

ここまでですでに自分のせいで大好きな思い切りトレーニングができなくなって落ち込んでいて、さらに季節性うつの影響で気分はどん底だった。しかし先日さらに追い打ちをかける出来事がこの身に起きた。

耳の聞こえが突然悪くなり、水が詰まったような感覚になったのだ。あわてて耳鼻科に行くと「右耳低音障害型難聴」とのこと。治療が遅れると聴力が戻らない「突発性難聴」の可能性もあるとして、まずはそれに対応する治療をするとの診断だった。

 

泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。耳は聞こえが悪いだけでなく、換気扇やバイクのような空気を強く震わせるものの音は、鼓膜がたわむような感覚になってめまいがする。ただでさえ落ち込んでいる気分に、さらなる追い打ちがかけられる。なんということだ。

やるべきことはわかっている。とにかく今は静養だ。しかしこの文章を読み返すかもしれない未来の自分に、ここで伝えておきたいことがある。それは以下の2つだ。両目を見開いてよく読めよ。

 

・季節の変わり目に向けて事前の準備をしろ。仕事量を調節し、トレーニング量を控えて体調を万全にしろ。3月、9月、12月あたりが鬼門だ。でないと毎日生きるのが辛いぞ。この文章を読んで思い出せ。

 

・生き急ぐな。またどうせ筋トレやら山やら自転車やらジョギングに打ち込みすぎて、体のどこかが痛いんじゃないのか。それはお前の体がまだそのトレーニングに耐えられないという証拠だ。『プリズナートレーニング』の思想にしたがって、ゆっくり堅実に鍛えていけ。そうすれば必ずもっと動けるようになる。人生はうんざりするくらい長いんだ。急いで強くなっても体がもたない。登山のように一歩一歩踏みしめるんだ。

 

声に出して読め!脳裏に刻め!そして毎日笑ってすごすんだ。

新しいステージへ、行こうか……やめとこうか……(弱気)

僕は基本的に引っ込み思案である。うつ病はそれにさらに拍車をかけた。一度引きこもってしまうとコミュ力が面白いくらいになくなって、話せる・話せないとかではなく「話すのめんどい」「話したくない」になってしまう。結果、こんな「ひとり部」というブログを立ち上げ、何でもかんでもひとりで遊んでしまうのである。

 

趣味や仕事で感じる「頭打ち感」

しかし仕事にしろ、趣味にしろ、そろそろ限界というか頭打ち感が否めない。例えば筋トレはほとんど自分の中ではカラダが完成してしまって、新しい理論とかメソッドを取り入れようという気概がなくなってきている。相変わらずトレーニングは楽しいが、質をこれ以上高めようという意欲があまりないので、結果量を増やす方向に行ってしまう。

1.5時間筋トレした後、HIITという高強度有酸素運動をやって、そのあとヘロヘロになりながら走りに出るか、1時間エアロバイクを漕ぐか……とかやっていたせいで、古傷の膝が痛むようになり、今は手首も痛くなってきた。オーバーワークの典型だ。なんとかしないといけない。

山や自転車も同様だ。いまの遊び方に十分満足してしまっているので、新しい山域に行こうとかルートを開拓しようとか、そういう意欲が薄れている。それよりも慣れ親しんだ山域をテコテコ歩いたり、以前走った河川敷に行きたいなとか、保守的な方向に気持ちが傾く。

仕事の停滞加減は……書くと気分が重くなるのでやめておく。

 

「多分大丈夫」なのはわかってるんだけど

僕の趣味は本来コミュニティに参加すれば、交友範囲が広がったり、深まったりするタイプの趣味が多い。真剣に筋トレしている人は少ないから、そういう人たちは新参者や初心者にめちゃくちゃ親切だ(時に親切すぎるほどに)。山を登る人たちは僕の好きな山の場合おじいちゃんやおじさんが多いので、たいていはベテランだし、優しい。自転車についても僕のランドナーという車種に乗っているのはおじさんとかおじいちゃんが多いので、この人たちも詳しくて優しい。筋トレをする人にせよ、若くして僕みたいな山や自転車の遊び方をしている人は少ないので、たいていみんな優しいのである。

 

だからコミュニティに参加すればいいのだ。きっと仲良くしてくれるし、学ぶところもたくさんあるだろう。もしかするとそこから仕事につながることだってあるかもしれない。ジムのオーナーから「うちのメディアの記事書いてみる?」とか、なんなら「メディア立ち上げたいんだけど」みたいな話をくれてもいい。

 

でもやらない。ついつい自分の世界の心地よさに戻ってきてしまう。自分勝手に行動することに慣れすぎているのだろう。それはそれで僕には良いことだと思うのだけど、明らかにそれが原因でいろんなことがマンネリ化している。適度な刺激が欲しい。

 この俺が、ディズニーランドに行く、だと…?

なぜこんなことを書いているのかというと、先日恋人と秋の旅行の計画を立てていた時に、僕が提案したプランが見事に「いつも僕がやってることを一緒にやろうよ」だったのである。いわく滋賀のサイクリング、京都のトレイルコースで紅葉狩り立山連峰散策。見事にほんわかのんびりプランばかり。

これではダメだと「何かある?」と聞いたら、「ディズニーランドがこの期間、比較的空いてるらしいんだけど」との回答だった。僕は渋った。

 

何を隠そう、僕はテーマパークにいい思い出が全くない。20年以上前に祖父に伴われて家族で行ったとき、昔から刺激の強いことが苦手だった僕は祖父に半ば強制的にスペースマウンテンに乗せられ(しかもひとりで)、見事にテーマパーク嫌いになった。小中高と修学旅行は見事にテーマパークで、大学の卒業旅行っぽいものも富士急ハイランドだったが、修学旅行に全て「ベンチで過ごす」を貫き通し、富士急ハイランドでは富士山美術館で1日を終えた。

そんな僕が、あのトラウマの発端であるディズニーランドへ?狂気の沙汰ではないか。あんなテーマパークの権化みたいな場所、怖い。

 

しかし実は僕はこのあいだの4月だったかに、生まれて初めてユニバーサルスタジオに行っている。これも恋人に伴われてだった。するとどうだろう、想像を絶するほど楽しかったのである。僕はこれを全て恋人のおかげだと思っていて、彼女が僕の苦手な絶叫系にほとんど行かずに、建物やキャラクターの造形を楽しめるところにばかり連れて行ってくれたのである。ユニバーサルスタジオの前CEOの本を2冊ばかり読んでいたのもあり、素晴らしい1日になった。

このことがあったので、ディズニーランドも「もしかすると」と思った。そして僕が提案した秋の京都散策のネット記事を見て、それが「いつもの自分の殻」を具現化したもののように見えてぞっとした。「これはチャンスなのだ」そう感じた。

 

「たかだかディズニーランドじゃないか」「ディズニー行くの!いいなあ!」という人も多いだろう。しかし僕にとって、ディズニーランドに行くというのは、凄まじい挑戦である。しかも恋人の体力とディズニー欲を考慮して、二泊三日のうち二日間を使ってディズニーランドだけを回るというプランになっている。自律神経は昂ぶり続け、1週間は元に戻らないだろう。それでもきっと彼女となら、なんとか楽しみ抜けるはず。そういう希望があるから、挑戦するのである。

 ディズニーがきっかけで 

当然、このディズニー旅行が仕事に繋がることはないだろう。だいいち僕がディズニー紹介なんかしたら、わけのわからん記事になるに違いない。しかし僕にはある期待がある。それは「ディズニーに行けたんだから、他のビビってることも挑戦できる!」という自信を得られるのではないかという期待だ。目下のところ「実現したいなあ、やめとこうかなあ」と思っているのは以下の2つ。

 

・会員制ジムに通ってみる、あるいは地元にあるパーソナルジムに行ってみる。

モンベルが主催している登山会に行ってみる。

 

さて、どうなるやら。

クラウドソーシングで「なんか嫌な予感がする」クライアントの特徴9選

 

更新が二日も遅れてしまった。季節の変わり目で気分がすぐれない日が多く、文章がまとまらなかった…。
今回はこれまでだいたい4年くらい?クラウドソーシングをやってきて「こういうクライアントは後からろくなことにならなかった」という話をしてみたい。

まだ一文字も原稿を見ていないのに「継続を考えている」って言ってくる

このタイプのクライアントはクラウドソーシングのライターは「継続」に弱いと思っている気がする。そしてこういうクライアントには「継続を人質に単価を低く設定する」というやり方をするところも少なくない。悪い言い方をすれば足元を見ているわけだ。

確かに最初クラウドソーシングを始めた頃は「次が約束されている依頼」というのはありがたかった。スケジュールも組みやすいし、何より収入が担保されるからだ。今もそうした不安がないわけではないが、新規の依頼を「継続」だけを理由に受けようという段階ではなくなっている。

条件が良ければ「はあ……」と言って引き受けるが、たいてい何度かやり取りしているうちにフラストレーションが溜まるパターンが多く、最終的にこちらからお断りすることになる。

連絡取り始めてソッコー「直接取引きできませんか?」と規約違反持ちかけてくる

「最近クラウドソーシング始めました」みたいなクライアントに多い、絶対にやってはいけない規約違反である。このタイプのクライアントの場合「直接取引ならいくらでできます」とか言って、やや高めの報酬を設定してくることが多い。

こういう人たちはクラウドソーシングサービスを提供している会社をバカにしているし、そもそも自分たちがそのプラットフォームを利用しているという事実すら忘れている。

こういう失礼で非常識な輩はきっと平気で映画の海賊版とかも見るのだろう。面と向かってコケ下ろすと角が立つので、やんわり直接依頼は断って一度クラウドソーシング上で仕事をし、二度と依頼を受けない。

こっちの専門分野でもない原稿なのに何の修正も注文も入らない

「原稿わからない」「原稿読んでない」パターンのクライアント。もしかすると僕の書く文章が素晴らしすぎるのかもしれないが、「修正も注文もない」のではなく「修正すべきこと、注文すべきことがわからない」か、「そもそも原稿なんかどうでもいい」と思っているのである。羽振りが良いクライアントもいるが、こういうクライアントと仕事をしていてもあまり次に続かないので、その点は覚悟しつつ仕事をした方が良い。

原稿の修正が紙をスキャナで取り込んだPDFだ

こちらは逆に玄人すぎるパターン。校正担当者などが紙媒体出身で、PCでの修正作業ではなく、紙を使って修正するのである。このこと自体が悪いと言っているのではなく、こういうことをする人に「ややこしい人」が多いという話だ。

文法の間違いとか事実関係の間違いなら、こっちも素直に修正する。しかしこういう人は「なんか違う」「◯◯って感じに修正」とか平気で書いてくる。後者ならまだしも、前者に至っては修正のためのヒントさえない。

「なんか違うってなんやねん」とはビビっていえないので、当てずっぽうで修正すると「わかってない」みたいなリアクションが返ってくる。結果あてもない修正作業が続き、お互いが消耗していくのである。確かにすごく勉強になることも多いのだけど、「嫌な予感」には違いない。

1記事1,000文字が3,000円なら1記事2,000文字は6,000円だと思っている

「お前文章書いたことあんのか」というタイプのクライアントの特徴。ライターとして文章を書いたことのある人、あるいは真剣に大学のレポートに打ち込んでいた人ならわかるだろうが、2,000文字の文章を書く労力と1,000文字の文章を2本書く労力はイコールではない。

僕の感覚では読後感だけでなく納得感もきちんとある文章を書く場合、1,000文字でだいたいネタを3つ仕込む必要がある。1,000文字をネタ1つで書くと希釈し過ぎたカルピスみたいな文章になるし、2つでも(書くべきことがあるならいいが)多少もったいぶった書き方になりやすい。かといって4つだと1つ1つの内容が浅くなるので「なんか読んだ気分」にはなるが「何かを得た気分」にはならない。だからだいたい1テーマにつきネタは3つないし2つということになる。

しかし2,000文字になると選択肢が一気に増える。単純にネタを4〜6つに増やしてもいいし、ひとつひとつを掘り下げる余裕があるから3つにしてもいい。あるいは1,000文字ずつに大きく2つに区切り、その中に小さいネタをいくつかちりばめるという作戦もある。

これをあたえられた、あるいは探してきたテーマに沿って適不適を判断し、そこから情報を精査して肉付けの作業に入る。僕は「ネタが仕込めたら6割終わり」と思っているクチなので、逆にいえばネタを仕込むのが大変な場合はそれだけコストがかさむ。

だから単純計算で倍の金額を提示されると、「いやいやなめんとんのか」となる。「文章なんか誰でも書けるけど面倒だから外注してる」みたいなクライアントは、あとあと意味不明な修正や注文をつけてくることが多い。僕にとっては直接契約を持ちかけてくるクライアントくらい嫌な予感のするタイプである。

こちらが提示した参照元URLを確認していない

このタイプのクライアントは単純に嫌いだ。こっちがいくら懇切丁寧に「この部分はこのURLのこの部分」と指定したところで「典拠は?」とかのコメントをよこしてくる。もうどうしたらいいのか。別にすでに書いているから注釈をコピペして「こちらをご参照ください」とコメントすればいいのだが、その労力が無駄すぎる。こちらの時間を平気で犠牲にするクライアントは危険だ。

プラットフォームでの手続きが遅い

僕が利用しているランサーズの場合、「依頼(クライアント)→承諾(ランサー)→エスクロー入金(クライアント)→作業・納品(ランサー)→校了(クライアント)→完了報告(ランサー)→支払い(クライアント)」の順で仕事が進む。メッセージフォームやチャットでやりとりしているのに、いざ書き始める段になってこれらの手続きが全く進まないクライアントがいる。年単位の付き合いがあるならまだしも、1回目とか2回目で「エスクロー入金」とか「支払い」が遅いクライアントは絶対ダメだ。

第一にこちらの気持ちを全く斟酌していない。顔が見えないやり取りは信頼感が7割くらいを占めている。そしてその信頼感の5割以上は「お金関係をきっちりしているか」が占めている。どんなにいいクライアントでも、支払い関係がテキトーなところは、大抵他のところもテキトーだ。そんなところと仕事をしていたら痛い目を見るのはこっちだろう。
第二に多分、仕事ができない。自分がクライアントとして利用したことがないからわからないが、おそらくこの一連の作業は面倒くさいが大した作業ではないはずだ。それをさっと処理できないというのは、どう考えても仕事ができない人間だということだ。現に某大手企業のクライアントはこちらが慌てるくらいに対応が早い。この企業とやり取りするたびに毎回「大企業病とかいうけど、いうても大半の中小企業マンよりは仕事できるんよなあ……」と思ってしまう。

メール送ってきてすぐ電話かけてくる

締め切りの近づいている別のクライアントの原稿を書いている途中に、スマホが鳴る。チャットサービスの着信音なので「この原稿がひと段落したら確認だな」と頭の隅で思い、急いで書く。すると電話がかかってくる。僕の携帯に電話をかけてくるなんて誰だろうと思って見てみると、クライアントである。出ると「先ほどのメールなんですが」と始まる……。

見てねえよ!メール見たらすぐ返信するよ!見れない状況だから返信してないんだよ!急ぎの用事ならまだいいが、なんだかもう癖みたいに「メール即電話」を徹底している人もいる。やめてくれ。

こういう人は他の仕事もばたついていることが多い。締め切り3日前の仕事を持ってきたりとか、昼過ぎに修正指示を送ってきて「今日の夕方までにお願いしたい」とか言ってくる。必要以上に精神を消耗するので、あんまり仕事したくない。

「嘘」をつかせる

ものは書きようである。書き方を変えれば善悪が入れ替わることだって、世の中にはある。しかしそれも世界の一面なのであって、嘘ではない。僕はそう思っている。しかし事実と反していることを書くのなら、それは嘘だ。昨日カツ丼を食べたのに、「お前昨日カツ丼食べたろ」と言われて「食ってない」と言えば嘘なのだ。

驚くことにこれをやってくださいというクライアントもいる。とあるサイトのとあるランキングを、丸ごと上下逆にしてくださいという注文だった。ライターを初めて2ヶ月ぐらいしたころで、確か文字単価は0.5円だった。しかし当時の僕の文字単価は0.25円とかだったので、喜んで飛びついたのである。しかし蓋を開けてみると、そういう注文だったのだ。

確かにランキングも書き方によっては全く違うランキングになる。しかしそのサイトのランク付けはあまりにも全うだった。1位は非の打ち所がないし、最下位はツッコミどころしかなかったのだ。ただ一度引き受けた仕事なので、嫌な汗を書きながら必死に嘘をつき、事実を伏せた。あんなに辛い仕事はいまのところない。

嘘をつく人が平気なら構わないが、苦手な人は一度引き受けたかどうかに関わらず断った方がいいだろう。このクライアントからも継続依頼はきていたが、にべもなく断った。

 

 

こんな感じで「こういうライターは困る」とか「鈴木さんのここが困る」みたいな情報あったらバンバン欲しいんだけどなあ。なんかこう、黙ってフェードアウトされるのが一番嫌だわ。和をもって貴しとなすな日本では、あんまり言わないもんなんですかね。

2017年夏のじゆうけんきゅう!

 ふと思い立って、自分の部屋の筋トレ器具を改造することにしてみた。発想にしろ仕上がりにしろ、「じゆうけんきゅう」という言葉がぴったりになったので、この成果を夏のじゆうけんきゅうとして紹介しようと思う。

 

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まずはこちら。我が家の長男から押し付けられたエアロバイクの座面に、座面の形に切り抜いた厚さ3センチの発泡ゴムを乗せ、これをバンダナでくくりつけた。

 

エアロバイクが家で漕げるというのは、最近有酸素運動にハマりつつある自分としては嬉しいのだが、いかんせんこのサドルの素材が硬すぎて、長時間漕いだ結果、お尻がうちみをしたかのように痛むようになってしまった。

まあ大してこれまでやってこなかったのに、いきなり週3〜4の頻度で毎回1時間程度漕げばそうなっても仕方ないのだが、それでもやっぱり硬い。

この問題を解決すべく、発泡ゴムを採用した。厚さ2cmのものと迷ったが、こういうものはちょっとケチるくらいなら高い方を買っておくのが正解だろう。少し漕いでみたが、クッション性は格段に向上した。

そろそろお尻の痛みがなくなってきたので、今から使うのが楽しみだ。

 

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次はこちら。これはチンニングスタンド(懸垂マシン)の写真だが、ぶら下がる棒の部分に合成ゴムのテープを巻きつけてある。合成ゴムの端は業務用の超強力接着剤を使用した。

また、棒の中央部にぶら下がっている鎖は1本あたりの耐荷重135kgのもので、スクリュータイプのカラビナを使って輪にしている。カラビナの耐荷重は1つあたり85kgだ。

 

僕が使っているチンニングスタンドは別段高いものではない。確かにぶら下がる棒に最初からついているスポンジは、直接鉄のパイプを握るよりはチンニングもしやすい。しかし強く握ると回るし、回れば滑る。結果きっちり追い込めないことが何度もあった。

そこで合成ゴムのテープを巻きつけたところ、劇的なグリップ力が生まれた。

 

鎖に引っかかっているのはVバーと呼ばれる筋トレ器具で、本来は事務などのマシンで使うアイテムだ。しかしこれをチンニングスタンドで使うと、チンニングで鍛えられる部位が増えるので購入したのだ。

ところが実際に使おうとすると、ぶら下がる棒に引っ掛けることになるので、結果最後まで挙げきれないという事態に直面する。挙げきると、ぶら下がる棒に顔が当たるからだ。今回丈夫な鎖に引っ掛けることにより、しっかり最後まで挙げきれるようになった。

 

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こちらはベンチプレス台のセーフティーバーとバーベルラックだ。本来この部分は塗装した鉄だったが、ここに強力接着剤で3mm厚のゴムシートを貼り付けた。

 

僕は極端に胸の力が弱い。ベンチプレス、スクワット、デッドリフトの取り扱い重量を比べても、ベンチプレスだけが「初心者レベル」の数字になっている。これを解消するために徹底的にベンチプレスで追い込めるこの台を買ったのだが、いかんせんバーベルを置いたときの音がうるさい。しかし「音を立てないように」なんて思っていては、最後まで追い込むことができない。

その結論がこのゴムシートだった。ゴムはすごい。たったこれだけの厚さなのに、とてつもなく静かにバーベルを受け止めてくれる。これで弱点克服だ!

 

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最後に紹介するのがチンニングスタンドにぶら下がっているこのロープ。下の部分には長さ15cm直径32mmの鉄パイプがついている。鉄パイプの両サイドはロープを傷つけないように、養生テープで保護している。ロープの両端はクライミングなどに採用されるもやい結びを施し、これによってできた輪を耐荷重85kgのスプリング式のカラビナでつないでいる。たしかロープの切断強度は785kgくらいだったとおもう。

 

これを作ったのは、チンニングスタンドで「吊り輪」がやりたかったからだ。ストリートワークアウトやカリステニックスと呼ばれる自重トレをしているアスリートたちが、よく吊り輪で遊んでいる。もうこれがすごく楽しそうでかっこいいので、ぜひとも自分もやってみたいと思ったのだ。

しかしいざこのお手製吊り輪(?)を作ってみると、とんでもなくきつかった。正直なところ「まだ早かった」と言わざるを得ないほど、きつかった。しかも普通の吊り輪と違って持ち手がくるくる回るので、なおさらバランスが維持しづらい。出来栄えには満足しているが、まだしばらく基礎トレーニングを積み重ねる必要がありそうだ。

 

 

以上が僕の2017年夏のじゆうけんきゅうである。いざやってみて思ったが、大人ももっとじゆうけんきゅう(自由研究でもいい)をやるべきだ。

自分が抱えている問題を把握し、その解決のために自分の頭で考えて工夫する。ネットや本にないモノやコトを、自分なりのコンセプト(予算とか、使い勝手とか)を立てて作り出していく。こういう作業はものすごく頭の体操になるし、なにより楽しい。僕が思うに、研究の題材は役に立ちそうもないことであるほど楽しくなる。

また楽しいじゆうけんきゅうの題材を見つけたら、どんどん研究していきたいと思う。

夏の終わりには、貴女に逢いたくなるんだ。

今日のエントリーは少し湿っぽくなる。なぜなら今日、8月21日は我が家の先代の猫様「フラン」がいなくなってから12年の日だからだ。

 

あの日から干支が一周回ったとは思えないほど、彼女の死に際を鮮明に覚えている。その日はちょうど、朝早くに海外留学から帰省していた姉が留学先のインドネシアに飛び立つ日でもあった。まるで姉との時間を最後まで過ごしたかったとでもいうように、フランは21日未明、家族全員の前で事切れた。

 

 

フランは僕が小学校3年生の頃(担任の教師が本当に嫌いで、毎朝お腹を壊していた頃だ)から一緒に住んでいた。最初彼女に出会ったのは、まだ彼女が野良猫として生きていて、ウチのマンションに居を構えた直後だった。

フランは緑白色の数珠のような首輪をつけて、ある朝小学校へ行く前の僕の前に現れた。そのときにはすでに成猫で、人馴れもしていた。当時僕は犬派で猫は「何を考えているかわからない」「すぐに引っ掻く」というイメージが強く、彼女に擦り寄られてものすごく困ったことを覚えている。

中学に行く姉が上から降りてきて「何してんの?ほっとき」と言われた。

 

学校から帰ると、彼女は僕の家の前にいて、確か母から何か食べ物をもらっていたように思う。ウチはマンションなので、当時基本的に動物は飼ってはいけないことになっていた。だから母も家の中には入れていなかった。

しかしその夜、彼女は一晩中家の前で待ち続け、翌日学校から帰る頃には父の許可を得たのか我が家の家族となっていた。当時僕は嬉しかったのか、戸惑ったのか、今となっては覚えていない。

ほとんど真っ白な毛並みの中に、背骨をなぞるように茶色の毛を生やした大きな雌猫にフランという名前を与えたのは、姉だった。いわく「金がかかるから」(当時フランスの通貨はフランだった)。とんでもないネーミングだと思ったが、今思えばフランという気品と柔らかさのある響きは、彼女にぴったりだった。

 

最初のうちは動物と人間の境目を設けていた我が家も(寝室には入れないとか)、あっという間に彼女の可愛さと図々しさに負けて、彼女が足を踏み入れられないところは食卓の上以外になくなった。

猫の自由さというのは、人間の決めたルールなどあっという間に打ち消してしまう。「私を縛れるのは私だけよ」彼女の瞳と尻尾はいつもそう言っていた気がする。

小学校3年から高校2年まで、彼女はずっとその調子だった。フランはまるで頼もしい姉のような猫で、散歩の途中に雄猫をぶん殴って返り血を浴びて帰ってくるような強さの持ち主だったが、いつも柔和で、噛むことも爪を立てることもない、優しい女性だった。

もちろん猫らしいふてぶしさもあって、勉強をしていればノートや教科書の上に寝そべってきたし、寒い季節に床に寝転がっていると必ず膝の上や胸の上に乗ってきたものだ。ただ僕も家族もそれを嫌がるようなことはなく、いつも彼女の中長毛のふわふわな毛並みに癒されていた。

 

 

息をひきとる前、フランは母自ら注射をしてやらねばならないほど弱っていた。にもかかわらず、やっぱり僕が机に向かっているとあがってきて横に寝そべるのだ。だから僕は彼女がいなくなるなんて、全く理解できていなかった。来年も、その次の年も、さらに次の年も、彼女は僕の机の上で寝そべるのだと思っていた。

だから、というと言い訳になるだろうか。折悪しく僕は人間関係で悩んでいて、ちょっと遅い思春期特有の苛立ちを抱えていた。確か何かそれに関する書き物をしていて、それをフランに邪魔されたのだったと思う。僕はそこで彼女を邪険に扱ったのだ。ノートか何かの上から彼女を押しのけるようにしたと記憶している。

 

僕はそのときの手の感触を未だに忘れられない。 弱った彼女はそのとき何を思ったのだろう。どうして僕はあの時彼女の頭やあごを優しく撫でてやれなかったのだろう。

彼女は、フランは、「気分が悪いの。ねえ、撫でて」と言っていたのかもしれないのに!

あるいは「あんたはいつまでうじうじ悩んでるの。元気出しなさいよ」と言ってくれていたのかもしれないのに!

 

 

それからほどなくして8月21日がやってくる。僕はこの時、初めて愛する命の最期というものに立ち会った。そのときは困惑していて、机の上で彼女にしたことを振り返る余裕もなかったが、周りでフランに声をかけたり、号泣したりする家族を、どこか冷静な目で見ていたことは覚えている。

当然悲しくなかったわけではない。ただ、わからなかったのだ。今まで当たり前のように一緒にいたフランと、もう二度と会えなくなる。ずっと一緒にいると思っていた彼女と、もう一緒にいられなくなる。それがどういうことかが、わからなかった。

小学校3年生から高校2年だから9年だ。高校2年にとっての9年は人生の半分以上になる。それほど長い間一緒にいた彼女がいなくなる……?どんな顔をすれば正解なのか、僕に分かるはずもなかった。多分今だって、わからない。

 

僕たちにすがることもなく、自分の足で立とうとしてはがくりと崩れ、また立ち上がろうとする。目は虚ろながらもどこか一点を見つめていて、その姿が彼女の生き様のようにさえ思えた。最期まで凛々しい女性だった。

クーラーを強くかけた部屋で、彼女が火葬場に行くまでの間にカゴの中に入って冷たくなっていることに気づいた時、僕はようやく「フランともう会えない。話せない」という事実を理解した。その途端、とめどなく涙が流れてきて、僕は彼女の横にうずくまってずっと声をあげて泣いてしまう。

愛してるも、大好きも、もっと言っておけばよかった。

ありがとうも、ごめんねも、ちゃんと言っておけばよかった。

もうそれができないんだということも、ようやくそのときになってわかった。とりわけ、ごめんねを言えなかったことは、今もずっと後悔している。

火葬場で骨だけになった彼女は、嘘みたいに小さかった。あんなに頼もしかった姉が、こんなにも細い骨で立っていたのかと思うと、単純に驚いた。

 

それから2.3ヶ月立って、我が家には新しい家族ができる。まるでフランの影から生まれてきたのかと思うほど真っ黒な、生後1ヶ月に満たない子猫だった。溝にはまって親猫に忘れられていたところを、母が拾ってきたのだ。母曰く、必死に訴えかけるように「ニャアー!ニャアー!」と泣いていたのだという。

彼の名前は僕が「夜雲(ヤクモ)」と名付け、今はやっくんと呼ばれて親しまれている。フランのような凛々しさとは無縁で超がつく甘えん坊で、ビビり、引っ込み思案、鈍臭いとダメダメなヤツだが、なんだか自分を見ているようで愛してしまう。

ももうそこそこの老猫なのだが、僕は絶対に彼を看取ると心に決めている。フランにしてしまったようなことを、彼には絶対にすまいと、心に決めている。罪滅ぼしなんかではなくて、あんな想いを二度としたくないからだ。

 

ところでフランは今も実家の中庭に、母が作った立派な庭園墓地に眠っている。屋根のある小箱の中に入っているのは、骨と彼女の生前の毛を丸めて作った毛玉。今も触ると少しだけ彼女の感触を思い出せる。

 

 

フラン、今年も今日がやってきたよ。毎年言ってるけど、あの時は本当にごめんね。あと、これも毎年言ってるけど、今も愛してるよ。大好きだよ。

 

 

 

森山直太朗さんの「夏の終わり」は、僕がフランを思い出すときに必ず聴く曲だ。今年もこれを聴いて、彼女を想うことにしよう。