ひとり部活動記録

文章書いたり、筋トレしたり、自転車漕いだり、山登ったり、基本はひとり。

しょうもないことこそが人生だ。

僕は毎日しょうもないことにかかずらっている。

毎日のように部屋にある筋トレ器具で腕やら脚やらがパンパンになるまで筋肉に負荷をかけ、山の上で椅子に座ってぼんやり星を見るためだけに9時間山道を歩き続ける。

どうにもスクワットやベンチプレスの効果が現れないのは、股関節と肩甲骨の可動域の極端な狭さにあるのではないかと考え、先週一週間くらいは自分なりにストレッチを始めたり、YouTubeや書籍でストレッチについて調べてメニューを組むことにそこそこ時間を費やした。

食事をするにしても「炭水化物は何グラムか、タンパク質との比が2対1で収まっているか、脂質が多すぎはしないか」とそんなことばかりを考えている。

きっと毎日一生懸命仕事に打ち込んでいる人たちから見れば、僕の毎日は「しょうもないこと」でできているように見えるだろう。「もっと世の中の役に立つことに時間を使えよ」なんて言われてしまうかもしれない。



でも僕は今の人生を、このうえなく気に入っている。すぐに落ち込んだり、映画を観て感動しすぎて体にしばらく変調をきたすような「細い神経」には、たまに困惑するけれど、それでもやっぱり今の人生は僕にとって最高だと思う。

もちろんまだまだ改善の余地はある。もっと股関節が自由に動くようになりたいし、肩甲骨もぐりんぐりんと回るようにしたい。もっといろんな山を登りたいし、もっといろんな景色が見たい。ずっとご機嫌でいられるような人になりたいし、そうなる環境を整えたい。もう少し効率的な消費ができるようになりたいし、やっぱりミニマリストには憧れる(諦めつつあるが)。今は自分の幸せを追求するので精一杯だけれど、いつかはその人の幸せを自分の幸せだと思えるようになってみたいし、そんな人を守れるような自分になりたい。今の僕は、そんな理想の自分とは程遠い。

にもかかわらずこの人生が「僕にとって最高だ」と思えるのは、僕がいつでも「今死んでも後悔ないなあ」と思えているからだ。毎日、一瞬一瞬をこのうえなくベストの選択で生きている。そう確信を持って言えるからだ。僕は僕ができるベストを尽くしている。だから悔いはない。



僕はこのしょうもない毎日を、このうえなく愛している。もちろんいつかはこんな毎日は送れなくなるのかもしれない。でもその時もやっぱりできる限りしょうもないことを追求していたい。しょうもないもののなかにこそ、僕は人生の楽しさがあると思っているかだ。

楽しさのない人生なんて、僕にとっては何の意味もない。もし「これ以上、もう楽しいことはないだろうな」と思ってしまったなら、ぜひともそこで人生を終えたいくらいだ。しょうもないことこそ、僕の人生なのだ。